Valentine House (バレンタインの家)

これも前回の「東京計画2011」と同様、2011年3月11日に発生した東日本大震災以前(2月中頃)に描いたものです。(大震災とは全く関係ないです。念のため。)
震災発生後の(僕の)別ブログの「やりかけの未来がある」(3月21日)の記事で、「割とどうでもいい事だけど、先月(2月)は「Valentine House」(バレンタインの家)と題した「アイコン建築」を清書したw、→動画*1」とか書いていたので、前回の「東京計画2011」のついでに、これも載せておく。

「アイコン建築」とは、僕がブログで提唱している21世紀の新しい建築観(世界観)の事で、最近の(僕の)別ブログの「情報化を経ることで新しい発動を見せるのだ」の記事では、「アイコン建築」を、「端的には、「アイコン」(情報空間)と「建築」(都市空間)をハイブリッド化した建物の事です」と説明しています。また、今回の「Valentine House」(バレンタインの家)は、時系列的には、(僕の)別ブログの「麦わら帽子はどこへ行ったのか」(1月22日)の記事で載せた「アイコン建築」の「Parasol House」(日傘の家)の次に描いたものです。ある意味、よく似ていると思う。

では早速、これ(下図)。これが「Valentine House」(バレンタインの家)です。

では、解説。

ま、見ての通りです(おいおいw)。

「アイコン建築」とは、表現者の意図、考え、世界認識、時代性、等々を直接的(視覚的)に伝達するための環境(空間のキャンバスみたいなもの)で、後述する「アイコン建築」論は、そのための技法(方法)論です。また、言語(アイコン)の組み合わせによって言外のものを伝達する、というオーソドックス(?)な目的もあるので、上図の「Valentine House」(バレンタインの家)を僕が解説するのは難しい。(ま、解説できない訳でもないけど、上図よりも上手に語れる気がしないので、とりあえず、留保しておくw。もちろん僕は、上図を気に入っています。)

と言うわけで、「Valentine House」(バレンタインの家)の作成の手順についてを書く。

では、えーと。
絵が4つもあるので、たくさん描いたようにも見えるけど、よく見るとコピペですw。コピペして色の組み合わせを変えているというだけです(描くのにかかった手間暇は、いつもと同じくらいです)。より正しくは、じつは何色にしたらいいのかで悩んでしまい、特定の1案に決める(選択する)事ができなかったので、最終候補の4案をそのまま載せているというだけです。ま、「ハート」型と言えば、赤やピンク(やストロベリー色)辺りなのだけど、さすがに住宅の外観で用いるのには躊躇した。(赤〜ピンク系の外観には、建築家・都市計画家のルイス・バラガン*2が設計した「ヒラルディ邸」(1977年、→写真)のような詩的な住宅がある一方、横浜市青葉台に建つ「ピンクマンション」(1997年)や漫画家がデザインした「楳図かずお邸」(2008年、→動画動画)のような社会問題もある)。とりあえず、留保しておく。上図のチョコレート色のほうは、前に(僕の)別ブログの「Star House」の記事で書いた、インテリアデザイナー片山正通が設計した「ゴディバ ショコイスト原宿」(2009年)をちょっと真似ている。あと、前に「ArchDaily」(世界で最も読まれている建築のウェブサイトです)で見た、「House in Melides / Pedro Reis」(2011年2月7日)の記事のこの写真(→写真)や「Wissioming Residence / Robert Gurney Architect」(2011年2月9日)の記事のこの写真(→写真)のような、素材(建材)の違いを活かしたツートーンカラーの外観で仕上げてもいいのかも知れない。

上図の「Valentine House」(バレンタインの家)は、この流れで作成した(下図)。

えーと。
今回の技法のテーマは「アイコンの結合」です。前に(僕の)別ブログの「Star House」と「Star House-2」の記事で載せた「Star House」(星型の家)では「ぴったりと嵌まる(!)」という直接的な「形態」によって「結合」している、前に(僕の)別ブログの「麦わら帽子はどこへ行ったのか」の記事で載せた「Parasol House」(日傘の家)では「太陽の日差し」対策という「機能」によって「結合」している、と書いたのだけど、それに対して、今回の「Valentine House」(バレンタインの家)は、建築の「構造」(構造力学)によって「結合」しています。ま、「構造」と言っても、「廃屋」(→写真写真)の形をした「小屋型(屋根なし)アイコン」の妻壁(三角形のある壁)の上端(1点)と両サイドの壁の上端(2点)の計3点で「ハート型アイコン」のボリュームを支持している(簡単に言うと、「小屋型(屋根なし)アイコン」の上に「ハート型アイコン」をぽんっと立て掛けている)というだけですw。(ついでに、前に(僕の)別ブログの「麦わら帽子とモンパルナスタワー」の記事で載せた「帆船の高層ビル」のラフスケッチでは、建物の両サイドに「グリッド」型の構造体を外付けする事によって「結合」している。同じ「構造」でも、技法はいくつかあるという事です。)

あと、やや細かい話をすると(適当に読み飛ばしてくださいw)、前に(僕の)別ブログの「麦わら帽子はどこへ行ったのか」の記事で載せた「Parasol House」(日傘の家)と今回の「Valentine House」(バレンタインの家)では、操作の順序(作成の流れ)も異なっている。具体的には、両者では操作の順序(上図の「2.」と「3.」)が逆になっている(「Parasol House」(日傘の家)はガラス屋根を付けてからアイコンを置いているのに対して、今回はアイコンを置いてからガラス屋根を付けている)のです。これ重要です。なぜなら、少なくともつくる側(表現する人)にとって操作の順序(作業の工程)の存在は必然で、その操作の順序が建築のデザイン(と可能性)を規定して、そして、痕跡となって最終的な建築のデザインに現れるからです。(と言うか、むしろ、僕は操作の順序(または時空、時制*3)でさえもリテラルにデザイン(設計)の対象にしたような、荒っぽい建築が面白いと思っています。*4

あと、割とどうでもいいのだけど、上図の「ハート」型のボリュームの内部には主寝室(ベッドルーム)がありますw。♡

以上です。

ま、「アイコン建築」のつくり方(作成の流れ)は大体、こんな感じです。モダニズムの建築家のミース・ファン・デル・ローエは、「二個の煉瓦を注意深く置くときに、建築が始まる。建築とは、厳密な文法をもつ言語であり、言語は、日常目的に散文として使える。また言語に堪能な人は、詩人になれる。」*5と述べているのだけど、その文にある「煉瓦」を「アイコン」に置き換えたのが「アイコン建築」です。あと、上記の「Valentine House」(バレンタインの家)とほぼ同じ時期(2月中頃)に、「Subtraction House」(引き算の家)と題した「アイコン建築」も清書した(パソコンで描いた)のでw、そのうち書きます。以上です。では。

(8月20日追記。「アイコンの消失」の記事に上記の「Subtraction House」(引き算の家)を載せた。「サツキとメイの家」の記事も参照。)

*1:渡り廊下走り隊7 バレンタイン・キッス」(2011年)の動画。(僕の)別ブログの「Kinkyo-1」の記事参照(「AKB48」、→動画動画)。ま、僕は「AKB48」はほとんど興味ないけど(ワラ)、その(僕の)別ブログの「Kinkyo-1」の記事では、「(AKB48の曲の)「会いたかった」って日本語はおかしいと思った。「会いたい」や「会えない」なら分かるけど。「萌え〜」では、主客(男・女)とか時間(過去・現在)が捩れている〜」と超ー適当な事を書いているのだけど、評論家の宇野常寛は、新著「リトル・ピープルの時代」(2011年)の補論2「AKB48――キャラクター消費の永久機関」で、「(前略)「好きならば好きだと言おう 誤魔化さず素直になろう」と歌うこの「会いたかった」(→歌詞動画)は、そのタイトルからも明確なように、ファンコミュニティの心情を当のアイドルたちが代弁した、やや入り組んだ歌詞が与えられている。(中略)「会いに行けるアイドル」であるAKB48のファンの「好きだ」という気持ちを肯定する歌である」(P.481)と述べている。なるほど。積年の謎(?)が解けたw。(僕の)別ブログの「情報化を経ることで新しい発動を見せるのだ」、「東京都心」(と注釈3)の記事参照(宇野常寛)。「ゴルゴムの仕業か!? 往年の東映特撮シリーズがYouTubeで試聴できる!」(ギズモード・ジャパン、2011年8月3日)も参照

*2:建築家・都市計画家のルイス・バラガンが設計した「ルイス・バラガン邸」(1948年、自邸)は「Casa Barragan / Luis Barragan」(ArchDaily、2011年1月10日)参照。鮮やかなピンクは、メキシコのブーゲンビリアの花の色(→写真)。

*3:(僕の)別ブログの「Star House-2」の記事参照(「時制的」)

*4:(僕の)別ブログの「Fabricated Space」の記事参照(「建築家のビャルケ・インゲルス(「BIG」)の建築は、(中略)荒っぽさが、とても魅力的(→動画)」。(僕の)別ブログの「十九世紀の罠-2」、「メモ-5」、「ハイブリッド世界の本質-2」(→動画動画)の記事参照(ビャルケ・インゲルス)。あと、(僕の)別ブログの「雑記5」注釈7の記事参照(「IT革命のあげく、ウェブ・インフラがグローバルに整備され、その中では唯一実在すると考えられた身体が投入されている世界とは異なる法則が働き始めた。疑われなかった空間・時間でさえ圧縮されて、順序と距離に置換されている」、磯崎新)。(僕の)別ブログの「情報化を経ることで新しい発動を見せるのだ」(と注釈1)、「Googleplex & iSpaceship」注釈4の記事参照(磯崎新

*5:(僕の)別ブログの「Sketchbook House」の記事参照(同文)。また、経済学者の小島寛之は、著著「数学的思考の技術―不確実な世界を見通すヒント」(2011年)の第3部「「物語」について、数学的思考をしよう」で、「(前略)村上春樹の小説は、(中略)論理文の厳密性を巧みに利用して、読者に特殊な感覚を想起させる。(中略)村上の論理文の多用は、「確信犯」だといっていい。(中略)村上春樹の小説は、外国でも非常によく読まれている。(中略)村上の小説では、論理文によって作家の推理、思考のプロセスが記述されているから、その世界観がどの国の人にでもそれなりに正確に伝わるのだろう。(中略)哲学者ヴィトゲンシュタインが、「記号論理こそ人間の認識にとって最も普遍的なもの、いわば人間の生そのもの」と見なしたのは、まさにそういうことだったんだと思う。(中略)村上春樹の小説は、論理文を利用して、一方では、文体に特殊なフレーバーを加えた。(中略)作家が世界をどう見つめ、どう認識し、どう理解しているか、まさにそのことを、国境を越えて読者に、普遍的に、的確に、伝え得ている。」(P.229-232)と述べている。(僕の)別ブログの「ロマンチストとリアリスト」(同書)、「都市の非能率性と非実用性」、「幸せの種」注釈4(「魅力的な都市とは〜ジェイコブスの四原則」、WIRED VISION)、「相転移」(と注釈1)の記事参照(小島寛之