松谷明彦著「人口減少時代の大都市経済」からの引用集(メモ)

 
政策研究大学院大名誉教授の松谷明彦*1の著書「人口減少時代の大都市経済――価値転換への選択」(2010年)から引用してみた(メモ)。

念のため、この本はとても話題になりました。テレビでも取り上げられました。僕がこの本を知ったきっかけは「ニュースモーニングサテライト」(テレビ東京、2010年11月15日放送)の特集「東京が危ない!」(上図)でした。この本に書かれている事は今後ますます重要になってくるでしょう。では、引用をはじめます(下記)。

■ 第1章「行き詰まる大都市」

(前略)日本人は、これから六〇年以上にわたって、その社会と経済の運営に関して世界で最も厳しい環境に置かれることになるわけだが、ではそうした環境がすべての日本人にとって一様かというと、実はそうとは言えない。なぜなら人口が高齢化する速度は地域によってかなり異なる。結論から言えば、より一層厳しい環境に置かれるのは日本の大都市地域であって、地方地域ではない

(中略)システムの変革を先延ばしにすれば、社会や経済は機能不全となり、やがては崩壊するだろう。日本が、なかでも大都市地域が直面しているのは、そうした困難さである。(P.13-14)

前に(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事と、前回の「東京(首都圏)は滅亡する―第2回」の記事で、「日本は未知の領域に突入する。」と書いたのだけど、これは少し間違っていて、正しくは、「日本の大都市(とくに東京圏)は未知の領域に突入する。」でした。訂正します。

(前略)つまりわれわれはもはやどうあっても、大都市地域における急激な高齢化の流れを変えることはできないのである。それどころか、その流れのスピードを変えることすらも難しい。

 以上、垣間見たように、大都市地域における急速な高齢化は、その存立基盤にも関わる重大かつ解決困難な問題を引き起こす。しかし困難だからといって、われわれはその問題を回避することはできない。問題そのものを直視して、その克服に取り組むほかはないのである。しかし近年の政治行政は、少子化対策や都市間競争論にみられるごとく、いかにして子どもを増やすか、あるいはいかにして大都市経済に人を集めるかといったことに資源と政策努力を集中しているようにみえる。浪費と言うべきだろう。その資源と努力は、高齢化を阻止し、あるいはその速度を緩めるといった徒労にではなく、高齢化がもたらす問題そのものの克服にこそ投入されるべきである。高齢化の流れを変えられないということは、そういうことである。(P.24-25)

念のため、上記の引用(下記も)はかなり省略していますw。実際の本では、様々な統計(データ)を示しつつ、かなり細かく分析的に論じられています。今回の記事では、分析した結果の最後の“まとめ”のところを主に引用しています。

 そして以上のことから、なぜ大都市地域では、財政収支が大幅に悪化する可能性が高いのかも分かる。一言で言えば、大都市は人を集め過ぎた。それも若い人を集め過ぎた。(中略)そうして集められた人々が、これから先、高齢者になる。大都市地域への人口流入が活発化したのは一九五〇年代の半ば頃からだから、それら大量の流入人口が高齢化するのは、まさにこれからである。その一方で、今後、大都市地域への若い人を中心とした人口流入は激減する。(中略)二〇〜三〇歳代の人口が日本全体で激減するのだから、現在の局集中的な人口移動傾向が続いたとしても、流入人口自体は大幅に減少せざるを得ない。

 だから大都市地域では、高齢化率が急激に上昇するのである。そして高齢者数の増加率や高齢化率の上昇幅は、これまで若い人を多く集めてきた地域ほど大きくなる。(中略)東京圏が大都市地域のなかでも飛び抜けて(中略)いるのは、これまで圧倒的に東京圏が若い人を集めてきたからである。(P.37-38)

だからこそ、前に(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事と、前回の「東京(首都圏)は滅亡する―第2回」の記事で書いたように、著者(松谷明彦)は「人口減少社会の到来で、最も苦しむのは東京である」と語っているのです。高度経済成長期に、東京は急激に人を集めすぎたので、急激に高齢化するのです。善し悪しはともかく、因果応報なのです。

 さてそうなると、働く年代の人々にとっては、大都市地域に住んでいるか、地方地域に住んでいるかで、今後の生活水準の変化方向がかなり違ってくる。大都市に住む人々は、地方に住む人々に比べ、より大幅な生活水準の低下を余儀なくされるのである。そうなったとき、彼らはいかなる行動に出るだろうか。大都市を離れ、地方に移住したいと考える人がいても不思議ではない。大都市地域に住んでいる限り、地方地域の人々に比べ、年々税負担が重くなる。あるいは年々行政サービスの水準が低下し、地方地域であれば行政がしてくれることを、自分でお金を出してやらなければならないといったことが年々増えるのである。

(中略)大都市地域では、地方地域への移住を考える人が確実に増えるだろう。地方地域の若者の間でも、これまでとは異なり、大都市に行けば相対的な意味での低福祉・高負担が待っているとなると、転出を逡巡・断念する人が増加すると思われる。戦後における地域間の人口移動は、地方地域から大都市地域への一方通行の動きであった。そうした集中が分散にまで変化するかどうかはともかく、少なくとも局集中といわれる現在の人口分布状況にかなりの変化が生ずるであろうことは確かだと思われる。(P.44)

これによって「地方地域」が復活するとは全く思わないけど(そんなに簡単な話ではないw)、前に本ブログの「大阪維新の会の「船中八策」についてのメモ書き」の記事と、「シンガポールと日本の明暗を別けたもの」の記事で載せた、「この際、日本を30のシンガポールに分けたらどうか? 国家が破綻するくらいなら国民が自ら立ち上がるチャンスを!」(日経ビジネス、2011年1月5日、田村耕太郎)みたいな国土になったらいいな、と僕は思っています。その本ブログの「シンガポールと日本の明暗を別けたもの」の記事で書いたように、気仙沼市の20年後の未来がこんな感じ(→画像)になっていたら楽しいな、と僕は思っています(こらこらw)。また、前に(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事と、本ブログの「東京は最大都市規模を超過しているのか」の記事の注釈7で書いたのだけど、僕は「ま、超ー感覚的には、羽と綿のような(ふわふわ(もこもこ)とした)国土を理想に描くことが一番良い」と思っています。

(前略)前記のように、人口移動の変化は地方地域の経済を変える可能性がある。基本的には、大都市に依存した画一的な地方経済から、多様で自立性ある地方経済への転換と言ってよいだろう。むろん容易な道程ではないし、確実な道程でもない。しかし少なくとも、地方地域が、大都市経済にとっての現在のようなありがたい市場ではなくなることは確かだと思われる。(P.81-82)

という事です。

 一九四六年、日本の産業政策についての論争があった。当時の深刻な生活物資不足のなかで、日本経済としては、直接そうした生活物資(消費財)の増産を目指すのか、それともそのための基礎素材や機械設備(生産財)の新鋭化、増産から始めるのかという論争である。

 後者は「迂回生産」と呼ばれたが、日本人はその迂回生産を選択した。それだけでなく徹底した重化学工業化を選択した。あらゆる基礎素材産業、重電重機産業を国内にフルラインで揃える、という欧米先進国にも例をみない壮大な重化学工業国家の建設である。目指したのは生産財の自給体制の速やかな確立であり、そのためそれらの産業の育成・拡大は国家的最優先課題とされ、原材料等の輸入割当、価格補給金、さらには債券の日銀引受けなど、広汎かつ大規模な優遇策が講じられた。しかしその一方で消費財産業を始めとするその他の産業は軽視され、あるいは冷遇された。いわゆる「傾斜生産方式*2」である。だから大都市地域でだけ経済発展が進んだのである。

 大都市地域すなわち三大都市圏でだけ経済発展が進んだのは、当然の帰結であった。おそらく当時の政府は、必ずしも大都市地域でだけ経済発展を進めようとまでは考えていなかっただろう。しかし徹底した傾斜生産政策が、地方地域の経済発展の芽を摘む結果となった。もしあのとき、消費財産業の育成にも少しは力を入れていたとしたら、日本の各地で様々に経済発展が進んだことだろう。立地の制約が少ないことに加え、そもそも消費財産業は市場のそばに立地する傾向があるからである。少なくとも一定規模以上の人口拠点すなわち地方中枢都市や地方中核都市では、確実に自立的な経済発展が進んだものと思われる。

 むろん多くの生産財が陳腐化し、量的にも大幅に不足していた当時の状況からすれば、生産財の新鋭化や増産については納得できる部分も多い。加えて日本ほどの人口大国が、消費財産業だけで豊かな先進国になることは難しい。一定の重化学工業は必要である。しかし果たしてフルラインの自給体制までの必要があったかどうか。欧米先進国のように輸入を活用しつつ、いくつかの産業分野に特化するという国際分業の手法もとり得たはずであり、そうであれば必ずしも大規模な工業地帯は必要としない。重化学工業の拠点すらも三大都市圏以外の各地に分散する可能性があった。(P.53-55)

これはとても勉強になりました。戦後の1946年にそのような「論争」があったとは全く知りませんでした。ま、一般的に、大都市化(東京一極集中等)は、市場的で自生的で自己組織化的な「自然現象」であるのに対して、前に(僕の)別ブログの「クルーグマン」の記事と、前回の「東京(首都圏)は滅亡する―第2回」の記事で書いたような、「国土の均整のとれた発展」(田中角栄の「日本列島改造論」等)は、民主的で計画的で不自然な「人工現象」であると見做されている向きがあるのだけど、決してそうではないという事です。どちらも「人工現象」なのですね。これはとても本当に勉強になりました。

結果を見れば、当時(1946年)の日本人の判断(「壮大な重化学工業国家の建設」)は正しかったのだと思います。ま、いずれにせよ、問われるべきは、21世紀のこれからの日本はどのような道を選ぶのか、どのような国土をつくろうとしているのか、という事です。僕の理想は、上記で書いた通り(「羽と綿のような(後略)」)ですけど(ははっw)。あと、関連して、前に本ブログの「廃県置藩――Abolition of the ken system」の記事で引用した、「【正論】早稲田大学教授 榊原英資 「この国のかたち」変えるには」(産経ニュース、2008年10月15日、榊原英資)も参照。

少し書くペースを上げます。

 傾斜生産方式は、いま一つの重大な結果をもたらした。人口の局集中と地方地域における急速な高齢化である。(中略)過去をみても、地域間でこれほど人口動態に差がみられた例はない。(中略)大都市地域への人口集中、わけても若年人口の集中によって、地方地域の経済は急速にその自立性を失うのである。(P.57-58)

「東京の一人勝ち」などと称されるそうした状況こそが、実は日本経済の最大の欠陥なのであり、日本経済なかでも大都市経済の衰退に拍車を掛けていることを知るべきだろう。(P.67)

 人口減少時代の財政に求められているのは、行政コストを最小限に抑える努力であり、目指すべきは、必ずしも「小さな政府」ではなく、「小さな財政」であるということを忘れてはならないだろう。(P.99-100)

上記の「小さな政府」に関しては、(僕の)別ブログの「超郊外の景色」の記事参照(「政治家が「大きい政府」よりも「小さい政府」だとか言ったって、私たちが「理念」を復活させられる保障はどこにもない。」)

「小さな財政」に関しては、本ブログの「永久公債、国有不動産」の記事参照(「今世紀の日本社会では、「財政」が最も重要なキーワードになるだろう。これは都市計画(都市論)や公共建築(論)にも敷衍するだろう。」)

第1章は以上です。

ま、第1章の後半はかなり飛ばし気味だったかも知れないけど(ワラ)、今回の記事はここまで。次の第2章「大都市経済はどこに向かうべきか」と第3章「大都市社会はどこに向かうべきか」はそのうち書きます(たぶん)。とりあえず、第2章から一か所だけ引用しておくと、「(前略)ある世代の選択がそれほどに遠い将来の世代に影響を与えることになるのが、人口というものが持つメカニズムなのである。」(P.131)との事です。だから、(上記で引用したように)1950年代の半ばに起きた大都市地域への人口流入が、60年後の今頃になって社会問題化(顕在化)するのです。もちろん、前回の「東京(首都圏)は滅亡する―第2回」の記事で書いた「明治維新」(約150年前)も私たちの世代に影響を与えているのです。不思議な感じがしますよね。要するに、私たちは過去(歴史)と否応なしに繋がっているというわけです。あと、一応、今回のこの記事は、前々回の「東京(首都圏)は滅亡する―第1回」の記事と、前回の「東京(首都圏)は滅亡する―第2回」の記事との関連(補足資料)です。と言うか、ちょっとドタバタしてきたので(汗)、この「東京(首都圏)は滅亡する」の話の「結論」を先に書いておこうと思いました。前回の記事の最後に「次回はまた別の「都市論」的な事を書きますw。」と書いたのだけど、それは次回書きます(ほんとか?w)。あと、最後に、言うまでもないけど、この本はとても良い本なので、是非、買って読んでみて下さい。もちろん、この本への賛否はあるでしょう。ではまた(ドタバタ)。

「東京(首都圏)は滅亡する―第3回」に続く。

(追記(2012/9/21)。「亀田メディカルセンター院長・亀田信介氏「危ないのは首都圏!」(メモ)」の記事参照。)

*1:【新連載】2035年、若者が東京から逃げ出す!? 東京が「高齢者ホームレス」であふれる日」(ダイヤモンド・オンライン、2012年9月14日)も参照(松谷明彦

*2:石炭・鉄鋼中心の傾斜生産方式決定」(毎日新聞、1946年12月27日)も参照(傾斜生産方式