鉄道の未来学――超電導リニアの未来

(前回の「鉄道の未来学――幹線の鉄道の未来」の続き。)

うーん。結構、怖い…(汗)。
「タイヤ走行」から「浮上走行」へ切り替わる時(2分10秒頃)の音と、高速走行時の風切り音がすごい。技術的に大丈夫なのだろうか(?)。では、前回に続いて、梅原淳著「鉄道の未来学」(2011年)からの引用です。

■第四章 「超電導リニアの未来」

(前略)JR東海が計画している超電導リニアは実現に向けて一歩ずつ進んでいる。
(中略)JR東海によると、超電導リニアが走る路線の名前は中央新幹線だという。2014(平成26)年度に建設工事に着手し、まずは2027(平成39)年に東京と名古屋との間で営業を開始する予定だ。残る名古屋―大阪間の着工時期は明らかにされていないものの、開業時期は2045(平成57)年を目指すという。
(中略)駅については通過する各都県につき1駅が開設されることが決定した。東京側のターミナルは東海道新幹線の品川駅に、名古屋側のターミナルも同じく名古屋駅に併設される。途中駅は神奈川県では相模原市山梨県では甲府市中央市・中巨摩(なかこま)郡昭和町岐阜県中津川市をそれぞれ中心とする直径5キロメートルの範囲内に置かれるという。なお、長野県内に開設される駅の詳細は2011年7月1日現在、まだ明らかにされていない。ただし、一部の報道では長野県飯田市か同市のすぐ北の同県下伊那郡高森町周辺の公算が高い。(P.170-171)

上記の「品川駅」に関しては、本ブログの「廃県置藩――Abolition of the ken system」注釈3の記事参照(「品川駅がなんかヤバいらしい」(ハムスター速報、2011年6月16日))。あと、「Shinagawa madness」のYouTube動画も参照(→動画)。

 続いて駅と駅との間の経路もたどってみよう。まず、中央新幹線の線路は急なカーブの半径を8000メートル、最も急な勾配を40パーミル(水平に1000メートル進んだ場合に40メートルの高低差が生じる勾配)で計画された。東海道新幹線の線路は基本的に最少曲線半径を2500メートル、最急勾配を20パーミルだ。中央新幹線はより高速で走るためにカーブの半径を緩くするいっぽうで、強力な力で浮上、そして進むことから勾配をきつくすることが可能になった。(P.171)

 品川駅から相模原市内の駅までは地下40メートルの大深度の地下を行く。都市化が進んで建物が密集しているから、用地の取得はほぼ絶望的だし、可能だとしても建設反対運動が起きる公算も高い。また、地下を行くとは言っても、通常の地下鉄のように地面から浅い場所に線路を敷くと地上権が発生して賃借料を支払ったり、場合によっては用地を取得する必要が生じる。大深度の地下ならば地上の地主に気兼ねなく建設できるという次策だ。ただし、大深度の地下に建設された鉄道は存在せず、建設工事には困難が予想される。(P.171-172)

上記に関しては、(僕の)別ブログの「Googleplex & iSpaceship」の記事、本ブログの「鉄道の未来学――日本の鉄道の現状と新幹線の未来」の記事参照(「東京などの大都市で、都市施設の整備が遅れる理由の一つは、地価が高すぎて事業費の大部分が用地費に取られてしまうことにあります。これはある意味で悪循環なのであって、都市施設の整備が都市化のスピードに追いつけないうちに、地価が上がってしまい、ますます整備が困難になるという状況を生んでいる」、吉村愼治著「日本人と不動産―なぜ土地に執着するのか」(2011年)より、P.78)。

JR東海の想定では、品川駅からしばらくは東海道新幹線に沿うように行く。
(中略)相模原市の市街地を抜けるころ、中央新幹線は長い地下トンネルに別れを告げる。線路の周囲は山あいとなり、山岳トンネルを主体に山々を橋梁で突き抜けるルートに変わっていく。
 先ほどの駅から30キロメートルほど西南西に行くと、超電導リニアの実験線に到達する。JR東海超伝導リニアの試験を続けているこの線もゆくゆくは営業に転用されるので無駄がない。
(中略)引き続き西南西に進む中央新幹線の列車はやがて南アルプスのトンネルに入る。トンネルは20キロメートルほどの長さをもつ。(中略)巨大な断層帯を通るために難工事が予想される。
 南アルプスのトンネルを抜けると長野県の飯田盆地と呼ばれるあたりだ。
(中略)長野県内を出発した中央新幹線の列車は再び長大な山岳トンネルに入る。今度は中央アルプスのトンネルで、(中略)こちらも長さは20キロメートル前後はありそうだ。
 中央アルプスのトンネルをくぐり終えると中津川市である。
(中略)中津川市内の駅から名古屋駅までの間は、中央線の北側の山岳地帯をトンネル主体で通り抜けていくルートが予定されている。(P.172-174)


(前略)JR東海中央新幹線の建設工事費(車両を含む)について、品川―名古屋間を5兆4300億円、名古屋―大阪間を3兆6000億円と見込み、品川―大阪間の総事業費は9兆300億円にも達する。(中略)JR東海中央新幹線を自前で建設すると宣言している。
(中略)率直に申し上げて、JR東海ほどの企業であっても大変な負担となることは間違いない。同社の山田佳臣社長は雑誌(週刊「プレジデント」、2010年8月16日号)のインタビューで「恐ろしいですよ。はっきりいって恐ろしい」と語っている。偽らざる心境だろう。
 山田社長が心配するように、中央新幹線の建設工事費、そして東海道新幹線の大規模な改修に要する巨額な資金を自らの力で調達することは筆者も難しいと考える。(P.175-178)

上記の「東海道新幹線の大規模な改修」とは、「JR東海を悩ませているのは「2034年問題」だ。東海道新幹線は耐用年数を70年として設計された。1964(昭和39年)年10月1日の開業だから、2034(平成46)年10月1日にその日が訪れることとなる。」(P.85)という事です。いずれにせよ、高度経済成長期に建設された多くの建造物は、今後、一斉に「耐用年数」を迎える。「老朽化する道路や橋などのインフラ更新、50年間で190兆円に 国交省試算」(朝日新聞、2010年6月17日)も参照。

 超電導リニアという乗り物は世界中のどこの国でもまだ実用化されていない。現時点では研究や開発を進めている国は日本だけである。高速で走る鉄道というと、とかく新幹線での成功体験があるだけに、世界初の超電導リニアも大丈夫という楽観的な声が圧倒的だが、果たしてそうだろうか。
 新幹線も世界初の乗り物ではあったが、よくよく見れば「速く走る鉄道」であり、基本的な構造は19世紀初めにイギリスで実用化された鉄道と同じである。車両が動く方法にしても、19世紀の終わりにドイツで発明された電車の技術に改良を加えたもので、全く新たな動力システムが発明されたのではない。
 これに対し、超電導リニアは車両も線路も未知の技術。過去の例を参考にしようにも、日本以外のどこの国にも存在しないから自ら切り開いていく必要がある。(P.181-182)

 車両に関する技術で課題となっているのは何と言っても超電導磁石だ。磁石の素材選びもさることながら、何よりも超電導状態を維持する方法が難しい。超電導磁石を低温に保つには車両に超低温に冷やした液体ヘリウムを詰め込んだ冷凍機を用いるのだが、電力を供給すればいつでも走行に必要な低温になるとは限らないようだ。
 品川―名古屋間を40分で結ぶとすると、2時間もあれば車両は1往復してしまう。(中略)ところが、液体ヘリウムの冷たさがどのくらい続くのかは不透明である。専門家によると、品川―名古屋間の片道ならば大丈夫だという。裏返せば往復での運転は保証できないという意味であり、これでは心もとない。(P.182)

(前略)超電導リニアの走行コストは新幹線と比べて著しく高い点も問題だ。JR東海と共同で研究開発を行っている鉄道総合技術研究所によれば、山梨実験線で試験中の車両が走行するために消費する利用客1人当たりの電力の量は新幹線と比べておよそ3倍だという。
(中略)航空機と比べてみよう。2010年度に国内線の(中略)1人の利用客が1キロメートル移動したときの燃料消費量は0.05リットルだ。
 電気事業連合会によると、(中略)1キロワット時の電力を発電するには0.2リットルの重油が必要となり、超電導リニアで求められた0.12キロワット時の電力を発電するには0.02リットルを消費する。
 航空機は超電導リニアよりも燃費は悪いものの、旅客と一緒に貨物の輸送も可能だ。2010年度は旅客便だけで55億3129万3930トンキロの貨物を運んでいるから、実質的な燃費は超電導リニアに近づくだろう。その証拠に超電導リニアに対して「こんなにエネルギーを消費する乗り物が果たして必要なのだろうか」と疑問を投げかける関係者すらいる。(P.183-184)

上記の「燃料消費量」に関しては、(僕の)別ブログの「フロリダ」注釈8の記事参照(「速度という便益でみれば、自動車は20倍の便益を人間にもたらすが、同時にエネルギー消費も20倍」、「『技術』には多かれ少なかれそういう性質がある」、月尾嘉男)。

(前略)建設工事費も忘れてはならない。想定されるルートからもおわかりのとおり、中央新幹線はとにかくトンネルが多く、(中略)9割方の260キロメートル前後がトンネル区間となりそうだ。理由はもちろん、南アルプス中央アルプスをはじめとする山岳地帯を横断するからで、品川―相模原市内間と名古屋市内が地下区間となることも拍車をかけている。
 言うまでもなく、地上に線路を敷設するよりもトンネルの建設工事費は高額だ。(中略)トンネルによって節約できるのは用地取得費だけ。掘削のために多額の建設工事費を要するし、完成した後も湧き水を外にくみ出すためのポンプを作動させたりと何かと費用がかかる。
 さらに、超電導リニアではトンネルの構造上の理由から新幹線と比べて確実に高額となってしまう。断面積が大きいことから掘削する量が増えて建設工事費がかさみ、同時に工事の難易度も上がるからだ。
(中略)建設工事費がかさむ要素はまだある。超電導リニアが搭載する超電導磁石は非常に強力なので、近くに設置された金属は容易に磁化してしまい、車両が走行するうえで抵抗が生じてしまう。このため、高架橋や防音壁を構成する鉄筋コンクリートの鉄筋には一般的な鉄を用いることができず、ほとんど磁化しない特性をもつ高マンガン鋼を使用しなければならない。(P.185-186)

 磁化と言えば、利用客の健康も心配だ。JR東海によれば安全性に問題はなく、心臓ペースメーカーを装着していても大丈夫だし、アナログの腕時計が遅れるといったこともないというが、こればかりは実際に開業してみないとわからない。ちなみに、中央新幹線にせっかく乗ったのだから記念写真をと思うだろうが、その願いをかなえることは困難だ。強力な磁気から人々を守るため、プラットホームの端には頑丈な柵が張りめぐらされ、超電導リニアに乗り降りする際には航空機のボーディングブリッジのような乗降装置を通らなくてはならないからである。(P.186-187)

驚いた。(僕の中の)超電導リニアのイメージが全然、違っていた(汗)。超電導リニアは「鉄道」と言うよりも、とてつもない一個の「装置」のようである。そして、著者は「これだけの技術的な課題、そして予想される多額の債務――。率直に申し上げて、JR東海中央新幹線にかける情熱は筆者のような意志の弱い人間にはとてもまねができない。中央新幹線を建設する理由として、高収益が望めるからというのが企業の在り方として正しいが、JR東海はそうした利潤の追求を超え、どこか崇高な目的すらうかがえる。」(P.187)と述べている。うーん。

 品川―名古屋間を40分、品川―新大阪間を1時間7分で結ぶ中央新幹線のライバルとして一般に考えられているものは航空機である。しかし、意外にもJR東海は航空機に対しては楽観的な姿勢を示した。(中略)同社は「高速道路の無料化反対」と政府に要望している。(中略)なぜJR東海は高速道路を目の敵にしているのだろうか。
 筆者の考えは次のとおりだ。高速道路は幅広い層の人々が利用していて、東海道新幹線ではどうしても取り込めないある一定の層の人たちがおり、(中略)高速道路をどのような人たちが利用しているかについてはサービスエリアパーキングエリアを訪れるとよい。新幹線と高速道路の利用者の差は明らかだ。そもそも、服装からして違う。高速道路の利用客は背広あり、作業着あり、私服ありとバラエティーに富んでいる。(中略)こうした人たちをよく観察すると、別に利用客は金が惜しいのではなく、自動車で移動することで得られる便利さを優先させたからと思えてならない。その便利さとは、駅から遠く離れた場所にも自由に行け、大量の荷物を携えての移動が可能で、小さな子ども連れであっても周囲に迷惑をかけないといった点が挙げられる。
 こうした便利さをいまの新幹線に望むことはできない。(中略)実はJR東海もこのことはよく知っているのだろう。だからこそ、(中略)高速道路を敵視するのだ。(P.191-193)

 いっぽう、JR東海が楽観視している航空機は今後、新たな展開が見え、安閑としてはいられない。第一章で述べたように低価格を売り物のロー・コスト・キャリア(LCC)が新幹線の牙城を脅かすのではと見られているからである。
 あるLCCの設立発表会での発言を見ていると、LCCのライバルは新幹線ではなく、高速バスらしい。
(中略)中央新幹線の運賃は(中略)建設工事費もかさむことだし、やむを得ないと思うのだが、LCCに対する競争力はほとんどないに等しい。LCCが新幹線をライバル視していない理由もよくわかる。
 運賃が安いからといってLCCが運航する航空機の速度が遅いことはない。羽田空港中部国際空港との間で1時間、羽田空港関西国際空港との間で1時間20分と大手航空会社と同じ所要時間となるはずだ。
(中略)便利な高速道路と格安な航空機とにはさまれ、中央新幹線はどこに行ってしまうのだろう。スピードが速いといっても航空機並みだし、コストもかさむから運賃や料金ははね上がる。快適に移動できるとは思うが、自家用車は言うに及ばず、航空機や高速バスも十分快適だ。むしろ、中央新幹線では車窓の風景という鉄道の利点が損なわれている。スピードが速すぎて景色はよく見えないし、そもそもトンネルばかりだからだ。(P.194-196)

そして、著者は「こう記すと中央新幹線はいかにも中途半端な乗り物となってしまう。」、「一縷(いちる)の希望はこの新幹線を本来の中央新幹線として活用することだ。いま、JR東海は途中駅となる神奈川、山梨、長野、岐阜各県の各駅の利用客を軽視しているように感じられてならないが、むしろこうした利用客が中央新幹線を活性化させてくれるのではなかろうか。(中略)短・中距離を画期的な速さで移動する芸当は航空機にはできない。」と解決案を提示してこの章をまとめている。「関空にLCC就航続々 格安のわけ」(産経ニュース、2011年9月24日)も参照。

あと、本当にどうでもいい事なのだけどw、(僕の)別ブログの「Computer City」の記事参照(Perfume、「リニアモーターガール」(2005年)、→動画)。ついでに、歌詞を少し引用すると、「(※要請により歌詞削除)」。意味が分からない(ワラ)。以上です。

第四章「超電導リニアの未来」はここまで。では。

鉄道の未来学――2011年の鉄道とその未来」に続く。(あと、下記の「永久公債、国有不動産」の記事に、前回の記事の補足を少し書いた。)

永久公債、国有不動産

■「永久公債」について

前回の「鉄道の未来学――幹線の鉄道の未来」注釈2の記事で書いた(松谷明彦著「人口減少時代の大都市経済―価値転換への選択」(2010年)で提案されていた)日本の債務の「永久公債」化について、(ネットで)少し調べてみた。(イギリスの「コンソル債」の他に)過去に日本でも「永久公債」が発行された事があるらしい。ウィキペディアの「調所広郷」の項によると、「明治維新の実現は薩摩藩の軍事力に負うところが大である。薩摩藩が維新の時に他藩と異なり、新型の蒸気船や鉄砲を大量に保有し羽振りが良かったのは一世代前に500万両に及ぶ借金を「踏み倒し」、薩摩藩の財政を再建した広郷のお蔭と言える。しかし、当時の薩摩藩の500万両の借金は年間利息だけで年80万両を越えており、薩摩藩の年収(12〜14万両)を越えており、返済不可能、つまり破産状態に陥っていた。「無利子250年払い」が踏み倒すも同然の処置であるのは事実だが、そのような「債務整理」を行うのはやむを得ない処置である。(中略)広郷の真価はその後の薩摩藩の経済の建て直しにある。膨大な借金を作るような体制を作り変え、甲突川の五大石橋建設など長期的にプラスと判断したものには積極的に財政支出を行うことにより、最終的には50万両にも及ぶ蓄えを生み出している。」との事です。この「無利子250年払い」が「永久公債」です。前に本ブログの「廃県置藩――Abolition of the ken system」の記事で、「明治維新」と「薩摩藩」に関して、ほんの少し書いたのだけど、意外なところで話がつながった(ワラ)。

ま、常識的に考えれば、「永久公債」は借金の「踏み倒し」でしょう(→動画*1)。でも、「国家」は特殊なので、常識を飛び越えて行けるかも知れません(おいおいw)。例えば、国家は次の二つの点で特殊(非常識)です。まず第一に、国家は正統(合法的)な暴力の独占を保持しているという事です。そして第二に、国家は無限(永久)であるという事です。えーと、債務の問題ではなく年金問題の話になってしまうけど、小島寛之著「数学的思考の技術―不確実な世界を見通すヒント」(2011年)*2の第5章「年金問題を数学から考える」から少し引用すると、「このところ、継続して「経済問題」なのが年金問題である。(中略)経済学者の筆者も、残念ながらこの問題を解決するうまい知恵は全く持ちあわせていない。それどころか、「どうしてここまでほうって置いたのですか」と末期の患者の前で嘆くドラマの中の医者のような気分でさえある。ここでは(中略)「年金問題の数学的構造」という、独自の観点から話をしてみたい。」(P.59)と述べてから、「ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス」と「賦課方式の年金制度」が同じ構造である事を説明して(P.59-62)、「国家というシステムは、このように「無限の本性」を利用できる利点がある。それが、個人や民間と国家とが根本的に異なる点だ。」(P.62)と述べている。もちろん、債務と年金制度は異なるので、直接は関係ないのだけど、このような「無限の本性」を債務の「棚上げ」に利用できるとよいのかも知れない。そして、著者は「(前略)このことをして、1970年にノーベル経済学賞を受賞したポール・サミュエルソンは、こういっている。「社会保障制度の素晴らしさは、それが年金数理的な会計上は破綻している、というまさにその点にある」。つまり、賦課方式の年金は、「決して破綻しないねずみ講」なのである。そう、人口が減少さえしなければ……。」(P.62-63)と述べている(汗)。うーん。社会保障制度はやがて「全額税方式」にでもなるのだろうか。「年金支給開始年齢 引き上げ検討へ」(NHK、2011年10月9日)も参照。

いずれにせよ、松谷明彦が(冒頭の)同書で、「目指すべきは、必ずしも「小さな政府」ではなく、「小さな財政」である」(P.100)と述べているように、今世紀の日本社会では、「財政」が最も重要なキーワードになるだろう。これは都市計画(都市論)や公共建築(論)にも敷衍するだろう。またおそらく、前に(僕の)別ブログの「フリーミアムが都市を征服する?」の記事で書いた「社会的共通資本」*3を整備する方向へと進むだろう。また、前に(僕の)別ブログの「麦わら帽子はどこへ行ったのか」注釈2の記事で、社会改良家のエベネザー・ハワードが描いた「マスターキー」のダイアグラムについて書いたのだけど、ハワードは「社会問題の解決」を目指していく事が「キーを廻す原動力」となる、と考えていたのです。つまり、「社会問題」は「逆手に取ればよい」という事ですw。債務の「永久公債」化については、もう少し調べてみる(ネットで)。以上です。

■「国有不動産」について

書くペースを上げます(汗)。
原理主義はもうやめよう 国有不動産」(アゴラ、2011年10月6日)のニュースが面白かった。とりあえず、二点だけ。まず第一に、前回の「鉄道の未来学――幹線の鉄道の未来」の記事で、「「市場」のシステムが全域化した今日においては、(中略)「打つ手」(部分解)ならあるだろうけど、その先の「答え」が分からない。」と書いたのだけど、このニュースを読んで、少し肩の荷が下りました。なぜなら、その先の抽象的な「答え」を考えても、埒が明かなかったから。それよりも、具体的な「打つ手」(部分解)を一つずつ提案したほうがよいのである、といった方針の後押しを得たような気がしている。もしかしたら、「市場」には、あらゆる抽象を呑み込む性質があるのかも知れない。それならば、尚更、都市の具体的な「土地」や「物理」と関わったほうがよい。そして第二に、そのニュースに「国は国有不動産を保有することにより有効活用すべきだ。」とあるのだけど、国は東京都心の超一等地に広大な土地(不動産)を持っているわけです。つまり、あそこです。永田町霞が関ですw。ま、何が言いたいかと言うと、「首都機能移転」をすると、この超一等地が空く、という事ですw。ここに超高層の賃貸マンション(「良質な賃貸住宅」)を建てまくって、「国有不動産」として有効活用すればよいのです。莫大な賃料収入は国庫を潤すだろう。「国民一人一人の増税額を緩和するために国有不動産を活用することが望ましいと考える。」と、そのニュースは結んでいる。と言うわけで、前回の記事でも書いたけど、僕は「首都機能移転」に大々賛成です。以上です。

あと、予定では、上記の「永田町・霞が関再開発計画(仮)」から、建築家のル・コルビュジエが提案した「パリのヴォアザン計画」(1925年)へと話をつなげるつもりだったのけど、また今度。とりあえず、(僕の)別ブログの「表記-4」、「表記-6」の記事参照。では。

*1:ウルフルズ、「借金大王」(1994年)の動画歌詞を少し引用すると、「(※要請により歌詞削除)」

*2:(僕の)別ブログの「ロマンチストとリアリスト」、「Valentine House (バレンタインの家)」注釈5の記事参照(同書)

*3:社会的共通資本とは、市民の生活を支えるさまざまな「有機的な装置」の総称である。自然環境や都市インフラや医療・教育・金融などの社会制度を包括する概念だ。宇沢は、社会的共通資本というものを、「市民1人1人が人間的尊厳を守り、魂の自立をはかり、市民的自由が最大限に保たれるような生活を営むために重要な役割を果たすような財・サービス」と規定している。このような性質を持つため、これらの財・サービスは、私有や私的管理や市場における価格的取引が許されず、社会の共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・維持されるものとするのである。(中略)特筆すべきことは、さらに、医療制度・学校教育制度・司法制度・行政制度・金融制度などの諸制度を、「制度資本」と呼んで、社会的共通資本の中に取り込んでいることである。(中略)これまでの経済学では、「環境」というのは、ある意味「やっかいもの」として扱われてきた。しかし、宇沢は、この社会的共通資本の理論を提出することによって、むしろ「自然資本」を含む社会的共通資本こそが、市場システムの不備と不安定性を補い、人間社会に豊かさをもたらすものだ、そう主張しようとしている。社会的共通資本の適切な管理・運用によって、市場システムは、十分な豊かさを与えながらも適切な節度を保つことが可能になる、そう論証するのである。(中略)不況というのが、貨幣的な現象であり、資本主義社会が宿命的に避けられないものであるなら、むしろその「社会の病気」を逆手に取って、不況下では効率性を備える「社会的共通資本の充実」を推進することが、不況への次善策的対処だと考えているのである。(後略)」(小島寛之著「数学的思考の技術―不確実な世界を見通すヒント」(2011年)、第2部「幸せな社会とはどういうものか」、第5章「お金より大切なものはあるか」、P.145-155)