廃県置藩――Abolition of the ken system

(前々回の「8月のニュース-2」の記事で書いた、「本当の「地域主権」とは?」(アゴラ、2011年7月18日)に関しての、「廃県置藩」を(ネットで)少し調べてみたので、メモ。)

【正論】早稲田大学教授 榊原英資 「この国のかたち」変えるには」(産経ニュース、2008年10月15日)より。

以下、引用。

■成功体験を引きずる

(前略)今の日本は、実は、歴史の大きな曲がり角にありながら、過去の成功体験に引きずられて大きくシステムを変えることが出来ず、右往左往している状況だ。このままでは、そう遠くない時期に沈没してしまいかねない。あらためて、この国のかたちをどう変えていくかを考えなくてはならないのだろう。これこそが政治の最も重要な課題である。今回の選挙は、是非、この国のかたちをどう変えるかで争うべきだ。

 それでは、この国のかたちを、一体、どう変えていったらいいのだろうか。一言でいえば、近代産業社会からポスト近代社会への移行なのだが、これは制度の大幅な組み替えを含む大作業になる可能性が高い。明治維新以来の日本の近代化システムをどう変えていくかということなのだから。


*1

■「道州制」は不可能だ

 明治維新まで、日本は基本的に極めて分権的社会であり、江戸時代の幕藩体制は、分権国家の一つの完成型であったということが出来るのだろう。西欧列強による植民地化を防ぎ、日本を近代化・産業化するために東京を中心とした集権国家をつくったことは決して間違いではなかった。

(中略)しかし、(中略)状況は大きく変わっている。再び、江戸時代的、というよりは日本の伝統である分権国家に戻るべき時ではないだろうか。地域格差の拡大、1次産業の衰退など東京一極集中*2の問題点がさまざまな形で噴出しているからだ。

 それでは、どのようなかたちの地方分権が望ましいのだろうか。政府部内では道州制が検討され鳩山総務大臣も直ちにではないにしてもその方向を向いているように思われる。しかし、道州制は望ましくもないし、また、実現可能でもないだろう。

 まず、日本を半独立国的な数個の地域に分けることが可能だろうか。ここで考えてほしいのは、いい意味でも、悪い意味でも日本が大変特殊な国だということだ。というのは、日本は建国以来、外国や異民族の侵略を受けたことのない非常に同質性の高い国なのだ。

 英国のように歴史上度重なる侵略を受け、民族的にも宗教的にも多様で異質なものを抱えた国が、イングランドウェールズスコットランド北アイルランドのような地域に分けられているのはごく自然なことだが、日本は全く事情が異なる。日本の歴史上、いくつかの地域に分裂した時期はほとんどなかった。


*3

■江戸幕藩体制にヒント

 日本の地方分権平安時代からの荘園、そして江戸時代に完成されていったという形をとっていった。江戸時代、大は加賀100万石から小は1万石そこそこといった小藩まで260以上の藩が存在していた。

 周知のように、財政権、行政権は藩にあり、幕府では老中たちが藩を監督し、外交・軍事権は強固だったが、財政的にはほぼ400万石の大大名にすぎなかった。この体制で260年もの間、対外戦争も内乱もなく平和な時代を維持できたのだから、大変見事なシステムであったといわなくてはならないだろう。

 現在、地方分権のモデルにしなくてはならないのは明らかに江戸時代的「」であろう。筆者は明治4年(1871年)の廃藩置県になぞらえて、廃県置藩と呼んでいるが、具体的には300前後の基礎的自治体と国の二層構造とするのが望ましいのだろう。

(中略)国の出先機関都道府県などを廃止しなくてはならないのだから時間はかかるだろうが、5〜10年の行程表をつくって実現すべき課題であろう。当面の世界的金融不安や景気後退にどう対応するかも大切だが、今回の選挙ではこうした息の長い政策についても是非議論すべきであろう。この国のかたちを大きく変えていかないと、日本の未来はないし、今から取り掛からないと手遅れになってしまう。


*4

以上。引用ここまで。(念のため、写真は僕が適当に入れた。)

うーん。僕は「日本史」はあまり知らないので、何とも言えない(おいおい…)。日本史は、前に(僕の)別ブログの「物憂げな6月の雨に打たれて」の記事で書いた、吉村愼治著「日本人と不動産―なぜ土地に執着するのか」(2011年)を読んで、日本人の「土地所有のルーツ」を多少知っているくらいです。他には、古建築古民家等を実際に見に行ったりしていた時期もあるのだけど、少しジャンルが違う(学び方のポイントが違う)ような気がしなくもない。うーん。今更、日本史の勉強するのは、僕には大事(おおごと)です(汗)。「三国志」なら詳しいのだけど(おいおいw)。

ま、いずれにせよ、「廃県置藩」は良いアイデアではないか、と思います。なぜなら、第一に「ボトムアップ」型の政治(地方自治)が実践できるからです。第二に「国」の役割を「明晰かつ判明*5」にできるからです。そして第三に、前に(僕の)別ブログの「フロリダ」の記事で書いたのだけど、「雇用」や「家族」や「コミュニティ」の形態が多様化した現在の「ポストモダン社会」(ポスト近代社会)では、「(前略)中心的な組織単位は、いまや場所が担いつつある」、「場所は、だんだんと私たちにとって重要なアイデンティティとなってきている」(リチャード・フロリダ)からです。これは個人の「アイデンティティ」(→動画*6)はどこで生まれるのか、どこにあるのか、どこからやってくるのか、といった哲学的な問題でもあると思います。(例えば、「コミュニタリアニズム」(共同体主義)の政治哲学者の一人であるマイケル・サンデル*7は、「週刊東洋経済 2010年8/21号」のインタビューで、「「コミュニタリアン」と呼ばれることに満足していますか。」という質問に対して「イエス・アンド・ノーだ(笑)。100パーセント満足はしていない。(中略)われわれのアイデンティティが生活史や伝統、コミュニティによって形づくられると考えるのがコミュニタリアンなら、イエス、私はコミュニタリアンだ。(中略)コミュニティが正義を規定すると見なすことは、全体主義権威主義につながりかねない。」(P.52)と答えています。)

あと、僕が「道州制」に違和感を抱くのは、上記の引用にあるように、日本の国土を「数個の地域に分けることが可能だろうか」という事の問題に尽きる、と思いました。結論を言えば、分ける事はできない。前に(僕の)別ブログの「東日本大震災からの復興とポストモダン」の記事で、東日本大震災の「復興計画」で、「「高台」か「平地」かのいずれかを、誰も決定する事はできない」と書いた事と同じ道理で、誰にも分けられないのです。と言うか、無理やり分けようとしても、その調整におけるおびただしい軋轢のせいで、道州制論議そのものが紛糾して、結局、東京を中心とした集権国家体制がぬくぬくと生き延びる、という事になるだけです(と言うか、現にそうなっている)。よって、「道州制」には僕は反対です。それよりも、日本は歴史の長い国なので、地方分権化(の行政改革)においては、最も分けやすい「藩」の地域単位を復活させたほうが、手っ取り早いです。(または、消去法的にも「藩」しかないと思います。現在の「県」は明治政府が(「トップダウン」的に)無理やり分けただけなので、無機的な感じがするし、しかも遺恨もある。例えば、「福島県」が「会津県」にならなかったのは、会津藩戊辰戦争旧幕府軍側について明治政府と戦争をしたからだ、とも言われている。)

ところで、もちろん、「廃県置藩」を行う(日本の国土を「300前後の基礎的自治体」に細分化する)事によって、何らかの不都合(不経済、不便)が生じる事は十分に予想されます。でも、その場合は「廃県置藩」によって生まれたそれぞれの「藩」(基礎自治体)が、それぞれの判断で(「ボトムアップ」的に)近隣の「藩」と連携をしたり、地域圏や広域圏の連合をつくったりすればいいのです。そして、その広域圏の連合が結果的に「道州」のようなものになる可能性も高いのだけど、これまでの「道州制」の論議とは、二つの理由で大きく異なります。一つは、言うまでもなく、「誰も分けていない」という事です。誰も(「トップダウン」的に)日本の国土を数個の地域に分けていないにも関わらず、いつの間にか(「ボトムアップ」的に)そのような状態になっている、という事になるわけです。さきほど、僕は日本の国土を数個の地域に「誰にも分けられない」と書いたのだけど、その「誰」を介する必要が全くないという点で、これまでの「道州制」の論議とは異なります(要するに、「コペルニクス的転回」です)。もう一つは、前に(僕の)別ブログの「都市の非能率性と非実用性」の記事の追記1で書いたのだけど、「もたらされた結果のみを問題にすればいいのではなく、それがもたらされたプロセスや選択肢も問題にしなければならない」という点で、これまでの「道州制」の論議よりも優れている、という事です。つまり、「藩」から「ボトムアップ」的に形成された広域圏の連合が、結果的に「道州」のようなものになったとしても、その結果よりもプロセスのほうが重要なのである、という事です。*8

と言うわけで、「廃県置藩」はとても良いアイデアなのです(キリッ)。以上です。では。

廃県置藩-2」の記事に少し続く。

*1:戊辰戦争中の薩摩藩藩士」(ウィキペディア、→写真

*2:(僕の)別ブログの「Googleplex & iSpaceship」の記事参照(「東京一極集中」)

*3:品川駅がなんかヤバいらしい」(ハムスター速報、2011年6月16日)

*4:(僕の)別ブログの「ハイブリッド世界の本質-2」追記の記事参照(「2008年の「リーマン・ショック」後の世界(世界観)」、Royksopp、「Happy Up Here」(2009年)、→動画)。ついでに、同様に「2008年の「リーマン・ショック」後の世界(世界観)」を表している曲では、Pet Shop Boysの「Love etc.」(2009年、→動画)もある。この曲の歌詞の冒頭部分を引用すると、「(※要請により歌詞削除)」です(ワラ)。もちろん、これは欲望によってのみ駆動している資本主義社会へのアイロニーです。ところで、余談になるのだけどw、Pet Shop Boysは、新自由主義ネオリベラリズム)的な経済改革を行ったイギリスのサッチャー政権(1979-1990年)の時には、「Opportunities (Let's Make Lots of Money)」(1985年、→動画)という曲をリリースしている(ワラ)。要するに、Pet Shop Boysは何でも「曲」にしてしまうのです。面白い。(他にも、東西冷戦終了後の1993年には「Go West」(→動画)という曲をリリースして旧ソ連全体主義を皮肉っている。また、2003年にイラク戦争が始まると、「I'm with Stupid」(2006年、→動画)という曲をリリースしている。ちなみに「Stupid」とはこの二人ブッシュブレア)の事である。また更に、2005年にロンドンで爆弾テロが起きて、犯人が監視カメラによって迅速に検挙された事を受けて、市民の間で監視カメラの大量導入の気運が高まると、「Integral」(2007年、→動画)という曲をリリースして情報管理社会化への警鐘を鳴らしている。(僕の)別ブログの「雑記6」の記事参照。「共通番号制度「マイナンバー」って? 個人情報保護で依然不安も」(ITmediaニュース、2011年8月31日)も参照)。それに対して、いい意味でも、悪い意味でもJ-POPはいつも平和ですw。「最近のJ-POPの歌詞は本当に「翼広げすぎ」? JOYSOUNDが検証サービス」(ITmediaニュース、2010年11月1日)も参照。(もちろん、J-POPでもAKB48の「軽蔑していた愛情」(2007年)のように、深刻な社会問題を扱った曲もある(→動画)。AKB48の人気の秘密は、喜怒哀楽(人間の多様な感情)の総体性にあると思う(たぶん)。本ブログの「Valentine House (バレンタインの家)」注釈1の記事も参照。)

*5:(僕の)別ブログの「表記-2」の記事参照(「明晰かつ判明」)

*6:サカナクション、「アイデンティティ」(2010年)の動画。「パチンコ」の中心で、アイデンティティをさけぶ。「パチンコ玉」の涙。歌詞の冒頭を引用すると、「(※要請により歌詞削除)」。

*7:(僕の)別ブログの「ハイブリッド世界の本質」追記2の記事参照(マイケル・サンデル、→動画

*8:この(本文の)考え方は、他にも、例えば「電力供給」の問題にも敷衍するだろうと思います。確かに独占企業が独占的に電力を供給したほうが「効率」は良いだろうけど、それでも、僕らはあえて「非効率」を選ばなければならない、という事なのだと思います。ま、僕はあまり詳しくはないのだけど、独占企業による電力の独占よりも電力の自由化発送電分離とか?)を僕らは選ばなければならない、という事です。いずれにせよ、独占がもたらした悲劇は、福島のあの事故で終わりにしなければならない。