池田信夫(アゴラ)と上杉隆の違いが分からない――アゴラもデマ情報だらけ、訂正せよ、サイトを閉鎖せよ

 
旦那 「嫁が『トータルでマイナス』を理解しない。節約しに遠くのガソリンスタンドへ行く」」(痛いニュース、2012年10月31日)を読んでみた。

ところで、東京人(東京在住者)は時々、「地方は車社会化されていて、エネルギーを浪費している。それに比べて、大都会の我が東京は(車ではなくて)鉄道や自転車を利用したエコライフを実践している。東京は地球に優しい(キリッ)。」と生意気な事を語ったりするのだけど、これは間違いです。そう言う東京人は、上記の「嫁」と同じです。

下図は、「都道府県別乗用車部門一人あたり帰属エネルギー消費量」(国土交通省、2004年度)のグラフです。

これ(上図)をみると、確かに、東京都の一人あたりのエネルギー消費量は突出して少ないので、東京人はエコライフを実践しているようにも見えます。でも、これは「車」(乗用車)のエネルギー消費量のみに関してです。「トータル」で見なければなりません。

下図は、「都道府県別家庭部門一人あたり帰属エネルギー消費量」(国土交通省、2004年度)のグラフです。

これ(上図)をみると、東京都は大体、上位7〜10位くらいです。更に、北海道、東北地方、北陸地方の「寒冷地」では、地理的(気候的)条件によって、(主に冬に暖房で)エネルギーを多く消費しなければならないので、この三つの地方を省いてみます(下図)。

これ(上図)をみると、東京都が1位(ワースト1位)です。つまり、東京人(東京在住者)が最もエネルギーを浪費しているのです。東京人は全くエコライフを実践していないのです。東京人は地球に優しくないのです。よって、東京人が交通手段(車か、鉄道や自転車か)だけを取りあげて、他県(地方)のライフスタイルに難癖をつけるのは、みっともないし、恥ずかしいし、道徳的にもおかしいので、そろそろ慎んだほうが良いでしょう。

以上です。

ま、要するに、前に本ブログの「コンパクトシティは地球に優しくない、エネルギーの無駄遣い」の記事で、「コンパクトシティが「地球に優しい」等々かどうかは、全体の集計量(マクロ)から決まるのです。」と書いたように、環境問題やエネルギー問題等を論じる時は「全体の集計量」を見なければならない、という事です。「トータルでマイナス」であれば、全く意味がないのです。そして、これが分からない人は、冒頭の「痛いニュース」の「嫁」と同じです(ワラ)。

さて、同様に、(前に本ブログの「都市貧困と都市計画――Mega-Cities, the Urban Poor and the Place of Planning」の記事でも載せたのだけど)、「アゴラ」のサイトの数学者の辻元(上智大教授)の記事がとても興味深くて、いつも読まさせていただいている身なのだけど、辻元の記事は、いざ「都市」に関する話になると、途端に間違いだらけになるのです。困りますね。ま、1〜2回程度であれば、多少の事は黙認できるのだけど、上記の「嫁」の話と根っこが同じなので、ついでに書いておきましょう。

例えば、辻元はまた今日も「地球の有限性の顕在化と資本主義の機能不全」(アゴラ、2012年11月2日)の記事で、「(前略)現在、ドイツ、フランスに行くと、街全体に路面電車が走っている街が多く、車を運転する必要性が薄い。脱石油のためには、こういった路面電車など、石油を使わない交通機関の整備が必要だろう。マイカーから公共交通機関へシフトすることで、省エネルギーも可能だ。(後略)」と書かれています。これを読んだ読者は、ドイツ、フランスでは「省エネルギー」社会を実現している、日本は西欧という“偉大なる指導者”を崇めて追従しなければならない、と思ったかも知れません(こらこらw)。

下図は、「世界の一人あたりエネルギー消費量(2009年)」のグラフです。

これ(上図)をみると、ドイツ、フランスの「一人あたりエネルギー消費量」は日本よりも多いです。あれ? 不思議ですね。また、「世界の統計 2010」(総務省統計局、→エクセル)によると、「人口千人あたりの自動車保有台数」は、日本が595台であるのに対して、ドイツは623台、フランスは600台です。これも不思議ですね。また、「主要国の外出時交通手段」(社会実情データ図録、2005年)によると、外出時に「自動車」を利用する割合は、日本が43%であるのに対して、ドイツは49%、フランスは47%です。

また更に、「路面電車」に関しても、ドイツは今年(2012年)8月に、運賃を値上げしています。ま、僕も、前は(僕の)別ブログの「ドイツの田園都市」の記事等で、ウィキペディアの「フライブルク」(ドイツ南西部の都市)の項から、「フライブルク環境政策で先進的な都市として知られており、(中略)交通面では都心への自動車乗り入れを制限し、以前より走っている路面電車(LRT)を強化すべく、郊外部への延伸工事を行い、パークアンドライドを整備するなどの諸政策をとった。(後略)」等々を引用したりもしていたのだけど、確か、堀内重人著「地域で守ろう! 鉄道・バス」(2012年)に書いてあったと思うけど、ドイツの路面電車は「赤字」なのです。火の車なのです(←念のため、これは「路面電車」と「火の車」を「車」でかけている面白い洒落です)。前に本ブログの「鉄道の未来学――大都市の鉄道の未来」の記事で、梅原淳著「鉄道の未来学」(2011年)から、「路面電車の事業者はどこも苦しい経営状況が続いていて、LRTへと脱皮させるには資金面で非常に厳しい」と引用したように、路面電車LRT)はそう簡単には経営できるものではないのです。ちなみに、ドイツでは、路面電車の「赤字」を税金(車利用者から徴収したガソリン税)で穴埋めしています。路面電車を走らせるには、相応の覚悟(負担)が要るのです。(もちろん、路面電車は「公共性」が高いので、赤字でも構わないという論理も成り立ちます。僕は路面電車は「赤字になるから駄目だ」と書いたわけではなくて、「路面電車を走らせるには、相応の覚悟(負担)が要る」と書いたまでです。念のため。)

あと、その他に、辻元は「パリの新交通システム」(アゴラ、2012年9月26日)の記事では、「(前略)このようなパリの新交通システムは、現在の日本の交通システムとしては、導入には障害がありそうですが、今後、人口減少が進んだ場合、コンパクトシティに人口を集中させれば、最も適した交通システムになるように思います。(後略)」、それから、「Global Equilibrium(持続可能社会)へのスムースな移行を目指して」(アゴラ、2012年10月27日)の記事では、「(前略)来たるべき未来は、低エネルギー社会である。つまり、次なる移動手段は、最低限の鉄道と自転車あるいは電動スクーターをシェアすることだろう。平衡状態へのソフトランディングのためには、現存する化石燃料を大切に使う必要があるからだ。(後略)」と書かれているのだけど、どちらも間違っています。ま、厳密には(百歩譲れば)「絶対に間違っている」とは言い切れないところもあるのだけど、前に本ブログの「コンパクトシティは地球に優しくない、エネルギーの無駄遣い」の記事で、海道清信著「コンパクトシティ―持続可能な社会の都市像を求めて」(2001年)から、「都市形態は都市の持続可能性に大きな影響を与える基本的な要素である(中略)。都市の持続可能性は、都市形態だけに関わっているわけではないが、エネルギー消費の70%が土地利用計画の影響を受け、交通からの廃棄物は、土地利用計画や政策によって16%削減可能と考えられている。」の部分を引用(孫引き)しています。つまり、「新交通システム」を導入しても、「コンパクトシティに人口を集中」させても、その効果は「16%」にとどまるという事です。

また更に、その本ブログの「コンパクトシティは地球に優しくない、エネルギーの無駄遣い」の記事では、前述の引用に続けて、「(中略)もちろん、「16%削減可能」は十分に有意な数字で、最近流行っている「原発○基分」で換算するとw、原発10〜20基分ぐらいになると思います。それならば、コンパクトシティを推進したほうが良さそうにも見えます。でも、違いますw。」と書いています。それから、「コンパクトシティ」を論じる時には、「交通のエネルギー消費量だけでは不十分で、その他に、建設のエネルギー消費量(コンパクトシティを建設する時に消費されるエネルギー)も考慮に入れなければならない」、「コンパクトシティが「地球に優しい」等々かどうかは、全体の集計量(マクロ)から決まるのです。」とも書いています。ま、要するに、「コンパクトシティ」を建設しても、「トータルでマイナス」であれば、全く意味がないのです(冒頭の「嫁」の話と同じです)。そして、その本ブログの「コンパクトシティは地球に優しくない、エネルギーの無駄遣い」の記事では、前述に続けて、「交通エネルギー・建設エネルギーからみたコンパクトシティの是非」(土木学会 、2004年、坂本京太郎、北村隆一、→PDF形式)の論文から、「コンパクトシティ」の構築は、「明らかにエネルギーの無駄遣いである。」の結論を引用しています。以上です。

と言うわけで、

数学者の辻元(上智大教授)には訂正を、「アゴラ」のサイトの管理者(池田信夫? 誰?)には、サイトの閉鎖を求めます。辻元の「デマ情報」を掲載した責任をきちんととって下さいね。

アゴラ」の執筆者らが、ジャーナリストの上杉隆に求めた事と同じ事を、辻元と「アゴラ」のサイトの管理者に求めます。僕からみれば、辻元と上杉隆の二人は何も違わないですし(やっている事は二人とも同じ)、更に、辻元は冒頭の「嫁」とも同じです。他人(上杉隆)に対して、あれほど厳しく当たった「アゴラ」なら、身内の執筆者陣に対しても、恐ろしいほどの処罰を下すでしょう(wktk)。ではまた(dtbt)。