写真でみる田園都市レッチワースの移り変わり

 
社会改良家のエベネザー・ハワードが建設した「田園都市レッチワース」(1903年着工)の写真を集めてみた。前に本ブログの「速水健朗著「都市と消費とディズニーの夢――ショッピングモーライゼーションの時代」を批判する」の記事で、「エベネザー・ハワードが「明日の田園都市」(1902年)を出版した当時は、自動車はまだ全く普及していません。」と書いたのだけど、モータリゼーション(自動車化)によって、田園都市レッチワースの街並みはどのようにして移り変わっていったのだろうか。

と言うわけで、ネットで(「Google画像検索」で)簡単に調べてみた。

では、えーと、

まず最初に、前に(僕の)別ブログの「Googleplex & iSpaceship」の記事で載せた、「田園都市レッチワース」の写真です(下図)。場所は、レイズ・アベニュー(Leys Avenue)です。その記事では、「僕が好きな写真です。」と書いています。人が映っていると、その時代の雰囲気が一挙に伝わってきます。いい写真です。

次は、前回の「田園都市は「自給自足」ではない」の記事の「【おまけ】」で載せた、テレビ番組「The One Show」(英BBC)の「Short film about Letchworth Garden City」(2009年放送、→動画)に出てきた、田園都市レッチワースのパブ「The Skittles Inn」(1907年開業)の写真です(左下図)。馬にまたがっています。自転車もあります。

 

右上図は、上記(英BBC)の動画に出てきた、田園都市レッチワースの、スピレラ社のコルセット工場(Spirella Building1920年竣工)の写真です。建設中の1913年の写真です。現在のこの工場の写真はここ(→写真)参照。えーと。鈴木博之他著「奇想遺産〈2〉世界のとんでも建築物語」(2008年)の「田園都市レッチワース」(所在地:ハートフォードシャー州レッチワース、創設年:1903年、計画者:エベネザー・ハワード)の項から少し引用すると*1、「(前略)暮らしに重きをおくハワードの田園都市の思想には、世界中から共鳴者が相次いだ。資本主義と社会主義の激突が案じられる世相にあって、現実調和的な運動への支持である。米国人実業家は、に近い一角にコルセット工場を建設、女性を中心に住民を従業員として雇用、職住近接を直接後押しした。近隣の女性たちの手によるコルセットは英国全土で人気を呼んだ。」(松葉一清、P.38)との事です。

また、「Letchworth Garden City Heritage Foundation」の「レッチワース・ガ―デンシティー小史」のページによると、「(前略)始めのうちは、レッチワースにビジネスを呼び寄せるのに困難を要しましたが、町の産業は次第に繁栄し始めたのです。スピレラ・コルセットファクトリーで有名なスピレラ・ビルディングは1912年から1920年の間に建設され、地元の雇用のかなめとなっていきました。」との事です。それから、「グローバル新時代の都市開発 〜持続可能都市(サステイナブルシティ)に関する研究〜」の第3回「未来の「田園都市型サステイナブルシティ」」(2010年8月11日、瀧山幸伸)のページによると、「(前略)1920年にスピレラ社のコルセット工場が駅近くに竣工した。工場の外観は大きなカントリーハウス風にデザインされている。コルセットはその後需要が無くなり、1980年代に工場が閉鎖されてオフィスに転用された。(田園都市レッチワースの)もう一つの主要な工場は消防車やゴミ収集車などの特殊自動車メーカーで、1922年から1990年まで操業した。多くの軽工業も進出したが、レッチワース最大の雇用者は、米国IBMと同じ源流の計算機会社であり、1920年から今日まで操業を継続している。「職住近接」はハワードが提唱した重要な理念であったが、(中略)田園都市は産業都市と同じ経済価値で競走せざるを得ず、(中略)「職住近接」の理念の実現が最も難しい課題であり続けた。」との事です。うーん。

ま、少し話がややこしくなるかも知れないけどw、僕は前に(僕の)別ブログの「ノエル」の記事で、田園都市は「事実上、失敗した」と書いています。都市建設(都市論)は、常にトライアル&エラーなのです。また、ついでに、コルセットの需要が無くなってしまったのは、言うまでもなく、女性の下着がコルセットからブラジャーへ移り変わってしまったからです。そして、そのブラジャーがどのようにして生まれたのかについて、都市思想家のジェイン・ジェイコブズは著書「都市の原理」(1969年)で詳細に論じています(P.60-)。なぜならジェイン・ジェイコブズの関心がブラジャーはどのようにしてイノベーション(創造)されたのか、という事にあるからです。前に本ブログの「米Twitter本社はどこに移転したのか」の記事で書いたように、「イノベーション(創造)こそが都市の本質であり、都市のエネルギーの源泉である」のです。あ、いつの間にか、話がそれてしまったけど(汗)、話を元に戻すと、下図はスピレラ社の当時の広告の写真です。
 

では、次。田園都市レッチワースの1911年の写真です(下図)。まだ馬車です。これは「乗合馬車」で、現代の「バス」に相当します。

次は、1912年頃の写真、ではなくてw、絵です(下図)。絵葉書かな。

次は、1920年の写真です(下図)。場所は、冒頭(一番上)の写真と同じレイズ・アベニュー(Leys Avenue)です。自動車とバイクが走っています。モータリゼーション(自動車化)の始まりです。

次は、1922年の写真(下図)。これも、レイズ・アベニューです。と言うか、このレイズ・アベニューで「定点観測」(?)していますw。

1924年の写真(下図)。

1925年の写真(下図)。

1936年の写真(下図)。自動車の交通量が一気に増えたような気がします。ま、気のせいかも知れない。

1955年の写真(下図)。現代に似てきた。

1969年の写真(下図)。車のデザイン(車体)が丸っこいけど、現代の街並みにかなり近い。古いカラー映画にありそうなシーンです。

では、一気に現代へ飛びます(こらこらw)。2010年の写真です(下図)。冒頭の記事にも載せています。場所は、レイズ・アベニューに面した広場(Leys Square)です。(レイズ・アベニューは写真の手前(左)側です。)

ところで、上図と同じ場所の「Googleストリートビュー」の写真はこれです(下図)。イギリスで「Googleストリートビュー」が実施されたのは2009年らしいので、これは2009年の写真です(ほんとか?w)。「Googleストリートビューカー」(撮影車)が通った後に、かなりリニューアルされたようです。全然、雰囲気が変わっています。なんということでしょう!!(←大改造!!劇的ビフォーアフターのナレーション風に)w

路面の色が明るいと、街の雰囲気も明るくなるのかも知れない。(僕の)別ブログの「美しい景観-2」の記事参照。

では、別の写真を左右で(同じ場所で)並べてみます。左は2010年の写真、右は2009年の「Googleストリートビュー」の写真です(下図)。これも、レイズ・アベニューです。

 

レイズ・アベニューを通りの反対側からみた写真です(下図)。前同。リニューアルしても、車道は一車線(一方通行?)残していると思います(たぶん)。少なくとも、業務用、緊急用、身障者用、等々の車両のために車道は必要だろうと思います。

 

以上です。

約100年間(1世紀)の移り変わりを超ダッシュでみてきたわけだけどw、これでおしまいです。ま、でも、2009年→2010年のリニューアルで、ここまで街並みの雰囲気が変わるとは、「デザイン」の力でここまで変わるとは驚きです。「デザイン」の力は侮れない。計画段階のスケッチパースはこれ(→これ)らしい。と言うか、今回の記事の本来の趣旨のモータリゼーション(自動車化)の話はどこかへ行ってしまったようだ(ははっw)。

ま、いずれにせよ、都市環境をそれぞれの時代環境ごとで柔軟に変化させているという事が上記の一連の写真から分かります。「田園都市レッチワース」はこれからも変化し続ける事になるのでしょう。私たちが生きているように、都市もまた生きているのです(キリッ)。ま、もちろんその過程(プロセス)は必ずしも一筋縄では行かず、多くの試行錯誤(トライアル&エラー)を積み重ねる事になるのだろうけど、それでも、「より良い環境に暮らしたい」、または、「より良い環境を皆で共有したい」という人々の自然の想いは、決して止(とど)まる事はないでしょう。関連して、(僕の)別ブログの「東日本大震災からの復興とハワードの田園都市」の記事参照。本ブログの「TPPの賛否」(「高松丸亀町」の商店街)、「堺屋太一の「大阪10大名物」についてのメモ書き」(「道頓堀川をプールに」)*2の記事も参照。ではまた。

【追記】

下図は、(自動車を含む)耐久消費財の世帯普及率の推移(1900年-2005年)を表したグラフです。「The 100-Year March of Technology in 1 Graph」(The Atlantic、2012年4月7日、Derek Thompson)より。(注意:これはイギリスではなくて、アメリカのデータです。)

あと、都市史において極めて重要で、その時代を代表しているような書物(論文)を上図に入れてみた。年代順に、エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)、クラレンス・ペリーの「近隣住区論」(1924年)、ル・コルビュジエ著「ユルバニスム」(1925年)、丹下健三の「東京計画1960」(1959年-1961年)、ジェイン・ジェイコブズ著「アメリカ大都市の死と生」(1961年)、レム・コールハース著「錯乱のニューヨーク」(1978年)です。それぞれの書物(論文)が書かれた時代には、どのような耐久消費財がどの程度普及していたのかが見て取れます。(ま、もちろん、これはアメリカのデータなので、あくまで目安程度ですw)。追記は以上です。

(追記(2012/8/22)。下記に「マンハッタンのビフォー・アフター」の短い記事を付け足しました。)

*1:(僕の)別ブログの「明日の田園都市」の記事参照(同書)

*2:道頓堀川に全長1kmのプールをつくる「道頓堀プール」計画始動…利用料金は1時間1000円」(痛いニュース、2012年8月11日)を参照(→画像)。「大阪で「道頓堀プール化」というトンデモ計画が動き出した」(NAVERまとめ、2012年8月1日、黒シャチ421さん)も参照。ま、そのNAVERまとめの関連リンクに僕の拙ブログ(「未発育都市」)があるのだけどw、「道頓堀プール」化への反対意見が多すぎます。完成したら、僕は道頓堀へ行きます(キリッ)。関連して、茂木健一郎のツイートをまとめた「やっぱ、東京オリンピックやろうぜ!」(トゥギャッター、2012年7月28日)を参照。あと、黒シャチ421さんのNAVERまとめがとても面白い。「日本最古の木造校舎「吹屋小学校」について調べてみた」(2012年3月21日)、「廃線になった高架線路を使った「空中公園」がステキ♪」(2012年4月13日)、「世界ランク上位なのに無名扱いされたナガシマスパーランド」(2012年6月24日)、等々。ついでに、その3つ目のまとめによると、「世界のテーマパーク 年間入場者数TOP20」のトップ1位〜8位をディズニーが独占しています(ははっ…)。関連して、(僕の)別ブログの「ハイブリッド世界の本質-2」注釈10(「外国人からの注目度が高かった意外な日本の観光名所ランキングトップ20」、GIGAZINE、2009年4月9日)、「雑記&まとめ」(「フランスで「ユーロ・ディズニー」以上に人気があるテーマパーク」、NHKワールドレポート、2010年10月18日放送、→動画)の記事参照。うーん。ま、でも、僕の場合は、テーマパークへ行きたいから旅行するのではなく、旅行がしたいからテーマパークへ行く、というケースが多いです(どんなだ?w)。乗り物に乗って、移動するのが好きなのです(→動画動画)。もちろん、ネットブラウズも大好きです(ははっw)。本ブログの「追記(2012/6/3)」の記事参照(「Tell Your World」、→動画動画