【車載動画】秋田市の中心市街地

 
(前々回の「【車載動画】青森市内をフラフラ」の記事の続き。)

「【車載動画秋田市中心市街地」(2011年4月19日撮影、superyomogi)のYouTube動画(→下の動画)。


4月19日に秋田駅周辺をドライブした時の記録です。
ルートは国道7号線秋田南バイパスからスタートし、秋田市中心市街地である山王大通り、竿燈大通りなどを通って秋田駅を経由し、臨海十字路まで戻ってきます。
(中略)
BGM by 煉獄庭園
http://www.rengoku-teien.com/index.html

「【車載動画秋田市中心市街地」のYouTube動画の走行ルートです(下図)。

秋田市」に関しては、前々々回の「戦いは終わらない――「中心市街地」対「大型ショッピングセンター」」の記事参照。その記事で、秋田市中心部に今年7月開業した「エリアなかいち」等について書いているのだけど、上記の動画では、4分20秒頃から左手に「エリアなかいち」が見えて、その前を通ります。ま、と言っても、まだ工事中ですけど(ははっw)。

あと、その前の本ブログの「医療と高齢化と中心市街地の再生――高松丸亀町商店街C街区」の記事では、香川県高松市について書いたので、次は高松市の「【車載動画】」を探してみますw。ではまた。

【メモ】

「とれいん工房の汽車旅12ヵ月」のブログの「"中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。」(2009年2月8日)と、「誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか?」(2008年10月1日)の記事を参照。僕はまだ読んでいないのだけど(こらこらw)、後で読みます。うーん。ま、とりあえず、前者の記事から少し引用すると、「(コンパクトシティの)理想は間違っていない。でも、舶来の施策に特有の違和感もあったりする。」、「街の中心性は失われた。中心市街地活性化もコンパクトシティも理屈としては分からないわけではないが、現実問題、都市の"核"としての機能が失われたところに人々が帰ってくる保証はない。そこまで思い入れのある人は少ない。魅力あるコンパクトシティにするには、巨額の財政出動が必要だ*1。それを支持する市民はあまり多くないだろう。」、「そんな"核"を持たない都市にコンパクトシティという舶来の概念を持ってきても、現実社会と、そして人々の観念の上でも、合致していかない。なぜなら、そこには中心市街地なるものが存在していないからだ。考え方としてコンパクトシティというアイデアは評価できるとしても、「市民が支持する→政策に反映される」とはちょっと考えにくい。」との事です*2。関連して、本ブログの「コンパクトシティの正しい答え――中心市街地の再生は諦めて、住宅地にする」の記事参照。後者の記事に関しては、前回の「Googleマップ(空撮)で「限界集落」の写真を集めてみた(メモ)」の記事参照。以上です。とりあえず、メモ。

(追記(2012/10/9)。本ブログの「【車載動画】高松駅〜高松西IC、高松駅〜屋島」の記事参照。)

*1:(僕の)別ブログ「Star House (星型の家)」、「Googleplex & iSpaceship」、本ブログの「東京は最大都市規模を超過しているのか」注釈7の記事参照(「(前略)どんなケースでもダメだと言うつもりはないが、人口が継続的にずっと減少している時にコンパクトシティーは意味がない。(中略)郡のサイズで「拠点分散」を検討すべきだ。その方がカネも掛からない。」、松谷明彦)

*2:(僕の)別ブログの「東日本大震災からの復興とハワードの田園都市」の記事参照(「かつてわれわれは、都市の混乱を広場によって秩序づけようとするCIAMコアの提案(という舶来の概念)に熱中した。広場の確保は都市設計の主要なテーマであり、日本の都市空間の悲願であった。日本の都市空間に、古くから広場の発生がみられなかったのは、空間を広がりとしてのみとらえようとする、日本人の空間に対する特性にも原因しているだろう。」、曽根幸一著「都市デザインノオト」より)