鉄道の未来学――日本の鉄道の現状と新幹線の未来

今週は梅原淳著「鉄道の未来学」(2011年)を読んだ。(大変勉強になったので、メモ。)

■まえがき

(前略)景気の低迷、少子高齢社会の進展、国や地方自治体の財政面での懸念、そしてとどめは東日本大震災と、今日の世の中を覆い尽くしている不安は鉄道にとっても無縁ではない。大きく変わっていく社会に合わせて鉄道もまた変わっていかなくては、かつて来た道のように時代遅れの乗り物となって人々から避けられてしまうだろう。
 本書は2020年代の鉄道の姿を予測し、そのときの課題といくばくかの解決策を提示したものである。未来の鉄道の姿は明るいとばかりは言えないものの、多くの知恵が集まり、現在の状況からは思いも寄らない方法で解決されていくことだろう。(P.3-4)

(僕の)別ブログの「メモ-5」の記事参照(「環境に適合した者が生き残る」、ダーウィンの言葉)

■プロローグ 「日本の鉄道の現状」

 新幹線にとって2010(平成22)年度は画期的な1年であった。本州の北端である青森県青森市と九州の南端である鹿児島県の鹿児島市との間が1本に結ばれたからである。
(中略)実際には東京駅を境に新幹線は分断されていて、レールはつながっていない。これにはさまざまな理由があり、最大のものは西に向かう東海道新幹線JR東海、北に向かう新幹線がJR東日本と、運行する鉄道会社が異なるうえ、両社の関係もあまり良好とはいえないからだ。
(中略)原因はもう一つある。架線を流れる電気の種類は両社とも交流2万5000ボルトながら、周波数は東海道新幹線が60ヘルツ、東北新幹線は50ヘルツと異なっているからだ。(中略)簡潔に述べれば、要は「いまのところ鉄道会社も架線を流れる電気も違うことだし、面倒だから(2つの新幹線の接続を)行わない」というのがJR東海JR東日本両社の本音だろう。(P.12-17)

(僕の)別ブログの「九州新幹線全線開業」の記事参照(→動画)。

うーん。ま、「日本の鉄道」とは言っても、正直、(上記の)「新幹線」と、あと、普段乗っている「通勤電車」くらいのイメージしか湧きませんw。

(前略)鉄道と聞くと、新幹線と大都市の通勤電車しか思い浮かべられず、利用した覚えもこれら二つしかないという方がとても多い。これは鉄道についての理解が浅いからではなく、実際の利用動向からしてそのようになっているのである。
(中略)全国の鉄道全体の利用者数の実に86.8パーセントを三大都市交通圏(首都圏、中京圏京阪神圏)の利用者が占めている。逆に言うと、三大都市交通圏以外で鉄道を利用する人の数は全体のわずか13.2パーセント(中略)しかいない。
 利用者数という見地だけで日本の鉄道を見た場合、(中略)鉄道の役割とは大都市の通勤輸送にほぼ限定される。大量輸送に適した交通機関であるという鉄道の最大の特徴が統計からも明らかにされた格好だ。(P.19-21)

国土交通省の定義では首都交通圏は東京駅を中心とした半径50キロメートルの範囲、中京交通圏は名古屋駅を中心とした半径40キロメートルの範囲、京阪神交通圏は大阪駅を中心とした半径50キロメートルの範囲を指す。(中略)(これらの)三つの円の面積の合計は(中略)、日本の面積(中略)のわずか5.5パーセントに過ぎない。にもかかわらず、全体の9割近い人たちがこの範囲内で鉄道を利用しているのだから、いかに大都市に人口が集中しているかが改めて理解できる。(P.22-23)

(僕の)別ブログの「Googleplex & iSpaceship」の記事参照(「東京一極集中」)。前回の「廃県置藩――Abolition of the ken system」注釈3の記事参照。

(前略)国土交通省交通機関を利用して移動する人たちの動向を距離別に調べたところ、(中略)鉄道は300キロメートル未満や750キロメートル以上の移動距離では自動車や航空機といった交通機関に負けているものの、300キロメートル以上、750キロメートル未満では最も大きなシェアを獲得している。(中略)なぜこれだけの実績を上げているのだろうか。
 そのカギは新幹線にある。300キロメートル以上、500キロメートル未満で鉄道を利用した7496万9000人のうち33パーセントに当たる2509万8000人は東海道新幹線で首都圏と中京交通圏との間を往復した人の数なのである。この傾向は500キロメートル以上、750キロメートル未満でさらに顕著なものとなり、鉄道を利用した5792万5000人の実に66パーセントに当たる3812万9000人が東海道新幹線で首都圏と京阪神圏との間を移動したのだ。(P.41-42)

ま、要するに、それだけ「新幹線」はすごい、という事です。「新幹線とは鉄道の一つの種類であるが、実際には独立した乗り物であると見なしてよい。率直に申し上げて、日本でもしも新幹線という交通機関が発明されていなかったのなら、今日の日本における鉄道とは大都市の通勤輸送だけにほぼ集約されていたはずで、高速道路や航空機との競争にまともに戦える相手ではなかったに違いない。日本の鉄道にとって新幹線の成功は大きな利益をもたらした。」(P.19)という事です。極端にして言うと、「日本の鉄道」は、ほぼ「新幹線」と「大都市の通勤電車」の2つで成り立っている、それが「日本の鉄道の現状」なのである、という事です。
プロローグは以上です。

■第一章 「新幹線の未来」

 新たな新幹線として、ただいま北海道新幹線北陸新幹線とが建設中だ。北海道新幹線は2016(平成28)年の3月ごろ、北陸新幹線は2015(平成27)年の3月ごろと、どちらも2010年代半ばの開業を予定している。(P.66)

ところで、この(上記の)2つの新幹線は、「トンネルが続く」(P.69)、「トンネルは目白押し」(P.71)、「トンネルが非常に多い」(P.73)。

(前略)北海道新幹線では148.8キロメートル中、トンネルは65パーセントの約97キロメートルに、北陸新幹線では96.4キロメートル中、トンネルは63パーセントの約61キロメートルにそれぞれ達している。
 トンネルが多いと土木工事費がかさむので必然的に総工事費もはね上がってしまう。工事費は北海道新幹線が約5600億円、北陸新幹線が約1兆5700億円だ。(中略)1キロメートル当たりの建設工事費は北海道新幹線がおよそ84億円、北陸新幹線がおよそ178億円と巨額に上る。北陸新幹線のほうが1キロメートル当たりの総工事費が高い理由ははっきりとは示されてはいない。しかし、富山、金沢の両市をはじめ、比較的人口の多い都市を通るため、用地取得費がかさんでいるからだと想像できる。(P.73)

ちなみに、以前、僕がブログに書いた東京の(首都高速の)「中央環状新宿線」は、全長11キロメートルで工事費は1兆500億円です。1キロメートル当たりの工事費は955億円(約1000億円!)です。(僕の)別ブログの「For Tomorrow」の記事参照(「中央環状新宿線」、→動画)。(僕の)別ブログの「メモ-5」の記事参照(動画←超カッコいいです)。あと、(僕の)別ブログの「Googleplex & iSpaceship」の記事参照(「東京などの大都市で、都市施設の整備が遅れる理由の一つは、地価が高すぎて事業費の大部分が用地費に取られてしまうことにあります。これはある意味で悪循環なのであって、都市施設の整備が都市化のスピードに追いつけないうちに、地価が上がってしまい、ますます整備が困難になるという状況を生んでいる」、吉村愼治著「日本人と不動産―なぜ土地に執着するのか」(2011年)より、P.78)。

(前略)莫大な額に上る新幹線の建設工事はいったい誰が負担しているのだろうか。実は開業後に所有者となるJR北海道JR東日本JR西日本の3社とも、いまのところは支払っていない。
 そもそもJR北海道は2008(平成20)年度に50億1502万3000円の当期損失を計上し、発足時に政府から与えられた6822億円の経営安定基金を運用して赤字を補填(ほてん)しているありさまだ。
(中略)結局のところ、北海道新幹線北陸新幹線の建設工事費は国と沿線の地方自治体とで分担して支払っている。(中略)北海道新幹線北陸新幹線をはじめ、(中略)九州新幹線といった整備新幹線はJR各社の負担なしに建設工事が行われ、開業後は新幹線建設の受益に伴う範囲を限度とした貸付料を鉄道・運輸機構に支払うことと定められている。さらには、新幹線の開業で利用者が減り、収益が落ち込む並行在来線を切り離してもよいという条件も付け加えられた。つまり、開業した新幹線が仮に赤字になったとしても、JR自体は損をしないという割のよい条件で鉄道事業を展開できるという次第だ。(P.74-76)

ここから先は、新幹線の建設の不可解な「からくり」が説明されているのだけど、ま、結構、ややこしくてw、僕なりに咀嚼して説明すると(間違っているかも知れないけど)、まず、JR各社は旧・国鉄から新幹線を買った(例えば、JR東海東海道新幹線を5兆957億円で買った)。でも、あまりにも巨額で、JR各社は一括で支払う事はできないので「ローン」が設定された。ところが、国はその「ローン」にとんでもない金利を課したのです(例えば、JR東海の返済総額は11兆7500億円で、買った金額の2倍以上となる)。そして、国はそこで儲けた分の金額をそのまま(上記の北海道新幹線北陸新幹線九州新幹線等の)整備新幹線の建設工事費に充当させているのです。要するに、整備新幹線をつくりたいのは、JR各社ではなくて、国(政治家たち)なのである、という事です。現実には、「JR北海道JR東日本JR西日本の3社とも表情はさえない。あるJR関係者は「新幹線をつくってもらいたいと考えている会社はどこにもない」と言い切っているほどだ。」(P.76)です。(一応、補足しておくと、JR北海道JR四国JR九州は、旧・国鉄から新幹線を買っていない(北海道、四国、九州には新幹線はなかった)けど、JR北海道は「青函トンネル」の貸付料を鉄道・運輸機構に支払わなくてはならないので、「このような状況で北海道新幹線が開業してもJR北海道にはあまり得にはならない。」(P.80)です。また、JR四国は「瀬戸大橋」の貸付料を本州四国連絡高速道路に支払わなくてはならない。そして、「唯一の例外はJR九州である。同社は国鉄が建設した新幹線を譲り受けてはいないうえ、青函トンネルや瀬戸大橋に相当するリース物件も存在しないからだ。したがって、JR九州九州新幹線の建設に積極的な姿勢を見せる(見せた)。地域やインフラの違いと国の政策によって生じたアンバランスが生み出したとはいえ、JR九州以外のJR各社にとっては不平等だし、非難されるJR九州も困惑するほかないだろう。」(P.81)です。著者は、このような国の政策に対して、懸念を表明しています。)

以上。今回はここまで。

うーん。このペースで書いていると、終わらない気がしてきた(ワラ)。でも、とても良い本なのです。「鉄道」については、僕はずっと関心があって、これまでにも(僕の)ブログで何度も言及してきているのだけど、情報がいまいち断片的すぎて、包括的な(日本の)「鉄道」の現状や全体像をつかみ損ねていたのです。でも、この本の懇切丁寧な説明を読んで、これまでに僕が得た「鉄道」に関する(雑多な)情報を、スッキリまとめられたような気がしています。ま、とは言え、次回はもう少し端折ります(書くペースを上げます)w。あと、これまでに書いた(僕の)ブログから、「鉄道」に関係している記事を(下記の)追記にリストアップした(と言うか、ざっとサイト内検索をしただけです)ので、興味がある方は是非読んでみてください。では。

鉄道の未来学――新幹線の未来(の続き)」に続く。

【追記】

九州新幹線全線開業」の記事参照(→動画
九州新幹線全線開業」注釈4の記事参照(Discovery、「Osaka Loop Line」(2009年)、→動画
数学はいかにして世界を変えるか」(→動画)、「雨、蒸気、速度」、「Split the Difference」の記事参照(北河大次郎著「近代都市パリの誕生――鉄道・メトロ時代の熱狂」(2010年))
メモ-5」の記事参照(「週刊東洋経済 「鉄道」新世紀」(2010年))
明日の田園都市-2」注釈3の記事参照(「週刊ダイヤモンド 臨時増刊 THIS IS JR 2010年 2/22号」(2010年))
メモ-4」の記事参照(小島英俊著「鉄道という文化」(2010年)、引用なし)
モダン都市」の記事参照(水内俊雄+加藤政洋+大城直樹著「モダン都市の系譜―地図から読み解く社会と空間」(2008年))
モダン・ライフ」の記事参照(Blur、2ndアルバム「Modern Life Is Rubbish」(1993年)、→動画
森の木琴」の記事参照(九州新幹線、各駅停車列車「つばめ」)
森の木琴」(と注釈3)の記事参照(「成田拠点の格安航空」(東京新聞、2011年7月22日))
アイコンに擬態」、「ドイツの田園都市」注釈2の記事参照(「リニア中央新幹線」)
ドイツの田園都市」、「Star House」の記事参照(「路面電車(LRT)」)
ドイツの田園都市」注釈6の記事参照(「アブダビの環境未来都市「マスダール・シティ」」。追記:個人用高速輸送機関(Personal rapid transit(PRT))、→動画動画
Strange Paradise」、「Integral Project-3」、「モーション・タイポグラフィ」、「Star House-2」注釈9の記事参照(The Chemical Brothers、「Star Guitar」(2002年) 、→動画
Computer City」の記事参照(Perfume、「リニアモーターガール」(2005年)、→動画
Kinkyo-2」の記事参照(「短編映画の日々の中へ」、→動画
表記-5」の記事参照(「フランスの鉄道網の地図」)
Integral Project-3」の記事参照(「(前略)それまでに建設されていた最初の鉄道網が真の原則に合致することはほとんどありえなかった。しかしいまや、高速輸送手段において達成された巨大な進歩を見たのであるから、これらの手段を十二分に利用し、(中略)その計画に即して、われわれの都市を建設すべきときが来たのである。」、エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年))
明日の田園都市」追記の記事参照(エベネザー・ハワードの「鉄道的リアリズム」)
エソラ」の記事参照(「鉄道的リアリズム」と「自動車的リアリズム」)
Natural World-2」の記事参照(「大都市は鉄道から生まれた。」、ル・コルビュジエ著「ユルバニスム」(1925年))
World of Tomorrow の補足」の記事参照(「駅は都市の中心にしかありえない。(中略)駅は車のこしきである。」、ル・コルビュジエ著「ユルバニスム」(1925年))