商店街はなぜ滅びるのか

建築のウェブサイト「ArchDaily」の「Rem Koolhaas: A Kind of Architect」(2012年8月7日)の記事より(下記)。

これは「レム・コールハース:ア・カインド・オブ・アーキテクト」(2007年)のYouTube動画(→下の動画)です。「現代建築の最前線にいるレム・コールハースの、刺激的な考察、理論、構造の核心に迫る作品」との事です。ちなみに、このYouTube動画は97分もありますw。僕はまだ観ていないのだけど、と言うか、前に本ブログの「体制維新――大阪都」の記事で、「僕は長時間の動画を観る事がとても苦手です。」と書いたように、ひょっとしたら、このまま観ないかも知れません(こらこらw)。観ます(汗)。


Rem Koolhaas: A Kind of Architect” (2008) filmed by Markus Heidingsfelder and Min Tesch, and produced by Arthouse Films, Rem Koolhaas: A Kind of Architect offers a “thought-provoking portrait of the architect”.

Rooted in theory, Koolhaas, a creative genius, has produced work that completely takes the field of architecture to the next level. At his best, Koolhaas’ projects are so conceptually compelling that his approach, aesthetic and building performance are unmatched. By constantly questioning the norm, Koolhaas can critically analize the existing to create a theoretical model that can be manifested into the physical realm. Although architecture came later in his life, Koolhaas has an innate ability to utilize every componenet of architecture, from circulation to structure, to strengthen his vision.

The documentary, featuring interviews from other architects and friends about Koolhaas, provides a look into his process and his influence on the field.

You can watch the full documentary on the above embed.

以上です。

うーん。先々週頃から、急に忙しくなって、なかなかブログを書く時間が取れません。僕のメモ帳ファイルには、山積みになった記事(ニュース等)と画像と走り書き(覚え書き)が溜まってて、どうしたらこのエントロピーを下げる事ができるのか*1で、さっきから(小一時間ほど)ずっと悩んでしまっています(汗)。ま、ぼちぼちと書き進めます。

それと先週、久しぶりに本屋へ行ったら、OMA+二川幸夫著「OMA RECENT PROJECT OMA 最新プロジェクト」(2012年)があった(「OMA」は、「Office for Metroporitan Architecture」の略、レム・コールハース主宰の建築設計事務所です)。買おうかと思って、手に取って、ぱらぱらとページをめくってみたのだけど、どの「最新プロジェクト」も僕はすでに知っていて、少し悩みました(結局、買わなかった)。ま、どうして僕が「すでに知って」いたのかと言えば、今更でもないけど、それは「ネット」で見たからです。例えば、「OMA」のオフィシャルサイト(→ここ)とか、上記の建築のウェブサイト「ArchDaily」とか。ちなみに、前に本ブログの「Valentine House (バレンタインの家)」の記事でも書いたのだけど、「ArchDaily」は、「世界で最も読まれている建築のウェブサイト」の一つです。それから、今、「ArchDaily」を開いてみたら、一番上(最新記事)に「The Limits of Density」(2012年8月8日、Irina Vinnitskaya)があったw。後で読みます。とりあえず、本ブログの「リチャード・フロリダ「都市の高密度化の限界」を翻訳してみた」の記事参照。あと、「For Creative Cities, the Sky Has Its Limit」(The Wall Street Journal、2012年7月27日、リチャード・フロリダ)も参照。こうして、情報がまた溜まる(ははっ…)w。ま、いずれにせよ、本屋(の建築書のコーナー)には、僕が学生だった頃(今ほどネットが普及していなかった頃)のあのウキウキ感はすでにない。本屋からアウラが消滅した。ま、それでも、僕の通勤時間は「読書の時間」なのでw、何冊か「タイトル買い」して帰った。

そして今週、その中の一つの、社会学者の新雅史の新著「商店街はなぜ滅びるのか――社会・政治・経済史から探る再生の道」(2012年)を読みました。でも、この本は何かとおかしい。とくにP.40〜P.42がひどいです。怒り心頭です。ま、この本の帯に「上野千鶴子氏推薦!」と書かれていたので、嫌な予感はしていたのだけど、的中した*2。日本にまともな「社会学者」は一人もいない。上の世代がおかしいので、下の世代が育たない悪循環に陥っているに違いない。と言うわけで、今日はこの本に対する反論をブログに書くつもりだったのだけど、この本が「クソ本」であるという僕の評価は変わらないにせよ、この本の結論(新しい「商店街」の構想)が、僕が前にブログに書いた事*3と全く同じなので、再び悩んでしまっています(汗)。結論(方向性)が同じであれば、反論する必然性はないからです。うーん。ま、でも、都市の「本質」に関わる事については、書いてもいいのかも知れません。(「商店街はなぜ滅びるのか」と言えば、答えは簡単で、商店主が何も創造(イノベーション)をしなかったからです。商品を右から左へ(生産者から消費者へ)流すだけで地域の「商店街」が維持(持続)できると考えるのは虫が良すぎです。関連して、茂木健一郎のツイートをまとめた「直接性の時代において、中間に立つ者は何をすべきか」(トゥギャッター、2012年8月8日)を参照。あと、ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」(1969年)の第4章「都市の成長はいかにしてはじまるか」の「中継都市」(P.152-161)も参照。)

あと、僕の日本の「商店街」に対する基本姿勢は、前に(僕の)別ブログの「Kinkyo-2」の記事と、本ブログの「コンパクトシティは地球に優しくない、エネルギーの無駄遣い」の記事で書いたように、「車社会化された現代で駅前商店街が衰退したとしても嘆くことでもない」です。ま、もちろん、これは「極論」なのだけど、前に本ブログの「超水平と超垂直」の記事で、ジェイン・ジェイコブズ著「アメリカ大都市の死と生」(1961年)から引用したように、「甘ったるい善意」(P.134)に働きかけるべきではないし、また、前に本ブログの「TPPの賛否」の記事で書いたように、「過剰に法規制することで外形(輪郭線)を取り繕おうとするのは下の下の下策」なのです。詳しくは、そのうちブログに書きます。と言うか、今、ブログを書いているうちに、テンションが上がってきた(ははっw)。ま、いずれにせよ、上記の本(「商店街はなぜ滅びるのか」)には、一方では、僕が全く知らなかったような事もたくさん書かれていて、いい勉強になりました。乱文失礼。以上です。

ではまた。

(追記(2012/8/10)。下記に「製造産業都市と中継都市」の記事を付け足しました。上記のジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」(1969年)の「中継都市」(P.152-161)の引用(のみ)です。)

*1:本ブログの「鉄道の未来学――新幹線の未来(の続き)」の記事参照(「人間にはエントロピーを下げる特殊な能力があり、人間が創造力を発揮することで再び文化が多様化し、エントロピーが下がるのです。」、月尾嘉男著「環境共生型社会のグランドデザイン」)

*2:(僕の)別ブログの「イオンレイクタウン-2」の記事参照(上野千鶴子

*3:(僕の)別ブログの「東日本大震災からの復興とハワードの田園都市」(「まちづくり会社」)、本ブログの「TPPの賛否」(「新しい仕組みをつくる」)の記事参照。少し引用しておくと、「高松丸亀町」の商店街は、「既存の商店街を「ショッピングモール(のような場所)」に造り変えている」