高齢者を東京から地方へ追い出す!?

 
「都会から地方への高齢者の移住」へ向けて政府・自民党が本格的に取り組み始めた。明日の2月25日にそのための有識者会議の初会合が開かれる。*1

さて、僕はブログで国土交通省が推進している「コンパクトシティ政策」をこれまでに何度も批判してきたのだが、相変わらず国土交通省の暴走は止まらないようだ。このような愚かな官僚を擁してしまった日本国民はつくづく不幸である。しかし、最近では「コンパクトシティ批判」が僕の代名詞になりつつもあるようで、僕がコンパクトシティを批判すると「またお前か」といった嬉しい反応を時々頂くようになった。

実際、Googleで「コンパクトシティ」と入力して検索すると、僕が去年書いた「「コンパクトシティ」が都市を滅ぼす――暴走する国土交通省(PART2)」のBLOGOS記事がWikipediaに次いで上から2番目に表示されるようになっている。国土交通省のウェブサイトよりも上位である。また、先月、自分のツイートなどをまとめた「コンパクトシティ富山市は自滅するか否か」のTogetterもなかなか好評で、PV数も10万を超えるに至っている。

と言うわけで、たまには「コンパクトシティ」とは別の話を書こうw。今回は冒頭に書いた「都会から地方への高齢者の移住」についてである。と言っても、大局的には同じ話ではあるが。

では、本題に入る。「都会から地方への高齢者の移住」の議論の重要性は、じつは「コンパクトシティ」の比ではない。この問題を放置していると、この国は危機的な状況に陥るだろう。それくらいに深刻な問題なのだ。よって、この問題をより多くの人に知ってもらいたい。国民的議論が求められる。

あなたの住むまちの将来人口は?」(若生幸也)のBLOGOS記事では、自治体の将来推計人口を3つのパターンに分類している。要約すると、地方では「高齢化」の時期は終わり「人口減少」の時期へ入ったのに対して、東京などの大都市部ではこれから「高齢化」の時期を迎えることが示されている。「人口減少」と「高齢化」のどちらがより深刻かと言えば、後者である。なぜなら、自治体が「高齢化」に適応するための施設を整えるには膨大な費用がかかるからである。ある意味、日本がまだ経済大国と呼ばれていた頃に「高齢化」の時期を終えた地方は幸運であったと言えるのかもしれない。だが、これからは「高齢化」の巨大な波が大都市部を直撃する*2。特に危ないのは東京だ。

東京は「待機児童」が多いことで知られているが(都道県府別ではダントツでワースト1位である)*3、東京は「待機老人」も多い。東京の「待機児童」数は約1万人だが、東京の「待機老人」数は約12万人である*4。そして今後、東京の「待機老人」数は急増すると予想されている。なぜなら、東京は地価が高いから、東京にはもはや余っている土地がないからである。そのために東京は施設(特別養護老人ホーム)を増やしたくてもなかなか増やすことはできないのだ(これは東京の「待機児童」数が多い理由と同じである)。

この問題を解決するために、大きく3つの方法が考えられる。1つ目は、たとえ膨大な費用がかかっても東京に施設を増やすべきであるという考え。そもそも東京は「地方交付金」という形で、東京都民が通勤ラッシュの抑圧に耐えながら稼いだ富が地方へ流出しているのが現状であるのだから、その蛇口を閉めて都民に還元すべきである、その分を都内の施設を増やすための財源に充てるべきである、といった考えには一理あるように見える。しかし、その前提条件である膨大な費用がかかることには変わりない。もっと賢い方法があれば、それを選択すべきである。言うまでもないが、日本の借金は既に1000兆円を超えている。財政破綻しかねない状況だ。

2つ目は、施設(特別養護老人ホーム)は諦めて「在宅介護」を促進するという考え。しかし、「在宅介護」はサービス面で特別養護老人ホームと比べると、かなり劣る。更に「在宅介護」によって仮に福祉施設不足の問題が解決できたとしても、医療施設(病院)不足の問題は解決しない。東京には大きな病院がたくさんあると思われるかもしれないが、その多くは山手線の内側に立地している。山手線の内側の人口(夜間人口)は約80万人で、その他の山手線の外側に暮らす都民(約1260万人)にはあまり関係ない。また、山手線の内側は地価が高いので富裕層しか暮らせない。更に、救急車による救急搬送の所要時間が長いのは、都道府県別では東京がダントツでワースト1位である*5。また、救急車で搬送される人の半数以上は既に65歳以上の高齢者であり、昨年(2014年)の救急車の出動件数は過去最多を記録した。*6

東京で高齢者が増加することの恐ろしさについて、亀田メディカルセンター院長の亀田信介氏は、2012年6月14日に放送されたテレビ東京の「カンブリア宮殿」という番組でこのように述べている。

亀田信介:
年齢によってどのくらい医療資源とか介護資源が増えるかと言うと、例えば15歳〜45歳の一番元気な人たちが年間に使う医療資源を1とすると、大体、65歳以上の方で6.5倍。75歳以上のいわゆる「後期高齢者」と言われる方で8倍。これは医療資源だけなんですね。介護資源まで入れると、75歳以上の方1人で医療介護資源を若い人の10人分使っちゃうんですね。その方たちが猛烈な勢いで、絶対数が増えるのが都市部なんです。とくに高度経済成長の時に同じ団塊の世代と言われるような同じ年齢層の人たちがみんな地方から東京に集まった、この方たちが一気に、高齢者になっていって医療資源を必要とするわけですね。

この急激な医療需要の高まりを「オーバーシュート」と言うんですけど、ここについては、今後、人類史上あり得ない、日本の問題でもなく、世界の問題でもなく、この大東京圏という凄く特定のところの特定の時期の問題であって、もちろん、今までにもなかったですけど、今後の30年間で起こる事は二度と起こらないだろう、と言われているぐらいじつは大変な事なのです。*7 *8

更に、亀田氏は「多くの国民が、東京が一番安全だろうと思っていると思うんです。でも、そうではなくて、それと全く正反対な事が今、起ころうとしている」と警鐘を鳴らしている。よって、「在宅介護」を促進するという考えは決して良い策とは言えない。「在宅介護」によって仮に福祉施設特別養護老人ホーム)不足の問題が解決できたとしても、上記で引用したように、東京で医療施設(病院)不足の問題を解決することはほとんど不可能だからである。また更に、話は変わるが、医師の上昌広氏はツイッター(2013年4月23日)で「在宅医療は、結局、家族への押しつけだ」とチクリと批判している。

さて、ここまでで話がずいぶん長くなってしまったが、上記の1つ目と2つ目の考えはあまり良くないことを説明した。では、最後の3つ目を書こう。というか、これが冒頭に書いた「都会から地方への高齢者の移住」である。即ち、「高齢者を東京から地方へ追い出す」という考えである。これ以外の策はこの世界には一つも存在しないのではないだろうか。おそらく私たちはこれを選ばざるを得なくなると僕は考える。まだ断定はしないけどな。

また、「都会から地方への高齢者の移住」は与党が自民党だからやれる政策であるとも言える。なぜなら、例えば民主党政権時代に厚生労働大臣政務官を務めた民主党山井和則議員はツイッター(2013年5月23日)で「都市部の特別養護老人ホームを待機する高齢者を地方の老人ホームに入居させることを厚生労働省が検討していることの問題点を厳しく批判しました。これは、現代版うば捨て山を、厚生労働省が推進する話で、非人道的です。高齢者の尊厳を汚す暴挙です」と胸を張って堂々と背筋ピーンと批判しているからである。

僕はこの発言はとても民主党らしいと思う。かつて2009年の衆院選民主党マニフェストに掲げていた「高速道路無料化」政策を彷彿とさせるからである。そして言うまでもないが、「高速道路無料化」政策はあっという間に頓挫した。それはなぜか。その政策を実現するための「財源」については民主党は適当な試算しかしていなかったからである(民主党はこの2009年の衆院選では「埋蔵金」があると言っていた)。前述の民主党山井和則議員の発言はこれと全く同じである。つまり、民主党は全く成長していない。民主党山井和則議員は大都市部の「高齢化」に対応するためにかかる費用について一体どれだけ真剣に試算したのだろうか。おそらく皆無(ゼロ)だろう。何も考えずに安易な正義感を振り回しただけではないか。それはあまりにも無責任かつ不真面目なふるまいである。民主党議員に政策を議論できる能力も素質もない。民主党はとっとと潰れたほうがいい。

(ついでに、前述の民主党山井和則議員の発言に対してネットでは「地方馬鹿にしてます?」「つまり地方=姥捨て山ですか」「地方を姥捨山ってどれだけ地方差別してるの?」などの批判が噴出した。*9

政府・自民党がこれから検討を進める「都会から地方への高齢者の移住」の政策について少し考えてみよう。前述の亀田信介氏は同番組で「高齢化」の問題は「東京の問題であってじつは日本の問題ではない」とも述べている。なぜなら、「一般病床の需給率ってのは東京圏は90数%まで行っている。ところが九州、四国というのはまだ50%」だからである。つまり、医療資源は東京では不足するが、地方は余っているのである。また、地方では「高齢化」の時期は既に終わり「人口減少」の時期へ入っているので、地方の医療資源は更に余ることになる。既存の施設を有効活用しない手はない。費用を大幅に削減できるだろう。

また、地方では高齢者の人口が減少し始めたことで、地方で高齢者の介護の仕事をしていた若者が職を失って、介護の仕事の需要がある東京などの都会へ地方から若者が移住し始めていると言われている。その中には、自分が生まれ育った地方に暮らし続けたかったが、仕事がなくなったために止むを得ず東京へ移住した若者もいるだろう。前述の民主党山井和則議員は「都会から地方への高齢者の移住」について「非人道的です。高齢者の尊厳を汚す暴挙です」と果敢に発言していたが、では地方から都会へ移住せざるを得なかった若者たちの「尊厳」は一体どこにあるのかと僕は逆に問いたい。いずれにせよ、高齢者の生活ばかりを優遇する政治はいい加減に止めるべきである。

先週の「世代間格差 若者の間に芽生える「ガラガラポン願望」」(広瀬隆雄)のBLOGOS記事によると、「自分がどんなに頑張ったところで、もう我々世代の暮らしは、好転しない」という深い諦観が、日本の若者の間に定着してしまっているそうだ。それはかつて(2007年)赤木智弘氏が書いた「「丸山眞男」をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争。」と似て非なる感情かもしれないが、1930年代のドイツでナチスが発生した理由を経済学者のハイエクはこう分析している。それはナチスを支持した若者たちは「問題を民主的に解決できるという幻想はまったく抱いていなかった」「多様な人々の要求を序列化するという問題に対して、人間の理性なり、平等の公式なりが、その解答を用意できるという幻想を、およそ信じていなかった」からであると。*10

僕は人間の理性を信じたい。

というわけで、理性の欠片もない民主党はとっとと潰れろ。

(終わり)