木々の家、ガルウィングの家

前回の「流れ星の家、土星の家、リボン付きのラートハウス」の記事の続きです。昨年(2011年)の秋頃から、僕のノート(落書き帳ですw)に描いてある「アイコン建築」を、まとめてブログに載せているところです。では、残りの2つの「木々の家」と「ガルウィングの家」を載せます。

■ 木々の家

「木々の家」です。「小屋」のアイコンと「木」のアイコン二つを組み合わせています。「小屋」のアイコンのところにはLDKと娯楽室、「木」のアイコンのところには寝室とバルコニーがあります。一応、前に(僕の)別ブログの「ベビーズム-3」の記事に「木の家」の「アイコン建築」を載せているのだけど、名前は似ているけど、全く別物です。上図の「木々の家」は、この流れ(下図)で作成しました。

「木々の家」は、双塔のゴシック建築*1に似ていると思います(ほんとか?w)。ウィキペディアの「」の項の「ヨーロッパ文明の塔」によると、「(前略)ゴシック期にはさらに塔に注力が注がれ、教会建築として多数の塔がヨーロッパ各地に建設された。 特に西構えに2つの双塔を持つ形式が目立つようになる。 双塔の顕著な例としては、フランスではノートルダム大聖堂(パリ大聖堂)・アミアン大聖堂ラン大聖堂ランス大聖堂シャルトル大聖堂などがある。(中略)ドイツのゴシック期の教会塔としては、ケルン大聖堂(1248-1880年)やウルム大聖堂(1377-1890年)などが著名である。ケルン大聖堂は双塔形式でその高さは157mに達した。」との事です。ちなみに、建築家の丹下健三*2が設計した「東京都庁舎」(1990年竣工)も双塔で、ウィキペディアの「東京都庁舎」の項によると、「この建物は丹下健三の後期の代表作のひとつで、デザインとしてはポストモダンに属する。第一本庁舎は、一般にパリのノートルダム大聖堂の形態を引用しているといわれる。(中略)特徴のある形態のため、ランドマークとしての機能を果たしている。」との事です。また更に、ゴシック建築は、「森林」の「メタファー」として(石造で)建てられたと言われています。ゴシック建築を築いたゴート人は、(キリスト教以前は)「森林」を崇拝していたからです。と言うわけで、「木々の家」は、ゴシック建築に似ているのです(キリッ)。ゴシック建築を「キャラクター化」したのが「木々の家」なのだと思います。とは言え、上図の左下のドローイングに至ると、「プレモダン」(近代の前)と「ポストモダン」(近代の次)のデザインが、「モダン」(近代)を飛ばして隔世遺伝的に結合していて、僕にもよく分かりません(おいおいw)。あと、上図の左半分が針葉樹で右半分が広葉樹のつもりで描いています(一応)。

ガルウィングの家

ラスト。「ガルウィングの家」です。えーと、上記の「流れ星の家」、「土星の家」、「ラートハウス」、「木々の家」はいずれも二つ以上のアイコンを組み合わせている「結合」系の「アイコン建築」であるのに対して*3、「ガルウィングの家」は単一のアイコンの「解体」系です。「解体」系の「アイコン建築」は他にも、前に(僕の)別ブログの「Fabricated Space (でっち上げられた空間)」の記事に載せた「Fabricated Space」と、本ブログの「アイコンの消失」の記事に載せた「引き算の家」があります。それぞれのテーマは、「アイコンの破壊」と「アイコンの消失」でした。「ガルウィングの家」のテーマは、「3次元から2次元へ」(立体から平面へ)です。前に本ブログの「Picture Book House (絵本の家)」の記事に載せた「絵本の家」のテーマが「2次元から3次元へ」だったのだけど、その反対の方向です。上図の「ガルウィングの家」は、この流れ(下図)で作成しました。

上図の左上の写真(ガルウィングドアの自動車)は、アメリカのテスラモーターズの新型電気自動車「テスラ・モデルX」(→動画、2013年発売予定)です。「クロスオーバーEV「テスラ・モデルX」登場」(朝日新聞、2012年2月11日)も参照。うーん、「ガルウィングの家」は、ま、見ての通りなので、とくに補足する事はないのだけど、強引にこじつけるとw、「箱」を「面と線」に解体したオランダのデ・スティル*4の建築家のヘリット・リートフェルトが設計した「シュレーダー邸」(→写真、1923年竣工)と、アメリカの建築家のフランク・ロイド・ライト*5が設計した「ロビー邸」(→動画1906年竣工)は関連していると思います。後者に関しては、前に(僕の)別ブログの「モダニズム」の記事で引用したのだけど、「1910年に海の向こうの新世界アメリカからやってきた。ヴァスムート社のライトの作品集出版と同時にベルリンで開催されたライトの作品展である。(中略)ルネッサンス*6以来の伝統的なコンセプトでは建築は、生活するための空間ではなく、その空間を包む「箱」を意味した。建築家たちはいかにして美しい箱*7をつくるかで技を競った。(中略)この箱を打ち壊して内部の空間を解放したのがライトである(←動画)。空間は自由に流れるようになった。大切なのは箱ではなく空間なのだとライトはいった*8。発想のコペルニクス的転換である。近代建築の始まりであった。」(高山正實)という事です。ま、でも、やはり、これは「こじつけ」でしょうw。「モダン」と言うよりは「デコン*9」なのかも知れません。あと、上図の右下のドローイングには「ハート」の形をしたアイコンが入っているのだけど、それは「小屋」を開いた時に空っぽだったり、またはマトリョーシカ人形(→動画*10)みたいに入れ子構造になっていたりしたら嫌だなぁと少し思っただけですw。この案は即「没」(ぼつ)です、ポイ(。・ω・)σ ⌒* 。以上ですw。あと、関連して、「ArchDaily」の「Skyscape Church / We Architecture」(2012年3月14日)と、「House N / Sharon Neuman Architects」(2012年3月14日)も参照。前者は「屋根」、後者は「壁」が面白い。

「アイコン建築」はここまで。うーん。ま、その他にも僕のノート(落書き帳です)に10つくらいの「アイコン建築」は描いてあるのだけど、これでも“上位5作品”を“厳選”して載せています(キリッ)w。また、僕が前回の「流れ星の家、土星の家、リボン付きのラートハウス」の記事と、今回の記事に載せている「アイコン建築」の“上位5作品”の中では、僕がブログに載せている順に(僕は)とても気に入っています。つまり、1位は「流れ星の家」、2位は「土星の家」、3位は「ラートハウス」で、「木々の家」と「ガルウィングの家」は僅差で次点ですw。気に入った「アイコン建築」が描けたら、またブログに載せます(たぶん)。

● 前々回の記事の補足

あと、前々回の「堺屋太一の「大阪10大名物」についてのメモ書き」の記事を補足します。前々回の記事で、「名古屋城正門近くに「おかげ横丁」構想」(中日新聞、2011年10月28日)のニュースを載せたのだけど、今月の「「金シャチ横丁」5年後めどに実現」(中日新聞、2012年3月6日)も参照。それから、日本の「」について(ネットで)少し調べてみたのだけど、「お城、女性もお熱 各地で入場者数最高 武将人気後押し」(産経新聞、2009年5月11日)によると、「復元された本丸御殿を平成20年4月から一般公開している熊本城熊本市)では、昨年度の入場者数は過去最高の221万9517人に上った。」との事です。ちなみに、日本の「城」の入場者数のランキングは、1位は熊本城、2位は首里城、3位は大阪城、4位は名古屋城でした。熊本城が1位なのは意外でしたw。ウィキペディアの「熊本城」の項によると、2007年に「築城400年に際して、本丸御殿をはじめ、西出丸の塀、戌亥櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、未申櫓、南大手門などの建造物を数年かけて復元された。なお、いまだ復元工事中や、工事未着手の建物もいくつかある。」、「御殿などの落成で2008年度の入場者数は、全国第1位(約222万人)となった。」との事です。ポイントは、熊本市が熊本城を「復元」をしている事だと思います。えーと(ゴソゴソ…)、「GA JAPAN 92」(2008年)の「建造物の風景を復元する」の記事によると、「(前略)城というのは、単体の建築デザインとしても魅力的であるけれど、同時にもっと風景的なもの、あるいは都市的な存在であるように思われる。(中略)いかなる社会状況であろうと、江戸の太平の世でも、維新後の不安定な時も、戦後の復興期も、そしてもしかしたら現代も、人々は城に魅せられ、復活させる。単にランドマークとか、愛着のある建築物というだけではないに違いない。(中略)熊本城では、大手門から天守閣に至る、メインの風景を復活させようという、前例のない壮大な計画が進行中である。都市の一部をそのようにつくりかえることは今では難しいが、城という社会の風景のコアだったものを復活させることは、案外、効果大なのかもしれない。」(P.158)との事です。「復元」が今後の日本のキーワードの一つになるのでしょう。

では、次。前々回の記事では、作家の堺屋太一が示した「大阪10大名物」構想(2012年1月)について書いているのだけど、上から二番目の「大阪城公園天満公園を結ぶ大歩道橋」の構想に関して、僕はイタリアのヴェネツィアの「リアルト橋」を例に挙げているのだけど、えーと、ウィキペディアの「リアルト橋」の項によると、「橋の上にはアーケードが作られ、商店が並んでいる。」との事です。その発想はなかったw。前々回の記事で、僕は「橋のふもとに商業施設(飲食店、土産物屋、等々)をつくらない手はありません。」と書いているのだけど、「橋のふもと」ではなくて、「橋の上」に商業施設をつくれば良いのです。また、前々回の記事で、僕は「その(「橋のふもと」の)商業施設の賃料収入によって、「大歩道橋」の建設費や維持費を賄う事を考えてもいいかも知れません。」とも書いているのだけど、「橋の上」を商業施設にすると、土地購入コストがかからないので、経営的にも圧倒的に有利になるでしょう。前に(僕の)別ブログの「TRANSPARENCY」の記事で書いたのだけど、東京都心を走る「東京高速道路」(通称「KK線」、→動画)は、「「道路下のテナントの賃料収益で高速道路を建設費を捻出し維持運営も行う」という方法で運営されている民間の株式会社」で、「通行は無料」です。「銀座通る無料高速 民営、借金なし36年」(読売新聞、2002年11月7日)も参照。また、前々回の記事で、「大阪10大名物」の上から一番目の「道頓堀川をプールに」の構想に関して、僕は「旧淀川の上に大きないかだ(またはメガフロート)を浮かべて、そこを商業施設にしても良いのではないかと思います。」とも書いているのだけど、この「川の上」の商業施設と「橋の上」の商業施設をつないで結合してもいいのかも知れません。あと、割とどうでもいい事なのだけどw、前々回の記事で、「そのうち0.0001%くらいは万が一で素晴らしい案につながるでしょう」とも書いたのだけど、「0.01%」の間違いでした。ははっ…。(一応、解説すると、「万が一」を%表示したら微妙に笑えると思って書いたのに、計算を間違えていた。恥ずかしい。)

あと、前々回の記事で、「「堺屋太一の「大阪10大名物」についてのメモ書き-2」の記事に続く。」とも書いているけど、続きはそのうち書きます(おいおいw)。ま、書く予定の内容は僕のノート(落書き帳ですw)にメモしてある(箇条書きしてある)のだけど、前々回の記事と同様に、どれも「関連するいくつかの事項を挙げて、この構想への間口(幅)を広げる事を試みよう」という内容で、基本的には、僕は「大阪10大名物」構想を支持しています。更に、「大阪維新の会」(橋下徹)の「カジノ構想」も「関空リニア構想」も支持しています。いずれ詳しく書きます。とりあえず、前者の「カジノ構想」に関しては、(僕の)別ブログの「ラスベガス-Learning from Las Vegas-1」の記事と、「ラスベガス-Learning from Las Vegas-2」の記事を参照。また、「シンガポールのセントーサ島 観光で活況」(フジサンケイ ビジネスアイ、2012年3月8日)によると、「(前略)同島の観光客数は2009年には約620万人だったが、翌10年にカジノを含む総合リゾート施設の「リゾート・ワールド・セントーサ(RWS)」と、米ハリウッドのテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・シンガポール(USS)」が開業して一気に約1770万人へと増加した。」との事です。

では、最後に、前々々回の「大阪維新の会の「船中八策」についてのメモ書き」の記事で書いた「積み立て型年金制度の導入」について。「賦課方式から積立方式へ」(アゴラ、2012年3月1日、池田信夫)によると、「(前略)小黒一正氏によれば、世代間の対立は制度のチューニングで緩和できるという。(中略)暗黙の債務を長期間かけて消費税で償還すればいいのだ。現在の給付水準を維持しても、債務を100年で償還すれば超過負担は年間7.5兆円(消費税3%)程度ですむ。」の「債務を100年で償還」をみて、前に本ブログの「鉄道の未来学――幹線の鉄道の未来」注釈2の記事と、「永久公債、国有不動産」の記事で書いた「永久公債」を連想しました。考え方は同じではないかと思います。でも、一方、前に本ブログの「丹下健三「建築と都市」――機能主義の限界」注釈1の記事で、「池田信夫この本によると、国債の返済を延期すると、「日本国債の取引は全面的に止まって、かつてのロシア国債のように紙切れ同然になります。(中略)石油も食糧も輸入できなくなるでしょう。」」と書いているので、どういう事なのかを考えてみたのだけど、おそらく、国債は「市場」から資金を調達しているのに対して年金は「市場」を介していないところが決定的に違うのだと思います。そして、年金の「債務を100年で償還」ができるのは、前述の「永久公債、国有不動産」の記事で書いたように、「国家は次の二つの点で特殊(非常識)です。まず第一に、国家は正統(合法的)な暴力の独占を保持しているという事です。そして第二に、国家は無限(永久)であるという事です。」が効いているのだと思います。つまり、国家は年金を暴力的に徴収する事ができるのです。いずれにせよ、僕は「経済学」は苦手なのだけど、「積み立て型年金制度の導入」は大賛成です。あとついでに、「英国が「永久国債」の発行検討 財政危機乗り切るための奇策?」(産経ニュース、2012年3月14日)も参照。あれ? (・_・?)

以上ですw。ま、経済学の難しい話はよく分かりません。ではまた。

*1:(僕の)別ブログの「十九世紀の罠-2」(「文学者で政治家でもあったシャトーブリアン(1768-1848)は、(中略)ゴシック様式は国民的様式であり、キリスト教にはゴシック様式が古典様式よりも相応しいと述べた。これは、様式がある特定の建築に結び付き得ることを示唆するものである。」)、「モダニズム」(「グロピウスは建築史にたいし無関心だったように書かれることが多いが、その著作の中でゴシックを高く評価している。そしてゴシック大聖堂を中世「民衆」の集団的特徴と認めているが、(中略)芸術家の自由という概念をグロピウスは明らかに信頼していなかったのだ。」、コーリン・ロウ)、「モリスの建築論」(「肝要なのは「単純で誠実な」「一般常識」なのであってゴシックという様式ではない。」、ウィリアム・モリス)、「ハイブリッド世界の本質」注釈19(「「ゴシック」も元は「粗野で野蛮」という意味の「蔑称」だった」)の記事参照(ゴシック)

*2:本ブログの「東京計画2011」、「体制維新――大阪都」、「丹下健三「建築と都市」――機能主義の限界」の記事参照(丹下健三

*3:本ブログの「Valentine House (バレンタインの家)」の記事参照(「モダニズムの建築家のミース・ファン・デル・ローエは、「二個の煉瓦を注意深く置くときに、建築が始まる。建築とは、厳密な文法をもつ言語であり、言語は、日常目的に散文として使える。また言語に堪能な人は、詩人になれる。」と述べているのだけど、その文にある「煉瓦」を「アイコン」に置き換えたのが「アイコン建築」です。」)。(僕の)別ブログの「Sketchbook House (スケッチブックの家)」の記事参照(同文)

*4:(僕の)別ブログの「グローバリゼーション-3」(「家の設計に際し、リートフェルトは空間を作ることに専念」、「壁や柱という概念はなく、面と線と色彩による空間作り」)、「別世界性」(「リートフェルトが空間の概念を書き換えたような、そんな可能性が21世紀の僕らにはあるのではないか」、「情報空間の世界では、リートフェルトを超える空間(形式)がすでに拡がっているのです。」)、「十九世紀の罠」注釈1(「モダニズム建築は、ものを作るのではなく、ものがその中に存在する『空間』そのものを作ることへとシフトしようとする運動なのです」、稲葉振一郎)、「メモ-5」注釈5(「Broadway Boogie Woogie」(1943年)、ピエト・モンドリアン)の記事参照(デ・スティル)

*5:(僕の)別ブログの「Prairie House」(「(前略)フランク・ロイド・ライトらは、「アメリカ」の建築を追求した。」、「1910年に「プレイリー住宅」(→写真)は、オランダで作品集として発表され、ヨーロッパの建築家に影響を与えた。近代建築運動(デ・スティルなど)が始まった。」)、「Integral Project-2」(「ロビー邸」)、「メモ-2」(「アイン・ランドは、「水源―The Fountainhead」(1943年)の著者で、(中略)この小説のハワード・ロークのモデルはフランク・ロイド・ライト(中略)であるらしい。へー。」、→動画)、「モダニズム」の記事参照(フランク・ロイド・ライト

*6:前回の「流れ星の家、土星の家、リボン付きのラートハウス」注釈9の記事参照(ルネサンス

*7:(僕の)別ブログの「ヴィラ・コルナーロ」の記事参照(「(前略)案内人はここが寝室、ここは居間で、こちらは食堂などと言うが、パラーディオはそのような用語は使わなかった。(中略)それは十六世紀のヴィラパラッツォでは部屋にはあらかじめ決められた用途はなかったからである。(中略)ル・コルビュジエはかつて近代住居を評して「住むための機械」と言ったが、(パラーディオが設計した)ヴィラ・コルナーロはとてもそのようなものではない。そこはジョルジョ(施主のジョルジョ・コルナーロ、若いヴィネツィアの貴族)と家族が特権的な生活を営む優雅な舞台装置であった。」)。前回の「流れ星の家、土星の家、リボン付きのラートハウス」注釈10の記事参照(アンドレア・パラーディオ)

*8:(僕の)別ブログの「ベビーズム-3」の記事参照(「空間は物質によって制約されている」、「われわれは宇宙について“箱”と“空虚”という考え方をもちすぎたのではないか」、「物理的対象は空間の内にあるのではなく、これらの対象は空間的に拡がっているのである。こうして“空虚な空間”という概念はその意味を失う」、アルベルト・アインシュタイン)。ついでに、(僕の)別ブログの「モダニズム」注釈6の記事参照(「ミースミース・ファン・デル・ローエ)は「アインシュタインボーア、そして特にシュレジンガーの愛読者であった。」」、高山正實)。あと、(僕の)別ブログの「東日本大震災からの復興とハワードの田園都市」の記事参照(「(前略)着物をつくるときの用語の「まち」があるが、それは布と布とが重なってできた密度の高い部分をさすというのだ。つまり全体の広がりのなかの活動量が盛んな部分が「まち」なのである。(中略)日本の都市空間に、古くから広場の発生がみられなかったのは、空間を広がりとしてのみとらえようとする、日本人の空間に対する特性にも原因しているだろう。」、曽根幸一)

*9:(僕の)別ブログの「雑記6」注釈6(「「コンビニ」は「都市」を脱構築している。」)、「やりかけの未来がある」(「神戸の震災でデコンはもう終わったんだ」、磯崎新)、本ブログの「鉄道の未来学――2011年の鉄道とその未来」(「現実が人生を模倣するよりもはるかに多く人生は芸術を模倣する」、オスカー・ワイルド)の記事参照(デコン、脱構築主義)

*10:初音ミク、「マトリョシカ」(2010年)の動画。本ブログの「総合特区」注釈15の記事参照(同曲)。本ブログの「アイコンの消失」の記事参照(初音ミク)。「改めて「初音ミク」」(アゴラ、2012年3月8日、中村伊知哉)も参照