津波のような建築――Disaster Prevention and Education

大胆な建築デザインです。「津波」を連想させるデザインです。「Istanbul Disaster Prevention and Education Center / CRAB Studio」(ArchDaily、2012年9月8日)より(下図)。

うーん。

コメントがしにくいのだけど、この建物は「Disaster Prevention and Education Center」(防災教育センター)なので、大災害を建築の形象(デザイン)で表現する、または、私たちが大災害を忘れないように建築の形象を使って記憶に留める、といった方法論にも一理はあるのかも知れません。でも、正直言って、僕の「好み」とは相容れません。その理由について少し考えてみたのだけど、納得のいく答えには、たどり着けませんでした。おそらく、前に本ブログの「もし建築が「リボン」を付けたら――Architecture of Ribbon」の記事や「絶対に今は言わないわ Fake it」の記事で書いた、「フェイク」(fake)*1の扱い方に関する何か(距離感)が関係しているのだと思います(たぶん)。*2

ま、一般的に、「好み」の問題を、理路をたどって説明する(言語化する)のは容易な作業ではありません。何らかの「概念枠」(conceptual framework)を探すか、新たに仮構するか、または、「詩人」になるかしかないでしょう。ちなみに、東日本大震災以前に僕が描いた「東京計画2011」と題したドローイング(アートもどきw)を、前に本ブログの「東京計画2011」の記事に載せているのだけど、僕はこの「東京計画2011」が、「どう見ても、「津波」の被害を連想してしまうので、しばらく非公開にしてました。」のです。これは例えば、サザンオールスターズのヒット曲「TSUNAMI」(2000年)はいつになったら歌えるのか*3、といった問題意識と近い事なのではないかと思います。時の経過(という距離感)も関係しているのかも知れません。ま、いずれにせよ、コメントはしにくいですw。これは難問です。もう少し考えてみます。

下図は上記の「Istanbul Disaster Prevention and Education Center」の屋根伏図(真上から見た図)です。

これは新鮮です。アヴァンギャルドで前衛的なデザインです*4。ところで、上記の建築のウェブサイトの「ArchDaily」は、僕は割とよく見ているのだけど、そのうちの99%はじつは似たようなデザインなのです。だから、「ArchDaily」に掲載される建築作品の量は膨大なのだけど、ブラウズする(斜め読みする)スピードも超高速なのです。そんな状況下でw、上図の屋根伏図は(少なくとも僕には)とても新鮮に映りました。建築形式的に新しい、前例のないデザインです。ま、上記で書いたように、必ずしも「僕の好み」のデザインというわけでもないのだけど、このような発明的なデザインができる人を僕は心から尊敬しています。とりあえず、以上です。

さて、本当はここからが本題なのだけど(おいおいw)、どうしよう。。

話のネタは集めてある(リストアップしてある)のだけど、僕が「納得のいく答え」にたどり着いていないので書きにくい。

うーん。書きながら考えます。

まずは、上記の別の案の「災害対策にトンでもない倒壊ビルが出現?」(ギズモード・ジャパン、2011年12月14日、下図)を参照。少し引用すると、「(前略)トルコ*5イスタンブールにおきまして、人々を地震などの自然災害に備えさせるための新たな災害対策教育センターの設置が計画されているのですが、そのデザイン設計がパねぇアイディアとなりそうですよ! だって、なんだかすでに地震でいまにも倒壊しそうな威圧感ですからね。どうやらその驚きが今回のデザイン案の狙いだそうでして、周辺の人の興味関心を一気に引きつけては災害対策意識の飛躍的な向上が目指されているみたいです。」との事です。「Istanbul Disaster Prevention and Education Center / OODA」(ArchDaily、2011年12月4日)も参照。

では、次です。

奇妙奇天烈摩訶不思議なデザインのタワーがソウルにできます」(ギズモード・ジャパン、2011年12月19日、下図)を参照。少し引用すると、「好き嫌いがはっきりわかれそうなデザインだ。2015年ソウルに完成予定の高層タワー、ドット絵*6の雲がモチーフになっているそうです。(中略)2タワーは真ん中でドット絵雲で繋がっています。完成後は、高級マンション、会議ホール、オフィス、ホテル、ジム、レストラン、公園等がはいる巨大施設となります。(中略)ちなみに、米国からは「9.11の悪夢のようだ!」と非難ゴーゴーだそうです。それもわかります。」との事です。

それと、「ソウルに建設予定のタワーが9・11を連想、建築会社が謝罪」(ロイター、2011年12月12日)を参照。少し引用すると、「韓国の首都ソウル中心部に建設を計画しているツインタワーの完成予想図が、2001年9月11日の米同時多発攻撃で倒壊したワールドトレードセンター(WTC)に酷似していると非難され、オランダの建築会社が謝罪する事態となった。(中略)米メディアによると、米同時多発攻撃の遺族からは、タワーのデザイナーは遺族に敬意を払っておらず、デザインは人目を引くための安っぽい仕掛けだという非難の声が上がった。一方、建築会社では、故意に似せたのではなく、デザインの過程では類似点は見当たらなかったと釈明。「気持ちを傷つけてしまった方々に対し、心からお詫び申し上げたい」と同社のウェブサイト上でコメントした。デザインを変更するかどうかについては触れていない。」との事です。

また、これは(日本の)ネットでも話題になったらしい。「「9.11」連想させる? 韓国で建設予定の高層ビルに批判の声」(痛いニュース、2012年12月10日)を参照。

これは本当に難問です(汗)。でも、今日はここまで。次回は冒頭の「津波」とデザインについて書きます(予定)。とりあえず、僕が東日本大震災の10日後に書いた、(僕の)別ブログの「やりかけの未来がある」の記事を参照(下図)。ではまた。

追記(2012/9/13)。次の「津波の記憶を風化させないために出来る事は何か――津波と船と建築」の記事に続く。

*1:フェイク」に関しては、上記の本ブログの「もし建築が「リボン」を付けたら――Architecture of Ribbon」の記事と、「絶対に今は言わないわ Fake it」の記事の他に、(僕の)別ブログの「はちみつ石の景色」の記事(「(※要請により歌詞削除)」、→動画)、「平面図-1」の記事(「ログハウスキッチュでもフェイクでもない。」)、「グローバリゼーション(写真集)-2」の記事(「フェイク・ファー」、→動画)、「美しい景観-1」の記事(「フェイクのタトゥー」)、「Minimal」の記事(「(※要請により歌詞削除)」、→動画)を参照

*2:本ブログの「アイコンの消失」の記事参照(「かつて措定されたアイコンの物理的・形象的な残骸を用いた表現」と「かつてそこにあったアイコンの記憶の心理的・心象的な残像を用いた表現」)

*3:桑田佳祐さん「TSUNAMI、歌える日がきたら」」(朝日新聞、2012年3月11日)も参照

*4:(僕の)別ブログの「ユルバニスム」の記事(「アヴァンギャルド」)、「十九世紀の罠-2」の記事(「あらゆるかたちの前衛はそれぞれの分野で革命的であるべきだという命題を擁護しよう」、クロード・レヴィ=ストロース著「遠近の回想」)を参照

*5:本ブログの「世界最古の都市遺跡――カタル・フユク(Catal Huyuk)は語る」の記事参照(「トルコ」)

*6:本ブログの「Picture Book House (絵本の家)」の記事参照(「ドット絵」)