【子どもでも分かる】モダニズムって何?

 

前回の「抽象絵画って何?」に続いて、今回は「モダニズム」について説明します。

モダニズムとは、19世紀の中頃にヨーロッパで実際に起きた歴史的な事実(エピソード)なのですが、それが何であったのかは実はまだはっきりとは分かっていません。なぜなら、モダニズムは歴史的にみて前例のない、極めて特殊なものであるからです。

また、モダニズムが実際にいつ始まったのかを言い当てるのも簡単ではありません。ま、大ざっぱにはモダニズムとほぼ同時期に始まった自然主義(19世紀末〜)やその直前のロマン主義(18世紀末〜19世紀前半)と、その延長であれその革新であれ、何らかの関係はあるのでしょうが、実際にはモダニズムは異なる時期に異なる芸術において、ややこしいかたちで出現したのです。でも、場所だけははっきりしています。モダニズムの発祥地はフランスです。前回の記事でとりあげた作曲家のドビュッシーはフランス人ですね。

では、モダニズムの定義は何でしょうか。実はこの答えも簡単ではありません。なので、モダニズムを定義するというやり方はおいといて、直観によって、即ち、モダニズムの「絵画」から説明することにします。では、フランスの画家のマネの代表作「オランピア」です(下図)。1863年の作品です。


エドゥアール・マネオランピア」、1863年の作品)

ちなみに、この絵画はスキャンダルを(性的な意味で)巻き起こしましたが、マネがこのような猥褻な絵画を描いたのは「草上の昼食」とこの「オランピア」の2点だけです。本題はそこではありませんからね。この絵画の衝撃は「メディアムの処理」にあるのです。「メディアム」については、前回の記事で既に説明してあるのですが、「メディアム」とは「絵の具」等のことです。ですので、「メディアムの処理」を分かりやすく言い換えると「絵の具の使用法」です。マネが描いた「オランピア」の衝撃は「絵の具の使用法」にあるのです。

そのことは、この絵画の元ネタであるイタリア・ルネサンスの絵画の「ウルビーノのヴィーナス」と比較すると一目瞭然です。マネが描いた「オランピア」では「絵の具」がベタッと平面的に塗られていることが分かるでしょう。マネ以前の絵画では「陰影法」や「遠近法」等が使われて立体的に見えるように描かれていましたが、前述したようにマネが描いた絵画はベタッと平面的です。それはなぜか。前回の記事でも書きましたが、絵画のメディアムは「絵の具」の他にもう一つあります。「キャンバス」です。言うまでもなく「キャンバス」は平面です。だから、マネが描いたこの絵画はベタッと平面的なのです。

もう少し詳しく説明すると、前回の記事では、メディアムの「限界」や「扱いにくさ」を受け入れた絵画は「純粋」である、とも書いているのですが、マネが描いたこの絵画では、絵画のメディアムである「キャンバス」が平面であることを受け入れたからこそ、「絵の具」を平面的に塗っているということです。よって、この絵画は「純粋」なのです。マネ以前の絵画では「キャンバス」は平面であっても、その中に描かれるものは立体的に見せよう(キャンバスが平面であることを隠そう=不純)としていたこととは対照的なのです。マネが描いたこの絵画は「根本的に新しいもの」として世に現れたのです。

さて、この絵画の衝撃は「メディアムの処理」にあると書きましたが、実はこの「メディアムの処理」がモダニズムの起源なのです。つまり、モダニズムの定義は二の次だったのです。モダニズムとは「言葉」ではなく「物」と「技術」そのものなのです。例えば、最近、多くの建築家や建築学生がスチレンボード製の建築模型を使ってスタディしたり(模型という建築)、CADを使って新しい建築表現を追求する(コンピュテーション)という取り組み方をされているけど、それが「モダニズム」なのです。

美術評論家クレメント・グリーンバーグは、モダニズムについて、「モダニズムは、まず技術、最も直接的で具体的な意味でいう技術によってその存在を何にもまして明示した」と述べています。更に、「このことこそ、マネが絵画であれ、その他の芸術であれ、どの同時代人よりも決定的に当時の慣例を打破したということなのである」と述べています。つまり、「物」と「技術」へ深く取り組むことによって、真に新しいものが生まれる(可能性がある)というわけです。グリーンバーグは、マネの「オランピア」が実際にそのようにして描かれたという歴史的な事実(エピソード)に基づいてこのように述べているのです。逆に言えば、それ以外にモダニズムを語る方法はないのです。

そして、グリーンバーグは「あらゆる芸術において、そのメディアムで起こったこと、私はこれこそがモダニズムの起源を確定するのに最も重要であると考える。モダニズムを美的質の革新とし、それによって自己が正当化されたのは、メディアムの直接知覚できる実体の革新による。そうした革新を離れてしまえば、モダニズムは消散する」と述べています。つまり、モダニストはメディアム(物)から離れてはならない、直接的でなければならない、手を動かせよw、ということです。もちろん、前回の記事で書いたジャクソン・ポロックのように体を動かしてもいいでしょう。いずれにせよ、規範となる世界を先において、その模造物(またはイリュージョン)をつくろうとすることはやってはいけません。それは時の「静止」を意味します。それに対して、モダニストはいつも「動いている」のです。ただし、その行き先は誰にも(グリーンバーグにも)分かりません。

でも、幸いにして、創作活動を絶えず行う芸術家にとっては、安定したもの(確実なもの)があるのです。それが「メディアム」です。先ほど、1860年代初めにマネが描いた「オランピア」の衝撃について書きましたが、マネに続いて現れた印象派の画家たちは、このメディアムの中へと深く没入し、紛れもないモダニズムの芸術を次々とつくり出していくのです。(印象派については、前回の記事も参照。)

では最後に、その印象派の画家のモネの代表作「印象・日の出」です(下図)。1873年の作品です。マネが描いた「オランピア」よりも、更に「キャンバス」の平面性と「絵の具」の扱いにくさが強調されていることが分かるでしょう。繰り返しになりますが、絵画のメディアムは「キャンバス」と「絵の具」です。この絵画では「メディアムの処理」がより一層、深く探究されているのです。これが「モダニズム」なのです。


クロード・モネ印象・日の出」、1873年の作品)

というわけで、説明は終わり。

…といいたいところですが、疑問があります。「なぜモダニズムの起源は絵画だったのか」と「なぜモダニズムは世間にスキャンダラスな出来事として受け止められ、あれほどまでに激しい抵抗を受けなければならなかったのか」の2つです。後者については今でもよく分かっていないのですが、前者については、おそらく絵画には「差し迫った事情」があったのだと考えられます。そして、この「差し迫った事情」は他の芸術にはありませんでした。

19世紀では文学や音楽は(モダニズムに関係なく)盛況でした。彫刻はそれらとは対照的に完全にオワコンでした(むしろ彫刻はモダニズムによって再活性化した)。絵画を襲った「差し迫った事情」とは19世紀にカメラ(写真機)が発明されたことです。それまでの絵画は写実的な肖像画とかを描いたりして絵画というジャンルを形成していたのですが、その役割が不要になったのです。

それと、もう一つの理由として、絵画は芸術の他のジャンルと比べてメディアムを分離しやすかったということがあります。絵画のメディアムは「キャンバス」と「絵の具」でかなりはっきりしていますが、他の芸術ではそれほど簡単なことではないのです。文学では何がメディアムで何がそうでないのかを区別することは容易ではありません。文学からメディアムだけを取り出すのは不可能な理想でしょう。19世紀のフランスの文学でも(フローベールボードレールゴーティエも)、マネ以前に「メディアムの処理」については一度も言明していません。*1

音楽では文学とは対照的に全てがメディアムであると言えるのですが、同時に全てが内容でもあるのです。建築では機能が求められるので、メディアムの問題は二の次になります。更に、グリーンバーグの考えでは、建築は例外で、他の芸術では伝統を継承したにも関わらず、モダニズムの建築だけは伝統と闘い、新しい伝統を開始しようとしたのだそうですw。その理由は、建築はメディアム自体が変わった(19世紀に建材が鉄・ガラス・コンクリートへ変わった)からではないかと考えられますが、どうなんでしょう。*2

終わり。

(参考文献:クレメント・グリーンバーグ著「グリーンバーグ批評選集」第1部「文化」-3「モダニズムの起源」)

*1:文学のモダニズムの起源は「芸術至上主義者」にあります。1857年にフローベールからボードレールに宛てた手紙に「あなたの著作について、何よりも私の好むところは、初めに芸術があるということです」と書かれています。そして、この「初めに芸術がある」ということ、即ち、「芸術のための芸術」(l'art pour l'art)であることがモダニズムなのです。ま、この話を掘り下げていくと、カントの哲学(自己批評性)に行き着くので、ここで止めますw。ちなみに、社会学者の稲葉振一郎氏は「社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか」の第7講「モダニズムの精神」で、「モダニズムとは近代の自意識である」と説明しています。

*2:モダニズムの刷新への緊急性とそれに対する抵抗は、相互にまたがる問いでありながら、その答えもお互いの内に含まれている。モダニズムは、他の何にもまして伝統の委譲(devolution)を目指している。(…)その伝統とは常識的な合理性であり、表面的な自然の姿、そしたまた見かけ上普通が起る様子との一致である。ただし、遅れて始まったモダニズムの建築は例外と言えよう。というのも、それがルネサンスや歴史主義の復活に背いたのは、まさにその「不合理性」のためだったからである。そしてモダニズムの建築は、伝統を委譲したというよりは、むしろ突如として新しい伝統を開始した。」(「グリーンバーグ批評選集」、P.56-57)