TPPの賛否

えーと。
近頃、ニュースで話題のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉参加の賛否に関して、週末に、パラパラと(ネットで)少し調べてみたのだけど、「TPP賛成派」は、経済学者のデヴィッド・リカードが提唱した「比較優位」の説(モデル)を論拠に、貿易の自由化を更に進めるべきである、と主張している。一方、「TPP反対派」は、この「比較優位」の説(モデル)そのものを懐疑している。では、この「比較優位」の説(モデル)が、どこまで現実を反映しているのかを考えようと思ったのだけど、僕は「経済学」は苦手なので、よく分からなかった(ワラw)。でも、この「比較優位」の説(モデル)で説明できる事例もあればできない事例もあるし、また、この「比較優位」の説(モデル)は「国際間の資本の移動が無い」といった仮定を前提においているので、今日の「資本の移動」(「工場等の移転」も含む)が自由なグローバル社会では適用できないのではないか、とは思います。

それと、もし日本がTPPに加盟すると、建築・建設関連の法律(建築基準法建築士法、建設業法)、公共工事の品質確保の促進に関する法律、等々)も、かなり改正される事になる。個人的にはそこが一番面倒なのだけど(おいおいw)、前に本ブログの「8月のニュース-2」の記事で、「(前略)日本の住宅の環境性能が向上したのは、日米構造協議等のいわゆる「外圧」(ガイアツ)によって、非関税障壁(例えば「通則認定」制度)が撤廃されて、日本国内に「輸入住宅」が入ってきたからです。」と書いたような(日本の消費者にとっての)メリットはあるだろう。また、その記事で、「「外圧」によって(「大店法」が撤廃されて)大型ショッピングセンターが日本全国に広まった」とも書いたのだけど、この流れがTPPに加盟する事によって加速すると思います。

ところで、その「大店法」が撤廃される頃、日本では、アメリカのウォルマート(世界最大の大手小売企業)等の「黒船」が来航すると騒がれていた。でも、結果的には「黒船」は来なかったし(ウォルマート西友を買収しただけだった)、前に本ブログの「8月のニュース-5」の記事で書いたように、フランスのカルフール(世界第2位の大手小売企業)もイギリスのテスコ(世界第3位の大手小売企業)も日本から撤退した。つまり、「大店法」が撤廃されて最も得したのは、日本のイオングループ*1等だったという事です(ワラ)。これを「漁夫の利」と言うのか「虎の威を借る狐」と言うのかはよく分からないけど(僕は国語も得意ではないw)、規制が撤廃されても、日本の消費者のニーズをよく知っている日本企業のほうに「一日の長」がある(「黒船」との競争に有利である)という事です。よって、日本がTPPに加盟して起きるのは、貿易(グローバル)に関する問題ではなくて、むしろ、国内(ドメスティック)に関する問題なのである、と僕は思います。日本がTPPに加盟して、更に規制が撤廃される事によって、「黒船」が来航するのではなくて、日本の大企業が日本の中小企業を駆逐する(大型ショッピングセンターが既存の商店街の客足を奪い取る、等々)といった事態が加速するのではないか、と思います。以上です。

〜と、上記のような事を(週末に)少し考えてみたのだけど、日本がTPPに加盟する事によって、日本の現行法がどこまで改正されるのかは、まだ分かっていない。また、一年前くらいから、「黒船」の「第二波」がやって来る(!)とも騒がれているので、今後の事をはっきり予測するのは難しい。ウォルマートが日本から撤退したテスコ(テスコジャパン)とダイエーを買収するのではないか、とも言われている。この「第二波」に関しては、前に(僕の)別ブログの…、あれ?書いていない(汗)、えーと、一年前に(僕の)別ブログの「Fabricated Space」の記事で、「「大型店出店の規制強化検討=地域社会の秩序に支障−経産相」(時事通信、2010年10月7日)のニュースは気になる。」とだけ書いたのだけど、これは「第二波」(の騒ぎ)を受けての政府の反応でしょう。でも、今、「大型店出店の規制強化」をすると、国内に既に大量出店済みのイオングループ等が絶対的に有利になる(既得権を得る事になる)ので、新たな問題を発生させてしまう事になるでしょう。これは解けない問題です。*2

よって、前に(僕の)別ブログの「アイコンに擬態」の記事で、「(前略)(僕の)別ブログの「エソラ」の記事で書いたように、「交通の流れを整える(変える、利用する)」ことを考えるべきであり、「過剰に法規制する」ことで外形(輪郭線)を取り繕おうとするのは下の下の下策です。」と書いたように、過度に「法規制」に依存しない方法を考案する(追求する)べきである、と僕は思います。これは前に本ブログの「永久公債、国有不動産」の記事で、過度に「市場」に依存しない方法として、「(前略)尚更、都市の具体的な「土地」や「物理」と関わったほうがよい。」と書いた事と同じです。そして、その(僕の)別ブログの「エソラ」の記事で、前に(僕の)別ブログの「Integral Project-3」の記事で書いた「トランジットシティ」という新しい都市モデルの建設を勝手に提案しているのだけどw、ま、それはおいといてw、前に(僕の)別ブログの「東日本大震災からの復興とハワードの田園都市」の記事で書いた「高松丸亀町」の商店街が、その試金石の一つであると言えるでしょう。前に本ブログの「8月のニュース-1」の記事で書いたように、今やるべき事は、「新しい仕組みをつくる」という事なのです。

この「高松丸亀町」の商店街の方法(特長)の一つを大ざっぱに言うと、郊外に「ショッピングモール」が出来て客足が減ったので、既存の商店街を「ショッピングモール(のような場所)」に造り変えている、という事です。ここが面白い。つまり、経済学の用語で喩えると(僕は経済学は苦手なのだけどw)、商業空間の構成形式において、「比較優位」の戦略ではなくて、「輸入代替」*3の戦略を採っている、という事です。ま、簡単に言うと、商業空間の構成形式において、独自性(個性)ではなくて、一般性(無個性)を利用した戦略なのである、という事です。そのうち詳しく書きます。と言うか、今、「輸入代替」の注釈(*3)を書くのに、予想外に時間がかかってしまった(ワラ)。今回の記事は、この注釈(*3)がメインです(おいおいw)。ま、とりあえず、この戦略が決して荒唐無稽ではない事は、「高松丸亀町」の商店街が(今のところは)うまく行っているという事が実証していると言えるでしょう。以上です。

さて、もう11月です。早いです。だんだんと冬の足音が聴こえてきました。前に(僕の)別ブログの「Star House-2」の記事でも書いたのだけど、僕は寒いのは大の苦手です(泣)。風邪とインフルエンザに負けないように頑張ります。皆さま、お風邪など召されないようお気をつけください。

あと、今回は本当は、先月の「新建築 2011年 10月号」(「高松丸亀町商店街・弐番街・参番街アーケード」等が載っている)と、先週の「週刊 東洋経済 2011年 10/29号――「売り方」「買い方」が変わった! マンション・不動産」(マンション・不動産市場の最新の動向が載っている)についても書こうと思っていたのだけど、また今度書きます(たぶんw)。あと、今週は長沼毅著「形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか」(2011年)を読んでいます。この本は面白い。驚きの連続です。目からウロコです。そのうち詳しく書きます(ほんとか?w)。以上です。ではでは。

【追記】

(「高松丸亀町商店街・弐番街」の写真。左はウィキペディアの「高松中央商店街」の項の「丸亀町商店街」より。右は「ガラス張りアーケード完成 明るい街並み演出」(山陽新聞、2011年4月30日)より。)

*1:イオン12年2月期営業益は過去最高の予想、業界トップの売上高へ」(ロイター、2011年10月5日)も参照。ついでに、コンビニ業界大手(セブン-イレブンローソンファミリーマート)も、営業利益で過去最高益を達成している(2011年2〜8月期)。(僕の)別ブログの「明日の田園都市-3」注釈2の記事参照(「イオン」)。(僕の)別ブログの「雑記5」の記事参照(「ローソン」)。本ブログの「8月のニュース-3」(おまけ)の記事参照(「コンビニ」)

*2:本ブログの「鉄道の未来学――新幹線の未来(の続き)」の記事参照(「競争が必要」)

*3:「輸入代替」とは何か。ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」(2011年、新装版)の第5章「都市の爆発的成長」から少し引用すると、「(前略)一九世紀末の東京は、自転車を大量に輸入していた。これらの自転車が壊れたり老朽化すると、東京の修理職人たちは、自転車の新しい部品を作り始めた。間もなく、個々の部分を専門に作り始め、ついには、製造業者が修理職人と契約して多量の部品を買取り、組立てるようになった。この方法で製造業者は、東京で自転車の新しい完成品を製造した。東京が輸入していた自転車は、地元で生産された自転車に置換えられたわけだ。(中略)経済学者たちは習慣上、この現象を「輸入代替」と呼んでいる。(中略)都市は成長するにつれて、国外からはもちろん、近くの都市から手に入れる輸入品も置換えていく。(中略)都市が生命を持続ける間、いろんな輸入品を手に入れ、それを置換えるごとに、都市の爆発的な成長(中略)は何度も繰返される。」(P.170)、「もし日本がや他の原材料の輸出に頼り、絹などを売って手に入れた多くの輸入品を国内の都市で急速に生産しなかったならば、日本は開発の遅れた貧しい国になっていただろう。(中略)これが、鉄鉱資源をほとんど持たず、燃料の大部分を輸入に頼っているのに、日本が近代的な工業国に成長した理由だ。」(P.197)。また更に、第7章「都市の経済発展と資本」から少し引用すると、「(前略)これまで続けてきた強力な経済の開発努力を無視してしまうと、多くの資本が非生産的な目的に使われることになり、窮地に陥る。(中略)だが、その社会は、ほんの短い間、異常なほど豊かであるようにみえる。ある意味では、確かに豊かといえよう。なぜなら、その社会は本来なら負担しなければならない最も高くつく物のひとつを、節約しているからである。(中略)膨大な資本は、異常なほどの市民の虚飾を含めた用途に、大量に向けられていた。このような持てる悩みを克服するため、都市は資本を輸出することになろう。もちろん、発展し、成長を続けている都市も普通、資本の輸出業者となる。しかし、地元の経済の開発を止めてしまった――(中略)輸入品を置換えることを止めてしまった――都市の場合、その都市は特異な資本の輸出業者となる。南北戦争前のチャールストンサウスカロライナが、まさにその例だった。それらの都市では、地元が生み出した資本を地元で使えなかった。おそらく、人口の約半分が黒人どれいだったためだろう。一都市の人口の大部分の人々が開発事業から締出されている場合、しかもかなりの資本がぜいたくや虚栄心の誇示に向けて費やされた後には、資本を地元で生かす余地がほとんどなくなる。一都市が特異な形で資本を輸出することは、その都市で資本が差別的に使われていることと関連がある、と私は思う。(中略)一国の中で大部分の都市が、とくに社会階級の下層にいる人々(中略)による新しい事業の開発を無視するようになると、あり余った資本を輸出すべき土地が国内にはなくなる。(中略)それは、沈滞への前奏曲である。」(P.267-268)。念のため、補足すると、文中の「最も高くつく物のひとつを、節約している」(P.267)とは、「新しい仕事の開発を節約している」(P.268)の事です。また、その「新しい仕事の開発」とは、「イノベーション」の事です。あと、「もし日本がや他の原材料の輸出に頼り、絹などを売って手に入れた多くの輸入品を国内の都市で急速に生産しなかったならば、日本は開発の遅れた貧しい国になっていただろう。」(P.197)は、ジェイン・ジェイコブズは、経済学者のデヴィッド・リカードの「比較優位」の説(モデル)を否定している、という事です。そのうち詳しく書きます(たぶんw)。(僕の)別ブログの「都市の原理」、「森の木琴」、「都市の非能率性と非実用性」、「考え中。。」追記の記事参照(同書)