製造産業都市と中継都市

追記(2012/8/10)

上記の「商店街はなぜ滅びるのか」の記事で、「ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」(1969年)の第4章「都市の成長はいかにしてはじまるか」の「中継都市」(P.152-161)も参照。」と書いたのだけど、引用しておきます(下記)。とりあえず、メモのみ。

■ 中継都市

デトロイトバーミンガム*1は「製造産業都市」として出発した。すなわち、両都市の最初の輸出産業は、その集落で製造したり加工するものだった。もちろん、両都市は交易にも従事したが、最初の交易は、両都市が輸出する製品や、輸出品と交換される財貨やサービスの扱いが中心だった。しかし、商人が独立して存在し、彼らが必ずしも、その集落自体の中で生産されたり加工されたり、その集落の買手に向けられることのない品物も取引する、といった便利な場所になる都市もあり、それらの都市は主に、交易の中心地あるいは中継都市として発展の道を歩む。多くの港湾都市は、中継都市として出発したものだ。同様に、川沿いのとりでや重要な交易ルートの接点に当る内陸の都市も、中継都市として出発した。

 都市の初期の輸出品や、製造産業都市であれ中継都市であれ、その都市の根源となるものは、その後にも都市の性格を規定する、とよく考えられている。しかし、この考えは正しくない。何世紀にもわたって交易都市の「女王の座」を占めてきたヴェネツィアは、中継都市としてではなく、製塩集落として出発した。塩の商人が、製塩の仕事に広範な交易事業を追加したのだ。ロンドンは早くから中継都市になり、おそらく一〇世紀にはそうだったが、広範な交易中心地としての地位は、デトロイトと同様、食品加工に基づいて築かれた。ともかく、ロンドンが若くて小規模だった時の輸出品は塩づけの魚で、それはロンドンで加工された。パリの中継都市としての地位は、ブドウ園とブドウ酒の製造に基づいて築かれ、強化された。

(中略)一都市が製造業中心地として出発する場合、間もなくその都市の商人たちが、広範な中継サービスを追加することになる。また、中継都市として出発する場合には、間もなく交易事業に対する供給産業が、製造産業に追加されることになる。なぜなら、交易はそれ自体の仕事をはかる上で、多くの財貨――たとえば、船舶、馬車など輸送機関、容器、加工産業、加工産業用の道具――を必要とするからだ。

 一二世紀の大規模な中世的市場は、もちろん交易の大中心地で、多くの商人がそこに集った。しかし、それらの市場は製造産業の中心地にもならなかったし、都市にもならなかった。それらの市場は、ごく短命だったことが明らかにされている*2。今日では、トロイよりも話題に上がることが少ない。サウラウト、メシンズ、バースル・アウベ、ラグニーという名前さえ、ほとんど記憶されていない*3。だが、ロンドン、パリ、ハンブルク*4のような中世都市は、そうした市場が現れる数世紀前に、より小規模な交易中心地、おそらく季節的な交易中心地として出発したが、ごく初期の時代に広範な手工業の中心地ともなった。「産業と交易の成長」という抽象的な表現でしか説明されなかった問題は、どうして起るのだろうか。輸出産業と輸出産業に供給する産業とによってもたらされる反復体系による成長理論*5を使えば、何が起ったかを明らかにすることができる、と考える。

 ベルギーの偉大な経済史家、アンリ・ピレンヌは、その著書『中世都市』の中で、ヨーロッパ北西部の粗末な原材料――獣皮、羊毛、塩づけ魚、毛皮――やヴェネツィアを通して東方から集った貴重品を商った一〇世紀の商人たちのことを書いている。ピレンヌによれば、それら商人たちは「放浪と冒険に生きる存在」だった。こうした商人が次のような人たちの間から出現した、とピレンヌは推測している。「あらゆる社会をさすらう放浪民。彼らは修道院*6の施し物で毎日飢えをしのぎ、収穫期には雇われて働き、戦時には軍隊に応募し、必要とあれば略奪、強奪もいとわない。交易の最初の名人たちが探しもとめなければならなかったものが、これら自由気ままな冒険者たちの中にあったことは明らかだ」

(かなり中略)一〇〜一一世紀にかけてヨーロッパの放浪商人たちの身なりは、農民のそれよりはましになったし、そのくつも、中世の貴族たちの使った物よりはき心地のよい物になった。というのも、交易集落の下層階級から生れた機織工や革製品職人は、手工業に専念し始めるようになったからだ。彼らと同様、食肉加工業、小料理店、居酒屋、馬小屋の経営、馬車の製造、たる屋や売春宿に専念する者も現れた。こうして作られた布地や革製品の中には、交易に向ける価値のある物もあった。このようにして、中世の集落のあるものは、単なる交易中心地以上の存在になった、と私は思う。それらの集落は、手工業製造の中心地になろうとしていたのである。*7

 しかし、二つの出来事が、次の段階で全く異った結果をもたらしたのを知ることは、きわめて重要である。商人たち――その中には、後に立派な商人になった者もいたが――が、既存の商売という仕事に、職人という仕事を追加したに過ぎない場合、港や野営地の職人は、商人に対して品物を提供する地元の供給業者にとどまったことだ。これまでと違いがあるとすれば、自分自身が個人的に使っていた財貨に加え、交易される財貨を商人に供給した、ということだけだった。スコットランド*8がこのよい例だった。そこでは、スコットランド自治都市の職人たちが、彼らの製品を既存の商人に供給していた。アンウィンの『経済史研究』によれば中世時代を通して、スコットランド自治都市は、職人の仕事と商人の仕事との分離*9を強制した。この区別が、中世でのスコットランドの産業発展の勢いをそぎ、発展を続けたイギリスやヨーロッパ大陸の小都市と比べても、それら自治都市を弱体にし、経済的に後退させた、とアンウィンが非難している。まさにその通りだ、と私も思う。そのような区別がどうして発展の腰を折りがちなのか、というと、手広く品物を商う商人は、彼らが扱っている特定の財貨を受入れる最上の市場を、見つけだそうとしないからである。一方、特定の財貨を専門に扱っている人々だけが、そうした財貨を受入れる市場の探索に専念するものだ。さらに、新しい仕事が、古い財貨やサービスを扱っている商人たちの興味をひかない場合、そのような区別は、職人たちが、古い仕事に新しい仕事を追加する行為*10をも妨害する。

 インド*11についても心当りがある。インドでは、ヒンドゥー教徒の職人は同じカーストに属していた。一方、商人という仕事は、より一段高いカーストの人々に準備されていた。その二つのカーストの壁を飛越えることは、許されなかった。今日でも(一九六八年当時)、ヒンドゥー教徒の職人は、伝統的に下僕という同じ階級に属している。ここでは下僕とは手工業労働者を示すのだが、中世初期のヨーロッパ都市と同じように、インドでも職人という仕事は、下僕の仕事という古い仕事に追加されたものだ、と私は思う。

 スコットランドやインドで起った区別に対処する道は、職人自身がその製品を商う商人になることだった。パリ、ロンドン、ハンブルクといった中世の都市では、早い時代にこの現象が起ったに違いない、と思われる。自身の手工業製品販売に専念することによって、商人=職人たちは、市場を広げ、従って都市内での生産も拡大することができた。この輸出品の生産増加は、輸出製造産業に対して財貨やサービス、設備や部品を供給した地元の下請け的な職人の成長を助けることになっただろう。(かなり後略)

以上です。

うーん。この記事の最後を、粋(いき)な一言で締めようと思ったのだけど、何も思い浮かばない。ま、僕の今の率直な気持ちは、前に本ブログの「未来の巨大都市に住む人々の暮らしはどうなっているのか」の記事でも書いたのだけど、「ジェイコブズの本ほど一部だけを取り出して引用するという事が難しい本はない(ワラ)。」です(ははっw)。今回も、予想外に引用が長くなってしまった(汗)。ではまた。

*1:本ブログの「未来の巨大都市に住む人々の暮らしはどうなっているのか」の記事参照(「マンチェスターの能率、バーミンガムの非能率」、ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」)

*2:本ブログの「未来の巨大都市に住む人々の暮らしはどうなっているのか」の記事参照(「Wall Street Isn’t Enough」(City Journal、2012年春、エドワード・グレーザー))

*3:試しにそれらの都市名で、ネット(グーグル、ヤフー)で検索してみたのだけど、全く見つからなかった(ははっw)。ある意味、これは恐ろしい事ですw。関連して、本ブログの「アイコンの消失」の記事参照(「破壊されたもの」と「消去されたもの」の違い)

*4:関連して、本ブログの「コンパクトシティは地球に優しくない、エネルギーの無駄遣い」の記事参照(「ドイツ北部のハンブルクの環境都市「ハーフェンシティー」(→動画)」)

*5:本ブログの「未来の巨大都市に住む人々の暮らしはどうなっているのか」注釈17の記事参照(「私が本書で述べた過程」、ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」)

*6:関連して、(僕の)別ブログの「ハイブリッド世界の本質」の記事参照(「エマ修道院Certosa di Firenze)」)

*7:ウィキペディアの「プライベートブランド」の項を参照。少し引用すると、「プライベートブランド(private brand)とは、小売店卸売業者が企画し、(中略)販売する商品である。」

*8:本ブログの「廃県置藩-2」注釈1の記事参照(スコットランド

*9:(僕の)別ブログの「モリスの建築論」注釈4の記事参照(「資本主義的市場経済が発展していく中で分業が進行し、人々がやることがバラバラになっていく。(中略)こうした分業による専門化によって、ものづくりの効率、つまり生産性が上がり、人々の生活水準が上がっていく。けれでもその反面、分業の副作用というものもある。(後略)」、稲葉振一郎著「社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか」)。関連して、本ブログの「超水平と超垂直」(「針と球」の分離、「水平と垂直」の分離)、「アイコンの消失」(「0と1に還元され/物語は幕を閉じる」、→動画)、「リチャード・フロリダ「都市の高密度化の限界」を翻訳してみた」(「多様性の自滅」、ジェイン・ジェイコブズ著「アメリカ大都市の死と生」)、「リチャード・フロリダ「都市の高密度化の限界」を翻訳してみた」注釈10(「効率」と「非効率」、レム・コールハース)、「米Twitter本社はどこに移転したのか」(「僕は(中略)「用途混合型の都市」の都市モデルを勝手に考えている」)等の記事参照

*10:本ブログの「未来の巨大都市に住む人々の暮らしはどうなっているのか」の記事参照(「未来の巨大都市や成長都市に住む人々は、経済的な試行錯誤という変化の多い仕事に携わらなければならなくなるだろう。彼らは、今日のわれわれには想像できないほどの火急な問題に直面することになろう。そして、彼らは古い仕事に新しい仕事を追加していくことになろう。」、ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」)

*11:「himaginaryの日記」のブログの「人類史上最も無謀な政治的実験」(2012年7月28日)と、「インドは超大国になるのか?」(2012年7月29日)の記事参照。とても面白い。