Googleマップ(空撮)で「限界集落」の写真を集めてみた(メモ)

 
Googleマップで「限界集落」の写真を集めてみた。一応、ウィキペディアの「限界集落」の項によると、「限界集落とは、過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落」です。とりあえず、メモのみ。

(念のため、下記の順番やその集落を載せている理由、等々は超適当です。ほとんど(ネットで)調べて見つけた順で、まだ整理はしていません。また、「限界集落」とは呼ばれたくない集落もあるかも知れませんので、問題があったらすぐ削除します。)

高知県長岡郡大豊町

群馬県甘楽郡南牧村

和歌山県田辺市龍神村

(関連して、本ブログの「8月のニュース-3」の記事参照(「買い物支援が高齢者に徐々に浸透 田辺市龍神村」、紀伊民報、2011年7月29日))

愛媛県久万高原町中津

鳥取県日野郡日南町

(補足。前に(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事に載せた、「買い物難民」(読売新聞)の「(7)山間部生協宅配が命綱」(2009年6月11日)によると、「島根、岡山、広島と県境を接する鳥取県南西部の日南町。人口は約6000人で、高齢化率45%は県内自治体で最も高い。(後略)」との事なので、日南町は定義上は「限界集落」(高齢化率50%以上)ではありません。)

和歌山県東牟婁郡北山村

福島県南会津郡檜枝岐村

岐阜県大野郡白川村

(白川村には、世界遺産の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」があります。僕は何度か行った事があります。ここ大好きです。(僕の)別ブログの「誤算-4」の記事参照。)

三重県尾鷲市小脇町

山梨県南巨摩郡身延町八坂

ちなみに、最後(一番下)の「山梨県南巨摩郡身延町八坂」の集落は、ネットで話題になりました。「行ってみたら凄かった。ちょっとアレで忘れそうだから写真撮っておこう。」のブログの「REPORT - 110 │折門八坂地区 三ツ沢集落 - 前編」(2011年7月1日)と、「REPORT - 111 │折門八坂地区 三ツ沢集落 - 後編」(2011年7月3日)を参照。とくに「後編」は必見です。あと、「三ツ沢、八坂、御弟子集落」(rBlog、2011年6月9日)を参照。冒頭を少し引用すると、「以前からGoogleマップで話題になっていた、「富士山の麓の孤立した集落」に行ってきました。(後略)」との事です。

身延町の「下部温泉」には僕は行った事があります。真冬に行きました。温泉だと思ったら、冷泉でした(ははっw)。楽しかったですけど。

あと、上図から分かるように、「限界集落」はほとんどが「山間地」です。国土交通省の資料によると、「限界集落」の83%は「山間地」です。これに「中間地」(12%)を加えると、95%に上ります。やはり、「山間地」は交通が不便である事や、(平地に比べて)農業に不向きである事や、林業の衰退等々がネックとなっているようです。また、中山間地以外では、「遺産相続人がいない!? 空き家、空き地が激増する「独居老人国・日本」」(ダイヤモンド・オンライン、2012年10月5日、大月敏雄)で、「都会」の限界集落の問題について言及しています。少し引用すると、「都会の限界集落とは、都会にありながら、人口の多くが65歳以上のお年寄りになってしまった住宅群のことだ。かつて、若いファミリー世代がいっせいに入居した団地や大規模住宅地がこれにあたる。たとえば、東京・高島平団地戸山団地多摩ニュータウンなど。(後略)」との事です。

ま、とりあえず、以上です。*1

最後に、前に本ブログの「総合特区」の記事で、「(前略)来週は、鈴木伸子著「東京はなぜ世界一の都市なのか」(2012年)と山下祐介*2著「限界集落の真実――過疎の村は消えるか?」(2012年)*3を読む(買ってある)。この2冊のコントラスト*4は「僕らしさ」です(たぶん)。」とか書いたのだけどw、その後者の本から少し引用すると、「近年の限界集落に関する報道は、いま、あたかも過疎地で集落が次々と消えているかのような印象を与えてきた。しかし実際は、集落消滅*5はよほどのことがなければ生じるものではない。現に、少子高齢化が原因で消えた集落など、探し出すのが難しいくらいである。」(P.10)、「まず、ある地域での一コマから始めることにしよう。筆者がフィールドとしている青森県某町での取材風景である。(中略)限界集落とは高齢化率が五〇%以上の集落のことだから、ここも定義上、立派な限界集落である。そこで、町会長さんに話を聞いてみると、意外なことを言う。「ずいぶんと、ここには記者さんが来ました。困ったことはないかと聞かれる。一番困るのは困ったことがないことです」。(中略)多くの過疎集落でいま、人口減少が進むだけでなく、高齢化率(六五歳以上人口比率)が高くなってきている。しかし高齢化率が高いから、集落の解体がすぐに起きるわけではない。年寄りばかりになっても、助けがなければ生活が崩壊するという状況にはない。(中略)集落の限界問題を、過疎地域に暮らす高齢者の生活問題ととらえる限り、我々はその本質に迫ることはできない。人々はいまも普通に暮らせているからだ。」(P.21-23)との事です。

更に、「少なくともこれまで、明らかに目に見える形で、高齢化→集落の限界→消滅が進行した事例はない。(中略)この問題は、政治的・行政的に「つくられた問題」という側面があることを指摘しておかねばならない。(中略)過疎問題の問題性はつねに、そこに生活している人々の現実とは無関係な場所から提起されてきた。」(P.31-35)、「そこで問題となるのが、二〇〇七(平成一九)年八月に国が発表した、過去七年の間に、過疎地域だけで一九一の集落が消えたという数字である(「国土形成計画策定のための集落の状況に関する現況把握調査」、国土交通省、2007年8月17日)。この数字は、メディアでもセンセーショナルに取り上げられ、何度も繰り返し報じられた。だがその内容を見てみると、ダム・道路による移転や集団移転事業、自然災害等が含まれており、高齢化のために共同生活に支障が生じ、消滅に至った集落が一九一あったというわけではない。それどころか、本章(第2章)で見ていくように、調べた限りでは高齢化の進行による集落消滅は、全国の中で一つも確認できない。」(P.42-43)との事です。

でも、その一方、「とはいえ、限界集落論が提起している問題が全くの虚構か、というとそういうわけでもない。集落消滅、地域崩壊の様相が、次第に実感され始めているのも事実である。いまは現実ではないにしても、これから起こりうる危険性は確かにある。(中略)「限界集落問題は虚構か」というと、そうとは言い切れない面もある。ここにこの問題の難しさがある。」(P.37)、「限界集落問題は確かに存在する。しかしそれはまだ十分に現実化された問題ではない。(中略)この問題は、まだ十分に回避できる可能性を持っているし、また逆に手をこまねいていれば、遅かれ早かれ、予言の通りに現実が進行しうるであろう問題でもある。(中略)問題の中心は、この高齢化の裏側にある少子化の方である。」(P.37-38)との事です。この本はとても勉強になりました。そのうち詳しく書きます(たぶんw)。ではまた(ドタバタ)。

(追記(2012/10/6)。今回の記事とは全く関係ないのだけど、前回の「【車載動画】青森市内をフラフラ」の記事の【追記】を今書きました。)

*1:【京都発 元気印】篠ファーム 限界集落と日本の食卓を世界の野菜でつなぐ」(SankeiBiz、2012年10月4日)も参照。

*2:まちがいだらけの被災地復興論」(マル激トーク・オン・ディマンド、2012年9月29日、山下祐介、動画あり)も参照。

*3:【読書感想】限界集落の真実」(琥珀色の戯言、2012年10月2日)も参照。

*4:(僕の)別ブログの「超郊外の景色」の記事参照(「(前略)いろいろな施策は練られてはいるみたいですが、後継者も少なく、現場からはほぼ絶望的という声がいくつもありました。(中略)過疎化の問題は、解決策が見出せないまま、見捨てられてゆくような気がしました。(かなり中略)東京の人々が行き交う華やかな表通りを歩いていると、老若男女のいろんなひとがいて、国籍もまあまあ豊かで、2階の洋食屋さんから眺める歩道はぼーっと見ているだけでも楽しくまたは刹那的気分にさせられる。」)

*5:(僕の)別ブログの「Material World -2」の記事参照(「地図から消える街。」)