【動画】廃村――abandoned village

 
福井県南条郡南越前町菅谷

「廃村 菅谷 the Abandoned Village」(2011年9月11日、IAmPlayingNow)のYouTube動画(→下の動画)。


お盆には元住民のご家族ご子息が戻って来られていたようでお墓にはキレイに花が供えてありました。

(上記の枠内の文章は、動画を撮影(アップロード)された方が、その動画に付けたコメントです。以下、同じ。)

福井県大飯郡おおい町名田庄永谷

「廃村 永谷 Visit the abandoned village」(2010年8月11日、IAmPlayingNow)のYouTube動画(→下の動画)。


福井県某所にひっそりと存在する村。電力会社の開発により立ち退きを余儀なくされ離村に至ったようです。しかし開発は計画が白紙となり、美しい山間には虚しい風が吹いています。数戸の家屋、そして寺院、神社が現存しているものの朽ち果て土に帰る時はそう遠くないように思えます。

(追記。Googleマップ(空撮)の画像も入れてみた。)

滋賀県彦根市男鬼町

「廃村 男鬼 Visit the abandoned village」(2011年6月29日、IAmPlayingNow)のYouTube動画(→下の動画)。


廃村とは思えないほど普通の山村の様相です。日本の田舎と言えばこの村の様にのどかで綺麗な小川が流れ小鳥がさえずる風景です。日本家屋が立ち並ぶ美しい景観は廃村の寂しさをふと忘れさせます。

(ちなみに、上記の滋賀県彦根市男鬼町に隣接する武奈町米原市榑ケ畑(落合集落)も廃村になっているそうです。「廃村 武奈 Visit the abandoned village」(2009年8月9日、IAmPlayingNow、→動画)、「廃村 霊仙落合 Visit the abandoned village」(2009年6月29日、IAmPlayingNow、→動画)を参照。)


滋賀県犬上郡多賀町(桃原集落)

「ギリギリ廃村でない桃原集落 Visit the depopulation village」(2009年7月4日、IAmPlayingNow)のYouTube動画(→下の動画)。


村へ至る道は急勾配の林道1本。山へ分け入るその道の突き当りに桃原はあります。生活するには非常に厳しい環境。この村に住んでおられる方は何人だろうか。殆どが廃屋となり過疎を超えた限界集落になっています。廃村の運命は避けられないように思います。

(この桃原集落は、上記の滋賀県米原市榑ケ畑(落合集落)のふもと(南西に約3キロのところ)にあります。「限界集落」に関しては、本ブログの「Googleマップ(空撮)で「限界集落」の写真を集めてみた(メモ)」の記事参照。)

■ 埼玉県飯能市上名栗(白岩集落)

秩父山奥で突然【廃村】と出くわした時の恐怖は異常」(2012年6月17日、紳吾 岡田)のYouTube動画(→下の動画)。


さてさて、昨日のビデオカメラレビューの予告通り今日はSONYHDR-PJ760V空間光学手ブレ補正 機能の実験という名目で、ハイキングに自主映画監督仲間の"成田空港"と出かけました。
楽しいハイキングになるはずが、山頂に近づくと事態は一変。

突然目の前に現れたのは、廃墟。廃村。恐怖。ホラー。サスペンス。虫。。。

(この白岩集落の近くには、「武蔵白岩鉱山」(石灰の採掘場)があります。秩父一帯は石灰(セメントの原料)の生産地です。)

以上です。

ところで、この「手ブレ補正」機能はすごいですよね。前に本ブログの「【車載動画】太平洋ベルト地帯(東海道メガロポリス)」等々の記事で、【車載動画】を載せているのだけど、映像が全然ブレていないのです。うっとりするくらいに、動きが滑らかなのです。前に(僕の)別ブログの「宇宙戦争」の記事で、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「宇宙戦争」(2005年、→動画)のヘボい感想文を書いているのだけどw、この映画では、わざと(臨場感を出すために)「手ブレ」するカメラで撮影していた、という事をなぜかふと思い出しました(なぜだ?)。うーん。ま、要するに、「手ブレ」がリアリティ(リアリズム)の一つの形式である(あった)、という事なのだと思います。例えば、本ブログの「Picture Book House (絵本の家)」等々の記事で書いているように、僕は「アイコン建築」のドローイングをわざと「ドット絵」的に描いているのだけど、これもリアリティの一つの表現形式であるからです(念のため、僕は普通程度には3D-CGソフトを使えますw。建築パースも描いています。また、「ドット絵」を描く時でも、まず先に3D-CGソフトで下絵を作ってから、その上を「ドット絵」になるようにトレースしているのです)。このように、わざと粗く表現する、という事で獲得されるリアリティがあるのです。関連して、(僕の)別ブログの「Fabricated Space」の記事と、本ブログの「Valentine House (バレンタインの家)」の記事の注釈4を参照(「建築家のビャルケ・インゲルス(「BIG」)の建築は、(中略)荒っぽさが、とても魅力的(→動画)」)。あと、(僕の)別ブログの「ハイブリッド世界の本質-2」の記事の注釈21で載せた、「ユナイテッドヌード」の「Lo Res Project」(2010年)か、「【今日の1枚】元の車はなんでしょう?」(ギズモード・ジャパン、2010年7月17日)を参照。これは、わざと解像度を下げる(ポリゴン数を減らす)、というデザインですね。あと、本ブログの「津波のような建築――Disaster Prevention and Education」の記事で載せた、「奇妙奇天烈摩訶不思議なデザインのタワーがソウルにできます」(ギズモード・ジャパン、2011年12月19日)の高層ビルでも、設計者のMVRDVは、わざと「ドット絵」的な表現にしているのです。これらのような「わざと」する態度は、一見、変に「ひねくれた」態度にも見えるかも知れないけどw、でも、これは20世紀を代表する建築家のル・コルビュジエの「モダニズム」以来の伝統(流儀)でもあるのです。簡単に言えば、絵画での「印象派」や「キュビスム」等のモダニズム絵画と同じで、どちらも絵画を本物そっくりに(精巧に)描く事を良しとした「写実主義」的なリアリズムを否定していたのです。ちなみに、その背景にあった理由の一つとして、19世紀に写真(カメラ)が発明・普及したからだ、とも言われています。写真(カメラ)の登場によって、画家が「本物そっくりに」描く事の価値がなくなってしまったのです。と言うわけで、最初の「手ブレ補正」機能(付きのカメラ)の話とここで繋がってくるのです。やや強引だったかも知れないけど〜

〜と、今回の記事のテーマの「廃村」と全然関係のない事を長々と書いてしまったけど(ははっw)、えーと、記事のタイトルの副題に入れる「廃村」の英訳をどれにするかで少し悩みました。調べてみると、「ghost town」、「deserted village」、「village without inhabitants」等々とあったのだけど、どれもいまいちピンと来なかったので、上記のYouTube動画をアップロードして下さった「IAmPlayingNow」さんの英訳にしました。ウィキペディアで「廃村」で検索すると、すぐ「ゴーストタウン」に転送されてしまうので、「ghost town」の訳が一般的なのだろうとは思います。また、YouTubeで「廃村」で検索すると、心霊現象や怪奇現象の動画がたくさん見つかるので、やはり、「廃村」は「ghost town」でいいのだと思います(ワラw)。ちなみに、僕はホラーやサスペンスは大の苦手です。YouTubeの小さなサムネイルに怖い画像が映っているだけでも駄目なので、「廃村」で検索するのは結構、勇気がいりました。また更に、「廃村」の動画でも、その動画のコメントに「○分○秒に顔が映っている」とか、「○分○秒、白い影が通りすぎた」とか、そういう怖い事を書くのは本当に止めて下さいね。もちろん、そういう疑いのある動画は、全て上記の動画のリストからは外しています。絶対に載せません。嫌です(怖いから)。僕は「廃村」について、冷静かつ客観的に分析がしたいだけなのです(泣)。ではまた(ははっ…)。

【補足】

今回の記事のテーマと関連して、本ブログの「アイコンの消失」の記事の注釈3と、「未来の巨大都市に住む人々の暮らしはどうなっているのか」の記事の注釈6を参照(「デトロイトの廃墟ガチ異常」(ハムスター速報、2011年1月23日))。本ブログの「無人のモール内に響く音楽」の記事参照(「限界まで寂れたショッピングモール散策」(Yahoo!映像トピックス、2012年8月16日、→動画))。あと、本ブログの「製造産業都市と中継都市」の記事の注釈3を参照(「(前略)サウラウト、メシンズ、バースル・アウベ、ラグニーという名前さえ、ほとんど記憶されていない。」)。「デトロイト」については、そのうち詳しく書きます(ほんとか?w)。以上です(ドタバタ)。

【追記】

上記の「過疎」と関連して、前に本ブログの「Googleマップ(空撮)で「限界集落」の写真を集めてみた(メモ)」の記事で引用した、山下祐介著「限界集落の真実――過疎の村は消えるか?」(2012年)から別の箇所を少し引用すると、「(前略)先述の通り、「過疎」という語は比較的新しい行政用語である。一九六〇年代、高度経済成長の中、多くの若者が働く場を求めて、発展する太平洋ベルト地帯の都市圏に集中し、農山村部や地方の過疎問題がクローズアップされた。この状況に対し、国土の均衡ある発展*1を目指す国の旗振りのもと、過疎対策が実施された。過疎地域対策緊急措置法(通称・過疎法)の制定は一九七〇年。以来、現在まで、名称は変わりつつも過疎法は四〇年以上継続されてきた。」(P.64)との事です。ま、要するに、人口の「太平洋ベルト地帯」への集中と、農山村部や地方の「過疎」の問題は、“同時に”起きたという事です。

と言うわけで、「太平洋ベルト地帯」に関しては、前々回の「【車載動画】太平洋ベルト地帯(東海道メガロポリス)」の記事参照。

追記は以上です。

*1:(僕の)別ブログの「クルーグマン」の記事と、本ブログの「東京(首都圏)は滅亡する―第2回」の記事参照(「国土の均整のとれた発展」)