【子どもでも分かる】抽象絵画って何?


芸術の秋ですねぇ。といっても「芸術はよく分からない」「とくに抽象絵画はさっぱり分からないから苦手」と思われている方は、少なくないと思います。というわけで、簡単に説明します。

まず、なぜ抽象絵画は分かりにくいのかといえば、それは芸術家が分かりにくいように描いているからですw。分かりにくくて当然ですね。では、なぜ芸術家は分かりにくいように描くのでしょうか。それは芸術を心で感じてもらうためです。分かりやすい絵画では頭で理解できてしまうので、心までは届かないのです。

というわけで、説明は終わりw。といいたいところですが、芸術を心まで届ける方法は、他にもあるはずです。べつに抽象絵画でなくてもいいのでは、と思われる方もいるかと思いますので、もう少し説明しましょう。

芸術はもちろん絵画だけではありません。文学や音楽なども芸術ですね。17世紀のヨーロッパでは、文学が芸術の頂点に君臨していました。一方、当時の絵画は比較的つまらない室内装飾みたいなものでした。そこで芸術家は絵画に文学の効果を取り入れようと試みたのです。ところが、これは失敗でした。絵画が文学の物真似をしても、結局は文学の「引き立て役」にしかなれなかったのです。

といっても、念のため、当時の芸術家の絵が下手くそだったというわけではありません。それどころか、むしろ上手でした。本物そっくりの写実的な絵画も描けましたし、文学の世界で表現されているようなファンタスティックなイリュージョンの世界を絵画で表現することもできました。それはあまりにも上手だったので、「キャンバスに絵の具で描いた」とは思えないほどでした。というか、芸術家はそのイリュージョンの世界の完成度を高めるために「キャンバスに絵の具で描いた」ようには見えないようにすること(隠すこと)に腐心したのです。それでも、しょせんは他の芸術の物真似なので、そこから絵画の新しい世界が花開くということはありませんでしたが。

しかし、19世紀に転機が訪れます。芸術の頂点に君臨していた文学の支配に反逆する芸術家が現れたのです。そのきっかけとなった原因はヨーロッパで起こった革命(1848年革命)の混乱とも言われていますが、19世紀についにアヴァンギャルド(前衛芸術)が登場するのです。

最初のアヴァンギャルドギュスターヴ・クールベでした。クールベブルジョワ社会ではなく労働者の絵を描いたことで知られているのですが、クールベの描いた絵画では文学のファンタスティックなイリュージョンの世界は完全に一掃されました。しかし、クールベの絵画は写実的で、まだ抽象絵画ではありません。アヴァンギャルドの活動は一挙ではなく少しずつ展開していくのです。

次のアヴァンギャルド印象派です。ご存知の方も多いでしょう。印象派は文学の代わりに科学を絵画に取り入れました。科学のような超然たる態度を持って、絵画の本質に到達しようとしたのです。印象派の絵画では自然を写実的に再現することよりも、色彩の本質が探究されました。少しずつ抽象絵画っぽくなってきました。念のため、クールベの絵画と印象派の絵画は全く異なっているように見えますが目的は同じです。繰り返しになるけど、どちらも文学の支配に対して反逆しているのです。

そして、最後に紹介するアヴァンギャルドクロード・ドビュッシーです。ま、作曲家ですけどw、ドビュッシー音楽界の印象派です。印象派(絵画)が色彩の本質に迫ろうとしていたのと同じように、ドビュッシーは音の本質に迫ろうとしたのです。そして、ドビュッシーの成果は偉大でした。そのため、絵画のアヴァンギャルドたちは、今度はそのドビュッシーの音楽の物真似をするようになるのです。嫌な予感がしますね、また失敗するのではないかと。

でも、今回は大丈夫でした。というのも、絵画よりも音楽のほうが抽象的であったからです。絵画のアヴァンギャルドたちは、音楽が究極の抽象芸術であるということを「発見」したのです。そして、絵画は抽象化の方向へ進めば良いということが分かったのです。また、音楽は感情以外のいかなるものも伝達できないという極めて純粋な芸術です。そして同様に、絵画のアヴァンギャルドたちはその音楽から引き出された純粋という観念に導かれて、文化史上例のない活動を展開することになるのです。そうして達成されたのが抽象絵画です。つまり、抽象絵画とは極めて歴史的なものであるということです。ま、見た目はチンプンカンプンかも知れませんがw、抽象絵画には絵画の歴史がDNAのように刻まれているのです。

というわけで、説明は終わり。といいたいところですが、更にもう一歩、踏み込んでみましょうw。さて、絵画の純粋性とは何でしょうか。

美術評論家クレメント・グリーンバーグは、それは「メディアムの限界を受け入れる」ことであると述べています。この「メディアム」という言葉は聞き慣れないかも知れませんが、「間にあるもの」という意味です(ちなみに、メディア(media)はメディウム(medium)の複数形です)。では、絵画のメディアムとは何でしょうか。それは芸術家と作品の「間にあるもの」のことです。つまり、「キャンバス」と「絵の具」です。

更に、グリーンバーグは「メディアムとその扱いにくさを強調すれば、直ちに視覚芸術の純粋に造形的、固有の価値が前面に現れる」とも述べています。つまり、絵画では「キャンバス」と「絵の具」の「その扱いにくさを強調すれば、直ちに視覚芸術の純粋に造形的、固有の価値が前面に現れる」というわけです。そのようにして現われている絵画は純粋であるとグリーンバーグは述べているのです。

なぜなら、その方法がかつて芸術の頂点に君臨していた文学から最も遠いところにあるからです。この記事の前半に書いたように、かつて絵画は文学の物真似をして失敗したわけですが、当時の芸術家は「『キャンバスに絵の具で描いた』ようには見えないようにすること(隠すこと)に腐心した」ことを思い起こして下さい。グリーンバーグが語る絵画の純粋性とまさに正反対の関係にあることが分かるでしょう。

最後に、20世紀のアヴァンギャルドの画家のジャクソン・ポロックの作品を紹介しておきます(下図)。これが抽象絵画です。これが純粋な絵画です。または、これが歴史的に正当な絵画なのです。この絵画へと導いたのは歴史なのです。ちなみに、グリーンバーグポロックを「いくら称えようとしても称えるための言葉が存在しない」と絶賛しています。

というわけで、皆さん、美術館へ行って「芸術の秋」を堪能しましょう! 芸術とは頭で理解するのではなく、心で感じるものであることは昔も今も同じですw。


ジャクソン・ポロック「Autumn Rhythm」、1950年の作品)

(参考文献:クレメント・グリーンバーグ著「グリーンバーグ批評選集」第1部「文化」-2「さらに新たなるラオコオンに向かって」)