世界最古の都市遺跡――カタル・フユク(Catal Huyuk)は語る

 
「全ての言語はトルコに通ず」?英語もヒンディー語もルーツは同じ、国際研究」(AFPBB News、2012年8月28日)より。


 英語もヒンディー語も、ロシア語もイタリア語も、みんな起源はトルコ――。こんな国際チームの研究結果がこのほど英科学誌ネイチャー(Nature、→上の動画)に発表された。疫病流行の追跡用に開発されたコンピューター・モデルを使って言語の進化をさかのぼったところ、数百種類のインド・ヨーロッパ語の発祥地は全てトルコに行き着いたという。

(中略)今回の研究では現代語と古代語の双方について、共通する単語(同根語)の大量なデータベースを構築した。たとえば「母」という単語は英語では「mother」だが、オランダ語では「moeder」、スペイン語では「madre」、ロシア語でが「mat」、ギリシャ語では「mitera」、ヒンズー語なら「mam」となる。それから、これらの単語のルーツをたどって言語の「系統樹」を作っていったところ、トルコが共通の祖先だということが分かったという。(後略)

面白い。と言うのも、前に(僕の)別ブログの「都市の原理」の記事で、都市思想家のジェイン・ジェイコブズの著書「都市の原理」(1969年)について、「(前略)早速、第1章「初めに都市ありき――そして農村が発展する」まで読んだ。前に(僕の)別ブログの「雑記6」の記事の注釈6で、この本によると「典型的な「農村」の活動と思われるものも、最初は「都市」で生まれた後、周辺の地域に広がっていったそうである。」と書いたのだけど、その理由(根拠)が「ニュー・オブシディアン」と名づけられた架空の都市(→イメージ画像)の細密な描写(推論)から説明されている。」と書いたのだけど、この「ニュー・オブシディアン」にはじつは実在した都市のモデルがあるのです。その都市の名は「カタル・フユク*1」(Catal Huyuk)で、時代は紀元前7500年頃で、そして場所は(現在の)“トルコ”にあったのです。上記のニュースを読んで、この「カタル・フユク」の話を思い出しました。これは偶然の一致ではないと思います。とても不思議な気がします。。

一般的には、人類の発祥地はアフリカである、と言われているのだけど、もし言語や都市の発祥地がアフリカではないとしたら、その間に一体、人類に何があったのか?がとても気になりますw。いずれにせよ、今後の研究によって、明らかになる日が来るでしょう。とりあえず、以上です。

この「カタル・フユク」の画像を今、ネットで(「Google画像検索」で)ぱっと集めてみたので、参考資料として載せておきます(下図)。

■ 「カタル・フユク」の想像図(イメージによる復元図)

関連して、(僕の)別ブログの「機能から構造へ-3」の記事では、建築家の黒川紀章の著書「都市デザイン」(1965年)から、「(前略)都市が基本的な骨組(インフラストラクチャー)なしで成立できると考えるのは、オランダの建築家ヴァン・アイクである。彼は、現代の都市を、中世の広場のようなコア(核)や、巨大なスケールのインフラストラクチャーなしで、身近な住空間の集積としてつくっていけないものかと考えている(中略)。彼は、「都市は大きな住宅であり、住宅は小さな都市だ」という。そして、彼の空間的イメージは、アメリカ・インディアンの都市プエブロにあるらしい。」の部分を引用しています。ま、要するに、建築史において「機能主義建築」から「構造主義建築」へ移行した時には、都市のルーツ(原点)が参照された、という事です。また、ウィキペディアの「構造主義」の項によると、「構造主義」とは、「狭義には1960年代に登場して発展していった20世紀の現代思想のひとつである。」との事なので、ある意味、ジェイン・ジェイコブズの著書「都市の原理」が1960年代に書かれた(初版は1969年)という事も、偶然の一致ではないのかも知れません。21世紀の現代の日本が「複雑に混ん絡がった社会」*2であるならば、思考実験として社会の「原点」へ回帰*3してみるのも一つの手であると思います(たぶん)。

■ 「カタル・フユク」の遺跡

「カタル・フユク」の遺跡の発掘調査は現在進行中です。。

これ(上図)はじつは「玄関」です。2階(屋上)から居室へ入るという面倒なつくりになっているのです。出入りが大変そうだけど、それだけ侵入者(外敵)も入りにくいという事です。これは自分や家族の安全を守るための一つの知恵なのです(と言われています)。

これ(上図)は牛を狩猟している絵(壁画)です。でも、分かりにくいので、絵(壁画)の復元図のほうを載せますw(下図)。

これ(上図の3枚)は鹿を狩猟している絵(壁画の復元図)です*4。僕はこういう絵は大好きですw。また、彼らが「狩猟社会」を形成していた事が分かります。しかも、彼らは「都市」を形成していた(定住していた)のです。あと、ネットで僕が調べてみた限りでは、彼らが「農耕」をしている絵(壁画)はなかったです。*5

ま、でも、一応、前述の(僕の)別ブログの「都市の原理」の記事では、「(ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」の第1章「初めに都市ありき――そして農村が発展する」を)読んでいるうちに段々、「都市が先か、農村が先か」はどっちでもいいのではないか、と思えてきた(ワラ)。まるで「鶏が先か、卵が先か」のような話である。でも、「農村が先」である(農業が都市に先行する)事を示す証拠はない、という事は分かった。(中略)ジェイン・ジェイコブズはこの本(「都市の原理」)で、「都市が先」であると論じている(別の書き方をすると、ジェイン・ジェイコブズは「狩猟社会農耕社会→都市」ではなく、「狩猟社会→都市→農耕社会」だ、と論じている)。ま、もちろん、「都市が先」である事を示す証拠も乏しいので、ジェイン・ジェイコブズは架空の都市(「ニュー・オブシディアン」)から論理式的に歴史(社会の形状誌)を描いてみせる、という方法を採ったのです。」とも僕は書いたのだけど、えーと、(僕のメモ帳ファイル*6を物色中…)、あ、あったw、「石器時代の農耕民族、北上して農業と遺伝子を伝える 欧州研究」(AFPBB News、2012年5月2日)の記事によると、「石器時代の人類のDNAを分析した結果、農耕民族は地中海地域から北へ移住して広がり、狩猟採集民族と交わっていった可能性が高いとする研究論文が27日(2012年4月27日)の米科学誌サイエンス(Science)に掲載された。(中略)その結果は、農耕技術が南欧の地中海地域に暮らしていた人々から北方の狩猟採集民族に伝えられたことを示すものだったという。研究チームがDNAを分析した農耕民族と狩猟採集民族は、同時期に400キロと離れずに暮らしていた。(中略)分析の対象となった石器時代の2つのグループは全く異なった遺伝的特徴を持っていたが、1000年以上にわたって隣り合って暮らしたことで最終的には交わるようになったと述べた。(後略)」との事です。ま、詳しい事は僕には分からないのだけどw、ジェイン・ジェイコブズが描いてみせた「論理式的な歴史(社会の形状誌)」は必ずしも正しいとは言えない、という可能性もあるようです。いずれにせよ、今後の研究によって、明らかになる日が来るでしょう。

「都市」は「いつ」(when?)、「どこで」(where?)、そして、「なぜ」(why?)生まれたのか。「都市」を語る上で、これほど深遠なテーマはないでしょう。(僕はとても興味があります。)

ではまた。

*1:ウィキペディアの「カタル・フユク」の項から少し引用すると、「カタル・フユク」は、「アナトリア地方南部、現在のトルコ共和国コンヤ市の南東数十km、コンヤ平原に広がる小麦畑をみおろす高台に位置する新石器時代から金石併用時代遺跡である。その最下層は、紀元前7500年にさかのぼると考えられ、遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡と称されることもある。」との事です。

*2:前回の「もし建築が「リボン」を付けたら――Architecture of Ribbon」注釈5の記事参照(「複雑に混ん絡がった社会だ」、→動画

*3:(僕の)別ブログの「メモ-2」、本ブログの「田園都市は「自給自足」ではない」の記事参照(「(前略)あらゆる秩序を無に帰した後で、新しい秩序を築くことを可能にするような諸原理をどのようにして見出せるのか――われわれはそれを、ルソーのお陰で知ってるのだから。」、クロード・レヴィ=ストロース著「悲しき熱帯II」(1955年)の第9部「回帰」より。)

*4:ちなみに、今、こういう壁画のような絵を描いていた現代アーティストの「マン・アボット」という人がいたよなと思って(ネットで)調べてみたら、驚いた。実在していなかった。詳しくは、「マン・アボットについて知りたいのですが」(教えて!goo、2005年4月25日)を参照。この本の第5話も参照。関連して、前回の「もし建築が「リボン」を付けたら――Architecture of Ribbon」注釈8の記事参照(「フェイク」、→動画

*5:一応、ウィキペディアの「カタル・フユク」の項から少し引用すると、「カタル・フユク」では、「(前略)人々は農業を行い家畜を飼っていたことが明らかになっている。女性の土偶は、小麦や大麦を貯蔵する室の中で発見される。小麦や大麦の他には、エンドウマメ、アーモンド、ピスタチオや果物などが栽培されていた。牛や羊の骨が見付かっているのは、動物の家畜化の始まった証拠として考えられている。しかしながら、(中略)狩猟で得られる動物の肉はなお重要な食料であり続けた。土器を作り、黒曜石で石器を作ることが主要な「工業」であった。黒曜石でできた石器は、地中海産の貝やシリア産のフリントなどの物資と交易を行うために用いられたと考えられる。」との事です。ま、もちろん、この事から「都市が先か、農村が先か」の答えは分からないです。ジェイン・ジェイコブズの「ニュー・オブシディアン」でも、農業や家畜は(「都市」が形成された後に)新しく追加(イノベーション)された仕事として描かれています。ちなみに、「オブシディアン」とは黒曜石(obsidian)の事です。その理由は、そのうち詳しく書きます(たぶんなw)。

*6:本ブログの「商店街はなぜ滅びるのか」の記事参照(「僕のメモ帳ファイルには、山積みになった記事(ニュース等)と画像と走り書き(覚え書き)が溜まってて、どうしたらこのエントロピーを下げる事ができるのか(後略)」)。これは本当に困っています。最近では、「メモ」するよりも「暗記」(記憶)したほうが早い(効率が良い)ような気がしていますw。別にヤケになっているわけではなくてw、本当にそんな気がしているのです。そもそも僕が「メモ」をとるようになったきっかけは、僕が新社会人だった時、仕事の打ち合わせで「メモ」をとらないでいたら所長に怒られたからだった、という事に気づいたからです。それから、最初は「メモ」をとるふりをしていたのだけど、そのうちに「メモ」に頼るようになって、やがて「メモ」なしでは記憶できなくなっていたわけです(ワラ)。ま、要するに、ウィキペディアの「脱構築」の項にあるように、「エクリチュール(書き言葉)は文字であるから、人の記憶を保つとともに、記憶しようという意志を奪い取る。ここに、エクリチュールのもつ「薬」でありかつ「毒」のパルマコン的意味合いがある(後略)」という事なのです(ほんとか?w)。関連して、(僕の)別ブログの「ハイブリッド世界の本質-2」、「やりかけの未来がある」の記事参照(エクリチュールは「「薬」にも「毒」にもなる」)。ちなみに、ウィキペディアの「文字の歴史」の項によると、「原文字」(proto-writing)が出現したのは紀元前7000年頃で、最初の「文字体系」が発明されたのは紀元前4000年頃との事です。