2020年の東京

ドタバタしております(汗)。とは言え、前回のブログの記事の更新から日にちが経ってしまったので、とりあえず、何か書こうと思って、僕のノート(落書き帳です)のメモを読み返してみたのだけど、あまりにも量が多くて、一気に(ブログを)書く気力が失せた(おいおいw)。と言うか、僕の字の自由奔放さ(「汚さ」とも言う)はすごいなぁ、と改めて思いました。僕でも読めません(おいおいおいw)。と言う余談はおいといてw、何から書こうか、えーと、昨日読んだ「郊外物件は対象外に=認定省エネ住宅で―国交省」(時事通信、2011年12月29日)はひどいなぁ、と思いました。なぜなら、前に本ブログの「8月のニュース-3」の記事でも書いたように、この制度には「逆進性」があるからです。根本的に、環境問題(CO2の削減等)とは、社会学者の宮台真司が著書「日本の難点」(2009年)等で述べているように、「環境問題は政治問題」、「集合的決定に向けた動員の問題」でしかないのです。つまり、環境問題とは、新しい「物語」(またはゲームのルール)に過ぎないのです。根本的に、国(政府)は格差問題(富の再分配)に取り組まなければならないのであって、格差問題よりも環境問題を優先する制度は本末転倒です。

また、国(政府)が「郊外物件は対象外」にしたのは、僕の勝手な憶測になるのだけど、環境重視の方針は維持しつつ、「認定省エネ住宅制度」にかかるコストを下げたいからではないかと思います(国は財政難なので)。つまり、この制度は、二つの異なる方針の「中間」をとろうとしているのではないか、という事です。でも、前に本ブログの「鉄道の未来学――新幹線の未来(の続き)」の記事で、「(前略)対立する概念を挙げてから、その中間に「答え」があるといったような主張をする理論家風情(ふぜい)の建築家が現れたりするけど、それのどこが理論なのだろうか。」と書いたように、「中間」をとるという事には何の根拠もないのです。とくに、今回の場合は「中間」をとる事によって、最悪の制度になってしまっているのです。

また、「郊外物件は対象外」にしたのは、国交省も進めている「コンパクトシティ誘導政策」と連動させる意図があるのではないかとも思います。でも、前に(僕の)別ブログの「ニューコンパクトシティ」、「Googleplex & iSpaceship」、「ハイブリッド世界の本質-2」注釈25の記事で、繰り返して説明してきたように、僕は「コンパクトシティ」にも反対です。そもそも、「コンパクトシティ」にも「逆進性」があるのです。「コンパクトシティ」は、欧米から日本に輸入された概念(都市モデル)なのだけど、前に(僕の)別ブログの「Integral Project-3」の記事で、「海外の「コンパクトシティ」では、同時に、低所得者用住宅を建設する等によって、社会全体のバランスを取るけど、日本では、なぜかそこは市場経済を重んじる、という立場となる。」と書いたように、それと、前に(僕の)別ブログの「闘うレヴィ=ストロース」注釈11の記事で、「新建築2009年11月号」の論文「現代において集合住宅をつくる意味」(仙田満)から、「『21世紀の地方都市はコンパクトシティを目指さねば』と言われているが、実際には住宅政策がない。デベロッパーに任せ放しである。そこにコンパクトシティを実現できる道筋は見えない。」の一文を引用したように、日本の「コンパクトシティ」は、欧米とは異なる歪(いびつ)な代物でしかないのです。おそらく、日本の国(政府)は、格差問題に対して鈍感なのだと思います。ついでに、もはや、国(政府)が全国一律の都市政策をつくる時代ではないとも思います。全国の都市を一律に「コンパクトシティ」に誘導するよりも、それぞれの都市がそれぞれの実情にあった解決策(都市政策)をつくるほうが良いのではないか。と言うわけで、前に本ブログの「廃県置藩――Abolition of the ken system」の記事で書いたように、「地方分権」化を進めたほうが良いと僕は考えているのです。以上です。

えーと。
さて、僕のノートのメモ書きを、パラパラと読み返してみたのだけど、ほとんどは前回の「丹下健三「建築と都市」――機能主義の限界」の記事で書いた、丹下健三著「建築と都市―デザインおぼえがき」(初版1970年)についてです。丹下健三の都市論(「東京計画1960」、「東海道メガロポリス」等)の長所と短所をノートにまとめてある(メモしてある)ので、これはそのうち書きます(たぶん)。あと、「自由主義の蹉跌」(アゴラ、2011年12月29日、辻元)も参照。(これの「局所最適化と大域最適化」の説明が、前回の記事で引用した、丹下健三の「スミス的認識からケインズ的認識への変革」の説明とよく似ている。)

他には、今読んでいる途中(第2章まで読んだ)の橋本健二著「階級都市――格差が街を侵食する」(2011年)についてのメモ書きです。この本は面白い。前に(僕の)別ブログの「ファスト新宿」の記事で、「(前略)都心のオフィスビルの「高層化」と都心周辺の「郊外化」は同時期に起きたのだ」、「よく知られている「都心」対「郊外」という二元的な図式はじつはあまり意味がなくて、むしろ、「古い東京(洋館と工場と木造賃貸住宅)」対「新しい東京(都心の高層オフィスビルと郊外)」という図式のほうがしっくりくるだろう」と書いたのだけど、その移り変わりの様子が、詳細に描かれています。また、前に本ブログの「TPPの賛否」注釈3の記事で、ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」(初版1969年)から、昔の東京の自転車の製造業について(輸入代替について)引用したのだけど、その当時の東京の様子(都市環境)も掴めます。少し引用すると、「東京は一九六〇年代まで、日本最大の工業都市だった。(中略)大部分は従業員が数十人以下の零細工場で、周囲には工場勤めの人々が木賃アパートや小さな木造低層住宅、これらの人々を相手とする商店などが入り混じり、住商工混在地区を形成していた。木造家屋がどこまでも続き、そのところどころから上に向かって伸びる煙突が煙を出すという、東京の下町の典型的な景観が、こうして形成されていた。」(P.15-16)です。更に引用すると、「東京の下町というと、映画「男はつらいよ」などの影響からか、趣のあるお寺と、その参道の古い商店街、のどかな川べりの風景、そこで昔ながらの生活を営む人情味あふれる人々の姿などを思い浮かべる人も多いかもしれない。しかし、これは現実にある下町の姿のごく一部であるにすぎない。(中略)柴又を下町と呼ぶことができるとしたら、それは古い下町情緒があるからではなく、狭小な木造建築と町工場が混在・密集する地域だからである。その下町を代表するのは、参道の団子屋ではなく、タコ社長の印刷工場の方である。」(P.16-17)です。この本は、映画が好きな人にも面白いと思います。そのうち詳しく書きます(たぶん)。

あと、他には、前回の「丹下健三「建築と都市」――機能主義の限界」の記事で書いた、佐藤主光著「地方税改革の経済学」(2011年)についてと、ま、その他、諸々のメモ書きですw。先月の「新建築2011年12月号」の「利用権の共同化による復興」(西郷真理子)も読んだのだけど、やはり、都市の「コンパクト化」を掲げているところに疑問を抱きました。これに対しての僕の考え方もノートにまとめてある(メモしてある)ので、そのうち書きます(たぶん)。とりあえず、(僕の)別ブログの「東日本大震災からの復興とハワードの田園都市」(西郷真理子)と、「東日本大震災からの復興とポストモダン」の記事参照。

あと、ネットで、前に本ブログの「TPPの賛否」の記事で、「日本の大企業が日本の中小企業を駆逐する(大型ショッピングセンターが既存の商店街の客足を奪い取る、等々)といった事態が加速する」と書いたのだけど、「大企業」と「中小企業」の違いを調べてみた。「高速道路無料化」の社会実験の結果(「実験開始後の6カ間の状況」、国交省、2011年3月3日)も調べてみた。これに関しては、「民主党は「高速道路無料化」の看板をおろせ」(日経BPネット、2011年12月13日、猪瀬直樹)も参照。あと、前に本ブログの「永久公債、国有不動産」の記事で、「賦課方式の年金制度」について書いたのだけど、これに関しては、「新しい年金制度を提案する」(アゴラ、2011年12月20日小幡績)を参照。「橋下氏「年金制度はねずみ講」 民放番組で批判」(東京新聞、2011年12月17日)も参照。あと、前回の記事で書いた、池田信夫著「もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら」(2011年)に関しては、「実際に日本で財政破綻が起こったらどうなるのか?」(新刊JPニュース、2011年12月28日)を参照。「借金1000兆円の日本。若い世代のためにも「早くデフォルトしたほうがいい」という意見」 (週プレNEWS、2011年12月12日)も参照。また、小黒一正著「2020年、日本が破綻する日」(2010年)によると、「政府債務が成長率を低下させる」(ロゴフ仮説)、「世代間格差と成長率が負の相関性を持つ」との事です(この本は、僕は未読です)。とりあえず、長くなったけどw、以上です。

では、今回の本題。
「日本牽引するのは東京」…これが本家の都構想」(読売新聞、2011年12月23日)から引用します(下記)。

 東京都は22日、都の今後10年間の長期プランを描いた「2020年の東京」を発表した。3月の東日本大震災電力不足が深刻化したことから、防災対策や都独自のエネルギー政策に力点を置き、国から指定された「国際戦略総合特区」による外資系企業の誘致なども盛り込んだ。都は今後、同プランに沿って来年度から3年間で、370事業に約2・2兆円を投じる。プランを公表した石原知事は、「国が成長戦略を描けないなか、東京が率先して震災後の日本の再生と新たな発展の道筋を示し、この国を牽引していきたい」と語った。

◆(中略)特区は東京駅や六本木駅周辺を含む「都心・臨海地域」、品川、新宿、渋谷の各駅周辺、羽田空港跡地の5か所で面積は計約2600ヘクタール。外資系企業がアジア地域の統括拠点として都を選択し、事務所を新設した場合、法人事業税地方税分)をゼロにするなどして法人実効税率を現在の40・7%から20%台半ばまで引き下げる。都では、外国企業の誘致による経済波及効果を最大14兆6000億円と試算している。

◆(中略)23区の外周をほぼ覆うように、直径30キロの緑地帯「緑のリング」の整備に取り組む。荒川河口から石神井川練馬区など)、都道調布保谷線(調布市など)を通って多摩川河口までを環状に結ぶプランで、点在する都立公園をつなぎながら川岸や道路沿いを緑地化する。将来的にはサイクリングロードとしての活用を目指す。 

◆(中略)都が独自に計画している100万キロ・ワット規模の天然ガス発電所に加え、都市ガスを利用して停電時でも常時発電ができる「コージェネレーションシステム」(電気と熱の同時供給)の普及を図る。また、都内の一戸建て住宅30万戸への太陽光発電設備の導入などを進める。

◆(中略)14年度から、65歳以上の高齢者に就職をあっせんする「東京都版シルバーハローワーク」を創設。高齢者は週2〜3日勤務を希望する人が多く、都が希望に合った働き方のできる求人を紹介する。さらに、高齢者向けの起業支援も行う。都内に約8000人いる待機児童解消で、駅ビル(駅ナカ)や高架下(駅チカ)を活用した認可・認証保育所、病児保育施設を増やす。14年度までには保育サービスを2万4000人分拡大する。

上記の「特区」に関しては、(僕の)別ブログの「Integral Project-3」の記事参照(「松島新都市」)。「太陽光発電」に関しては、(僕の)別ブログの「新たな国づくり」の記事参照。「高齢者」と「保育サービス」に関しては、(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事参照(「人口減少社会の到来で、最も苦しむのは東京である」、松谷明彦)。あと、ニュースの表題の「これが本家の都構想」とは、もちろん、大阪維新の会橋下徹大阪市長松井一郎大阪府知事)の「大阪都構想」に対してです。本ブログの「体制維新――大阪都」の記事参照。(一応、その記事では引用しなかったけど、「大阪都構想」にも「特区」が含まれている。)

ま、正直に言って、上記の「2020年の東京」を読んで、つまらないなぁ、と思いました(こらこらw)。東京都を手本(モデル)にしている「大阪都構想」はとても輝いて見えるのに、不思議です。東京は、既に世界有数の大都市(世界の都市ランキングでは、ニューヨークロンドンに次いで、第3位)として成功を収めているので、意外とやる事がないのかも知れません。または、前に(僕の)別ブログの「Integral Project-3」の記事で、建築家のレム・コールハースの対談「無個性の快楽」(1995年)から、「(前略)全アジア都市間でそういう競合は起こっている。ただその競合の武器がみな同じなんだ。全世界の都市はますます競合しあい、しかしますます似かよったものになってゆく宿命にあると思う。興味深いジレンマだよね。(後略)」と引用したような「ジレンマ」に陥っているのかも知れません。ま、いずれにせよ、根本的に、現在の東京が抱えている問題は、「インフラ不足」と「土地不足」でしょう。(前者の「インフラ不足」に関しては、本ブログの「鉄道の未来学――日本の鉄道の現状と新幹線の未来」の記事参照(「東京などの大都市で、都市施設の整備が遅れる理由の一つは、地価が高すぎて事業費の大部分が用地費に取られてしまうことにあります。これはある意味で悪循環なのであって(後略)」、吉村愼治)。後者の「土地不足」に関しては、えーと、前に本ブログの「TPPの賛否」の記事で載せた、「週刊 東洋経済 2011年 10/29号」から少し引用すると、「東京都心の湾岸部では大型物件の供給が相次ぐ」(P.55)一方、「中小デベロッパーの主戦場だった首都圏郊外マーケットに、大手各社が攻勢をかけている。」(P.92)、「大手各社がこぞって郊外事業を強化している背景には、都心部でマンション建設に適した用地が減少しているという事情もある。」(P.94)との事です。)

さて、前に(僕の)別ブログの「Googleplex & iSpaceship」の記事で書いたように、僕は国内での「東京一極集中」には反対なのだけど、同時に、東京は国外での都市間競争を勝ち抜いて、ニューヨークやロンドンのような世界の中心都市を目指さなければならないわけです。これは矛盾しているように聞こえるかも知れないけど、幸いにして、この二つの異なる方針が組み合わさる「特異点」があるのです(キリッ)。日本の国(政府)の施設(首都機能)を、東京から追い出せばいいのです(!)。ま、言い換えると、「首都機能移転」なのだけどw、「首都機能移転」をする事で、東京には二つのメリットがあるでしょう。まず第一に、東京の「自由経済」をより確立できる(国の干渉を受けにくくなる)という事です。前に本ブログの「廃県置藩――Abolition of the ken system」の記事で書いたように、都市(基礎自治体、地域圏、広域圏)と国は切り離したほうが良いのです。更に、前に本ブログの「体制維新――大阪都」の記事で引用したように、「都市で稼ぐことが、世界の国家戦略の主流になってきています。(中略)世界中で、大都市の力を強めて成長しようという動きが起きている」(橋下徹)のです。そして第二のメリットは、前に本ブログの「永久公債、国有不動産」の記事で、「「首都機能移転」をすると、この超一等地(永田町霞が関)が空く」と書いたのだけど、これによって前述の「土地不足」の問題がかなり解決できるという事です。と言うわけで、上記の「2020年の東京」のリストに、「東京から国(政府)を追い出す(!)」を加えるべきなのです。ま、もちろん、デメリットもあるでしょうけど、トータルで考えると、この二つのメリットが上回るのではないかと僕は考えています。以上です。あと、もう一つの「インフラ不足」の問題に対しては、コツコツと地道に解決するしかなさそうです。「外環道・練馬―世田谷、来年度着工・2020年完成へ」(読売新聞、2011年12月12日)*1、「羽田−成田、国交省が「新東京駅」設置を打診 33分短縮も東京都は難色」(産経ニュース、2011年11月24日)、「2つの蒲田駅結ぶ「蒲蒲線」設置検討へ 東急電鉄」(asahi.com、2011年11月15日)を参照。ウィキペディアの「東京外環自動車道」、「蒲蒲線」の項も参照。うーん、「蒲蒲(かまかま)線」と言われると、この曲(→動画*2)を思い出すw。以上です。

では、良いお年を。

  

*1:(僕の)別ブログの「東京外環道」、「Kinkyo-2」の記事参照(「外環道」)

*2:Culture Club、「Karma Chameleon」(1983年)の動画。(追記)念のため、歌詞を引用すると、「(※要請により歌詞削除)」(カマカマカマカマカマカミィリィオーン)w