東京は最大都市規模を超過しているのか

暇なので、作図してみた(ワラ)。前に(僕の)別ブログの「雑記3」の記事で、「(前略)まあ、大雑把に言うと、都市の「適正規模」が5タイプある、という話です。Richardson及びEvansの都市サイズ・モデルとか何とかです。(中略)「立地論」の本*1に紹介されていて、興味をもちました。」と書いたのだけど、その「Richardson及びEvansの都市サイズ・モデル」です。ま、下図には(5タイプではなく)4タイプしかないのだけどw、元の(正式の)図が複雑で分かりにくかったので、少し簡略化してあります。(一応、下図の「最大可能都市」が本当は2つ(限界値と平均値)あります。この「最大可能都市」と言うのも、僕の造語です。あと、横軸は対数です。)

では、前回の「Googleの自動運転カー」の記事の補足をします。前回の記事の追記では、「都市は成長を続け、企業は必ず死を迎える」(アゴラ、2012年4月26日、新清士)に対して、「(前略)「都市は成長を続け」るという事はありません。都市人口(都市が収容可能な人口)には限界値があります。」と書いているのだけど、都市が持続できるのは、上図の「便益>費用」となる範囲(上図の黄色で塗ったところ)のみです。と言うわけで、都市の人口には「限界値」があるのです。以上ですw。分かりにくいのは、都市の人口が増加するに連れて費用が増加する(下に凸の関数になっている)ところではないかと思います。感覚的には、米サンタフェ研究所のジェフリー・ウェスト(Geoffrey West)氏の理論*2とは正反対の関数になっているのだけど、えーと、「年次経済財政報告」(内閣府*3、2008年7月)の第3章の第4節の2の「人口、都市・行政機能の集積と地方財政」の第3-4-6図「目的別費目と市の人口規模の関係」(P.224、→PDF形式)を載せます(下図)。

ここでも都市の人口が増加するに連れて費用が増加する(下に凸の)関数になっています。しかも、「一人当たり」の費用でです。(一応、横軸の「人口(対数)」の目盛りを人口(真数)に変換しておくと、「9」は約8000人(「e」の9乗)、「11」は約6万人、「13」は約44万人、「15」は約330万人です。)

費用が増加する理由はいろいろと考えられるのだけど、その一つとして、前に(僕の)別ブログの「Googleplex & iSpaceship」の記事で、吉村愼治著「日本人と不動産―なぜ土地に執着するのか」(2011年)から、「東京などの大都市で、都市施設の整備が遅れる理由の一つは、地価が高すぎて事業費の大部分が用地費に取られてしまうことにあります。これはある意味で悪循環なのであって、都市施設の整備が都市化のスピードに追いつけないうちに、地価が上がってしまい、ますます整備が困難になるという状況を生んでいる」(P.78)の文を引用したように、「地価」の問題があります。また、前に本ブログの「鉄道の未来学――日本の鉄道の現状と新幹線の未来」の記事では、「東京の(首都高速の)「中央環状新宿線」(→動画)は、全長11キロメートルで工事費は1兆500億円です。1キロメートル当たりの工事費は955億円(約1000億円!)です。」と書いています。自民党石原伸晃幹事長は、大臣時代(2001年10月)に「北海道の道路は車が走っている数よりヒグマが走っている数のほうが多い」(ウィキペディアより引用)と発言して物議をかもした(東京都知事石原慎太郎も、2005年11月に「夜は鹿か熊しか通らぬ高速道路があちこちの田舎に出来上がった。」と述べている)のだけど、もちろん無駄な道路はつくるべきではないのだけど、東京などの大都市に高速道路をつくる場合にかかる費用は、「田舎」につくる場合にかかる費用よりも一桁は違うのです。大都市の道路と「田舎」の道路は、単純には(物的には)比較はできません。

また、先月(2012年4月14日)、「新東名高速道路」の静岡県の三ヶ日JCTから御殿場JCTまで(162キロ)が開通したのだけど、「「新東名」開通 思わぬ影響」(NHKオンライン、2012年5月2日)によると、「将来的には、東京から名古屋までつながる予定ですが、(中略)神奈川県の海老名市から東京までの区間については、用地買収など新東名建設の事業化のめどすら立っていない」*4のが現状です。更に、大都市の鉄道に至っては、前に本ブログの「鉄道の未来学――大都市の鉄道の未来」の記事で、梅原淳著「鉄道の未来学」(2011年)から、「新たな路線が開業する予定はない。(中略)結論を申し上げよう。残念ながら、通勤ラッシュ*5は現状のままで永遠に続くと考えたほうがよい。(中略)理由はとても単純だ。ラッシュが緩和されすぎてしまうと鉄道会社は儲からないからである。」(P.104-114)等の文を引用したように、あまりにも費用がかかるために、なかなか新しい路線をつくる事ができません。と言うわけで、都市の人口には「限界値」があるのです。

さて、ここまでは結構、簡単な話だったと思います。でも、難しいのはここからですw。まず、冒頭の図(「Richardson及びEvansの都市サイズ・モデル」)の「最大可能都市」、「純便益最大都市」、「最小費用都市」のどれが最も優れているのか、という問題です。じつは、これは一概には言えません。「純便益最大都市」は、便益(メリット)と費用(デメリット)の差が最も大きい都市、「最小費用都市」は、文字通りに費用(デメリット)が最小の都市の事で、しばしば、都市の「適正規模」を算出する時の根拠(都市に「適正規模」がある事の根拠)にもなっています。

上図は「年次経済財政報告」(内閣府)の第3-4-6図「目的別費目と市の人口規模の関係」(P.224)の続きで、内閣府の推計によると、人口28万9000人が「適正規模」のようです。都市社会学の分野では、人口25万人前後を都市の「適正規模」とする記述をよく見かけます。ちなみに、社会改良家のエベネザー・ハワードが提案した「田園都市」(1902年)の1クラスター(人口5万8000人の「セントラルシティ」と人口3万2000人の「田園都市」が6個、→画像)は人口25万人です。イギリスのニュータウンの「ミルトン・キーンズ」(1967年-)の計画人口も25万人です。「多摩ニュータウン」(1965年-)の計画人口は30万人です。また、近年の日本では、「市町村の合併」(平成の大合併)や「コンパクトシティ」化を推し進める根拠にもなっています。都市思想家のジェイン・ジェイコブズは、前に(僕の)別ブログの「都市の非能率性と非実用性」の記事で引用したように、都市に「適正規模」という枠をはめる計画主義(計算主義)的なやり方にはとても否定的なのだけど、では、都市の「適正規模」を大きく逸脱した「最大可能都市」は非生産的かと言うと、決してそうではないのです。「最大可能都市」は、便益(メリット)と費用(デメリット)の差が限りなくゼロに近づいた都市で、悪循環(→画像)に陥っているようにも見えるのだけど、でも、それだけ「カネが回っている」都市でもあるのです。どれだけ費用がかさんでいても、便益が上回っていればサステイナブル(持続可能)なのです。ま、簡単に言えば、もっと稼いでもっと消費しようという都市*6なのです。つまり、景気がいい。実際、日本経済を牽引しているのは、東京、大阪等の大都市です。よって、「純便益最大都市」と「最大可能都市」のどちらが優れているのかは見方(視点、価値観)によって変わってしまうのです。結局のところ、現在の日本の都市規模の分布状況に応じて、冒頭の図の4タイプ(正しくは5タイプ)を指標としながら都市戦略を立てていく事になるのだと思います。僕が(勝手に)考えた都市戦略は、そのうち書きます(たぶん)。*7

では、前置きが長くなったけど、ここからが本題です(おいおいw)。今回の記事のタイトルにあるように、「東京は最大都市規模を超過しているのか」どうかです。東京は都市の「適正規模」を大きく逸脱した「最大可能都市」へ向かうコースを走っている事、都市の人口には「限界値」がある事はすでに説明した通りです。では、都市の人口の「壁」はどこにあるのだろうか。即ち、都市の人口の「限界値」は具体的に何万人なのだろうか。前に(僕の)別ブログの「Googleplex & iSpaceship」の記事で、「都市人口(都市が収容可能な人口)の限界値をいろいろと調べてみると、3260万人だったり4000万人だったりする。つまり、都市経済学者の間でも「東京は過密(過大)である」か否かの評価はまだ分かれている」と書いたのだけど、僕はこの答えを知りません。

都心の容積率緩和の費用便益 ITSによる混雑料金を考慮に入れた分析」(経済産業研究所、2005年3月、八田達夫、久米良昭、唐渡広志、→PDF形式)の論文によると、「東京23 区全体のオフィスビル容積率を20%上昇させ、その結果生じた居住人口の増大が当該区に居住すると想定した場合」に、「容積率緩和が負の費用便益を生む可能性が高い状況で、どのような結果が導かれるか」に注目して分析した結果、「分析結果によると、23区全体において、現状の床面積を20%だけ増やすような容積率緩和をおこなった場合、便益(現在価値で評価した地価上昇金額)から費用(混雑時間費用増加額)を差し引くと約2兆円の純便益が得られる」との事です。便益は「7兆円」、費用は「5兆円」で、純便益(便益から費用を差し引く)が「2兆円」のプラスになるという計算です。つまり、この論文によると、東京は最大都市規模をまだ超過していない(東京はまだ過密(過大)ではない)という事です。ただ、前述の「費用(混雑時間費用増加額)」に関しては、「現況と比較した総所有時間の変化を地域別に見ると、(中略)都心部ほど増大影響が大きく、140万人の就業・居住人口増により、総所要時間は約2倍に増大する。この影響は道路課金が導入され、また三環状*8が整備されても解消することが困難である。さらに地域別に平均走行速度の変化を見ると、現状では比較的円滑な流動がみられる地域でも、140万人の就業・従業人口増による速度低下は著しい。環6環2間では平均30.3km/時から22.3km/時、環2内では平均28.1km/時から18.0km/時へと速度低下する。この影響も、道路課金が導入され、また三環状が整備されても解消困難である。」との事です。「アメとムチ」みたいな話です(汗)。「2兆円」の純便益は得られるけど、現在よりも更に混雑が激しくなるのです。ま、とは言え、「最大可能都市」とは本質的にそのような都市で、例えば、現在の東京の通勤ラッシュになぜ乗客は耐えているのかと言えば、耐えるだけの価値がある(便益が上回っている)からです。

あと、「人口減少下の都市政策:地域間移転の選択と集中で人口集積を」(経済産業研究所、2010年4月2日、小黒一正)から少し引用すると、「(前略)人口減少経済の到来を受け、都市への人口集積を行うことによる成長戦略が注目されている。八田(八田達夫編「都市回帰の経済学―集積の利益の実証分析」(2006年))は、従来の都心抑制策から都心回帰可能型政策への転換が行われた場合、都市集積がもたらす生産性向上の便益は通勤混雑増加の費用を大幅に上回ることを指摘している。(かなり中略)以上のとおり、三大都市圏への人口集積は経済成長、また地方中核都市への人口集積は地方経済成長を促進させる可能性を持つ。(中略)もっとも、既に大都市が最適人口規模を超過している場合、そのような政策は望ましくないが、冒頭の八田(中略)が指摘するように、現状の大都市の人口規模は、経済的に最適水準である人口規模を下回っている可能性が高い。」との事です。長くなったけど、以上です。ではまた。

【前回の補足】

ところで、前回の「Googleの自動運転カー」の記事で、韓国の仁川広域市に建設中の「松島新都市」(2015年完成予定)について書いたのだけど、(ネットで)少し調べてみると、仁川広域市は先月、財政破綻したらしい。驚いた。ウィキペディアの「仁川広域市」の項によると、「無理な開発が祟り、市の予算に対する負債比率は39.8%にまで達し市の財政は完全に破綻したため大きな問題となっている。」との事です。「財政破綻の仁川市で給与遅配」(朝鮮日報、2012年4月4日)も参照。また、前回の記事で「松島新都市」は「開発母体が民間企業」と書いたので、開発費を公(自治体)と民間でどのように分担(負担)しているのかを調べてみたのだけど、いまいちよく分かりませんでした(ははっ…)。ま、いずれにせよ、それだけ都市経営(都市開発)は難しい、という事なのだと思います。「不動産開発のお金」(アゴラ、2012年4月30日、岡本裕明)も参照。あと、前回の「Googleの自動運転カー」の記事で、「Googleの自動運転カー」について書いたのだけど、関連して、茂木健一郎のツイートをまとめた「技術的にできることは、なんでもやりましょう!」(トゥギャッター、2012年4月30日)と、小飼弾のブログの「「自動」車がまだならせめて「自停」車を」(2012年4月30日)を参照。どちらも大変、素晴らしいです。改めて、「自動運転カー」の実用化を期待します(!)。以上です。

*1:神頭広好著「都市と地域の立地論―立地モデルの理論と応用」(2004年)。でも、この本は薦められない。前に(僕の)別ブログの「雑記3」の記事の注釈7で書いたように、「この本は、「立地論」の全体を把握するには良いかも知れないけど、解説は数式だらけで、大学の講義の副教材のような本」です。実際に、「大学の講義の副教材」だと思います。。

*2:「(前略)ジェイコブスは生産性やイノベーションに対し、場所がどのような影響を与えているかを説いた。しかし都市が成長するにつれ、ひずみも否応なく発生する。交通の渋滞、犯罪発生率の上昇、住宅価格の高騰などは、いずれも都市生活において発生する負の副産物である。これらは都市の発展を著しく阻害し、ひいては大打撃を与えかねない。だが、驚くべき研究結果が発表された。ジェフリー・ウェスト率いるサンタフェ研究所の学際研究チームによれば、大都市やメガ地域にはこうしたマイナス要素を超越する基本的なメカニズムがあるというのだ。(中略)ウェストのチームは(中略)次のような結果にたどり着いた。生物有機体と同様に、(中略)都市にも、生物学で観察されるスケールメリットに似た、「べき乗則」が見られる。したがって人口が二倍になっても必要な資源は二倍より少ない量ですむのだ。都市にとっての血流にあたるインフラ、すなわちガソリンスタンドの数、電線の長さ、道路の延長などは、常に人口に対して「準線形」(べき指数が一より小さい)を示す。ここまでは仮説どおりだった。しかしサンタフェの研究チームにとって予想外だったのは、イノベーションや特許活動、クリエイティブな人々の数、賃金、GDPなど、生物学との類似性が少ない特性と人口増加との相関においては、べき指数が一より「大きかった」ことだ。要するに人口が二倍になると、クリエイティブな生産活動および経済生産が二倍より大きくなるのである。(中略)この現象は「超線形」(べき指数が一より大きい)と呼ばれるが、「ほぼすべての測定において、都市の人口が増えると一人当たりのイノベーションや財産は増加する」という。このような加速は集積力をもたらすのだ。すなわち才能ある人々が寄り集まることは、生産性向上の面で重要な一要素なのである。」(リチャード・フロリダ著「クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める」(2009年)、第4章「集積の力」、P.83-85)。(僕の)別ブログの「フロリダ」注釈7の記事参照(「メガ地域」、リチャード・フロリダ)

*3:原発再稼働議論を契機にグランドデザインが描ける主体を造ろう」(アゴラ、2012年5月2日、田村耕太郎)によると、「政府経済統計作成の中心にある内閣府の統計は諸外国から全く信用されていない。統計の技術と算定の客観性ともに疑われている。その大きな理由は統計のプロの不在。統計のプロ養成には10年はかかる。諸外国の政府では統計の専門家を時間かけて育て動かさない。霞が関のローテーションでは二年で異動だ。一年で統計の基礎を叩き込まれ、ようやく慣れた二年目には次に移る。いつまでたっても素人だ。」との事です。うーん、内閣府の「年次経済財政報告」は結構、怪しいのかも知れない(w)。本ブログの「大阪維新の会の「船中八策」についてのメモ書き」の記事参照(「この際、日本を30のシンガポールに分けたらどうか? 国家が破綻するくらいなら国民が自ら立ち上がるチャンスを!」(日経ビジネス、2011年1月5日、田村耕太郎))

*4:「新東名」開通 思わぬ影響」(NHKオンライン、2012年5月2日)。少し長めに引用すると、「東京と名古屋を結ぶ東名高速道路と並行して走る「新東名高速道路」の一部区間が先月、開通しました。静岡県の三ヶ日ジャンクションから御殿場ジャンクションまでの162キロです。将来的には、東京から名古屋までつながる予定ですが、静岡県の御殿場と東京の間は、まだ開通しておらず、この区間では逆に渋滞の悪化を懸念する声が出ています。(中略)神奈川県の海老名市から東京までの区間については、用地買収など新東名建設の事業化のめどすら立っていないのが現状です。これについて、東京大学の西成教授は「現在の新東名は残念ながら途中段階のものだ。道路が東京まで開通すれば、交通量は減っていくが、一方で便利になればなるほど集中するという人間の習性があるので、最終的には首都機能などを含めて交通政策を考えていかないとうまくいかないのではないか」と話しています。(中略)道路の建設は巨額の資金と膨大な時間がかかるだけでなく、地域や私たちの暮らしに与える影響も大きいだけに、完成後の効果など、きめ細かく検討することが必要ではないでしょうか。」との事です。(僕の)別ブログの「相転移」の記事参照(西成活裕著「渋滞学」(2006年))。(僕の)別ブログの「マンハッタンのゆくえ(前)」、「Beyond Utopia」の記事参照(「渋滞」と都市について)。本ブログの「2020年の東京」の記事参照(「首都機能移転」)

*5:本ブログの「廃県置藩――Abolition of the ken system」(「品川駅がなんかヤバいらしい」(ハムスター速報、2011年6月16日))、「鉄道の未来学――超電導リニアの未来」(「Shinagawa madness」、→動画)、「鉄道の未来学――2011年の鉄道とその未来」(「東京の地下鉄の乗客数は世界第一位なのだ。(中略)したがって地下鉄の混雑率もすごい。」、猪瀬直樹著「地下鉄は誰のものか」(2011年))の記事参照

*6:「もっと稼いでもっと消費しようという都市」と関連して、「フランス大統領選が示唆する日本の進路」(アゴラ、2012年5月3日、辻元)を参照。少し引用すると、「今年の3月に共同研究のためフランスに2週間ほど出張した。フランスは大統領選挙の真っ最中で、いたるところに選挙ポスターが貼られ、テレビでは、毎日、サルコジとオランドの動向を放送していた。興味深かったのは、パリ第7大学に貼られたサルコジ大統領のポスターは、悉く引きちぎられていた一方、オランド候補のポスターは無傷だったことだった。サルコジは学生から嫌われているのだ。(中略)サルコジが批判されているのは、いろいろな理由はあるが、彼の志向する新自由主義的経済政策への批判だろう。サルコジの政策は、「もっと働き、もっと稼ごう」というスローガンからも分かるように、新自由主義的なものだ。(中略)それが、金持ち優遇と批判されているのだ。(後略)」。(僕の)別ブログの「麦わら帽子とモンパルナスタワー」の記事参照(「ニコラ・サルコジ大統領による「グラン・パリ計画」(パリを改造する都市計画、2008年〜2030年、→動画)」)。ちなみに、余談になるのだけど、新自由主義的な政治家は都市の改造を好み、社会主義的な政治家は都市の分散を好む傾向があります。例えば、イギリスでニュータウン政策(前述の「ミルトン・キーンズ」等)を推し進めたのは「労働党」(中道左派政党)で、この分散政策を覆したのは「保守党」のマーガレット・サッチャー元首相(任期:1979-1990年)です。サッチャー新自由主義的な改革を行うと同時に、ロンドンの再開発(「ドックランズ地区」(1981年-))を行っています。その詳しい経緯については、前に本ブログの「総合特区」注釈12の記事に載せた、「ロンドンの分散(Decentralisation)政策と都市開発」(PDF形式)と、「政策的分散から自由な分散へ」(PDF形式)を参照。50ページもあるけどな。(僕の)別ブログの「明日の田園都市」の記事参照(「19世紀末以降のヨーロッパは、緩やかに社会主義化が進んだ時代でもあった。」)。あと、先々月頃(?)に読んだ岐部秀光著「イギリス 矛盾の力―進化し続ける政治経済システム」(2012年)から少し引用すると、「(前略)一八五一年五月一日。ヴィクトリア女王夫妻臨席の下、世界で初めての万国博覧会がロンドンのハイドパークで開幕した。会場となった総ガラス張りの巨大なパビリオン「水晶宮(クリスタル・パレス)」に国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」(→動画)の合唱が響き渡る。(中略)そして、この瞬間こそが、大英帝国の繁栄「パックス・ブリタニカ」の絶頂であった。しかし、所狭しと展示された各地の物産のなかで、最も評判を博したのはイギリス製品ではなく、実は米国マコーミック社製「自動刈り入れ機」(→写真)だった。(中略)勘のいいイギリス人来場者は、その後に続く長い衰退の予兆を見いだしていたかもしれない。」と述べてから、「(中略)であるなら、一五〇年も衰退を続けているイギリスこそ「衰退先進国」の真打ちではないか。その教訓に学ばない手はない。イギリス人の多くは楽観的だ。そこには衰退という運命に逆らい続けた自負がある。」(P.171-172)と述べています。本ブログの「丹下健三「建築と都市」――機能主義の限界」の記事参照(「飛行機も電車も車も船も全て担う、超壮大なテムズ空港建設計画がすごい」(ギズモード・ジャパン、2011年11月7日)、→動画

*7:「僕が(勝手に)考えた都市戦略」は、とりあえず、(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」(「ま、超ー感覚的には、羽と綿のような(ふわふわ(もこもこ)とした)国土を理想に描くことが一番良いと思ってます。」)、「九州新幹線全線開業」注釈2(「ふわふわ(もこもこ)」、→動画)、「Googleplex & iSpaceship」(「21世紀の日本の都市は(コンパクトシティではなく)ネットワーク型の「ニューコンパクトシティ」でいいのです。「カネも掛からない」は重要です(キリッ)。」)の記事参照。あと、本ブログの「東京計画2011」の記事参照w、これは「アート」です(ほんとか?w)。

*8:本ブログの「2020年の東京」、(僕の)別ブログの「東京外環道」、「Kinkyo-2」の記事参照(「外環道」)