東京(首都圏)は滅亡する―第2回

(前回の「東京(首都圏)は滅亡する―第1回」の記事の続き。)

その前に、書き忘れがあったので付け足すと、前回の記事で、「明治維新以降で、戊辰戦争の勝者側がいた、九州、四国、中国地方あたりには古くから多くの医学部が設置されたので、これの影響が大きいらしい。」と書いたのだけど、「大学医学部数[2010年第一位 石川県]」(都道府県別統計とランキングで見る県民性、2010年4月8日、下図)によると、「医学部が多い地域ほど医師が多い」との事です。そして、これは「数珠繋ぎ」になっていて、「医学部」が多いと「医師」が多い、「医師」が多いと「病院」も「一般病床」も多い、となっているのです(統計的に相関が高い)。また、前回の記事で、「「救急搬送の所要時間」(中略)と、前述の「病院数」と「一般病床数」は、相関関係にある(相関が高い)」と書いたのだけど、これも「数珠繋ぎ」となるわけです。前回の記事では、この「数珠繋ぎ」のところを書き忘れていました。

ま、統計から前後関係(因果関係)までは分からないのだけど*1、前回の記事をまとめると、「救急搬送の所要時間」が「医学部数」、即ち、「明治維新」と相関している可能性は大いにあり得る、という事です。つまり、前に本ブログの「救急搬送の都道府県別所要時間の謎」の記事で、「救急搬送の所要時間が長い都道府県は(中略)なぜか「西高東低」(西日本では所要時間が短く、東日本では長い)でした。意味が分かりません。」、そして、前回の「東京(首都圏)は滅亡する―第1回」の記事では、「この現象はとても“不自然”です。」と書いたのだけど、その答えは薩長土肥(西日本)が主導した明治維新にあるだろう、という事です。と言うわけで、「西高東低」の「謎」は解けました(ほんとか?w)。これにて一件落着ですw。

ついでに、それと、もう一つ考えられたのが1973年に掲げられた「一県一医大構想」です。ウィキペディアの「一県一医大構想」の項によると、「日本列島改造論を掲げる田中角栄内閣の下、1972年11月、自民党文教部会が「最近の医療需要の増大に対処するための医師等医療関係者の長期養成計画」を発表し、「無医大県13県(山形県愛媛県を含める場合15県)」に「国立大学を中心として医科大学(医学部)の増設を推進する」ことをうたい、(中略)計15校の新設を行い、(中略)目標は「無医大県解消」「一県一医大」に収斂した。この自民党文教部会の構想を受け、1973年2月に閣議決定された「経済社会基本計画」に「医科大学(医学部)のない県を解消することを目途として整備を進める」と記載されたことにより、一県一医大構想は政府の正式な構想となったものである。」との事です。そして、1979年までの7年間で、「15校の国立医科大学(医学部)が計画的に新設され、一県一医大構想は実現されることとなった。」との事です。

ま、これは僕は全く知らなかったのだけど(汗)、「一県一医大構想」によって、「国土の均整のとれた発展」*2ができると(田中角栄は)考えたのです。でも、都道府県の人口はまちまちで、大体、(都市部よりも)地方部のほうが人口は少ない傾向にあるわけですね。だから、そこに「一県一医大」で割り振ると、人口が少ない都道府県ほど「一人当たりの医学部数」が増える、という事にもなるわけです。つまり、人口が少ない都道府県ほど「手厚い医療が受けられる」という事です。もちろん、裏を返せば、人口が多い都道府県ではその正反対になるという事です(ははっ…)。構造的には、国会議員選挙の「一票の格差」と同じでしょう(たぶんw)。ま、いずれにせよ、この「一県一医大構想」によって、地方部のほうが(一人当たりの)「医学部数」、「病院数」、「一般病床数」、更には「救急搬送の所要時間」で、(都市部よりも)優位になったと考えても差しつかえない(大体はあっている)と思います。でも、「西高東低」の理由にはならないので、この説は自主的に却下しておきますw。ま、都道府県の面積可住地面積は、「西日本」よりも「東日本」のほうが広い傾向にあるので、医療の充実度が「西高東低」である事と、田中角栄の「一県一医大構想」が、全く無関係ではないだろうとも思います。

とりあえず、前回の記事の補足は以上です。

では、今日の本題。

と言うか、そろそろ、記事タイトルの「東京(首都圏)は滅亡する」について書かねばw、と思ったのだけど、テーマがテーマだけに、正直言って、気が重いです。。

大まかなあらすじを先に説明すると、「明治維新」以降の日本の近代化で、全国に「医学部」や「病院」が設置されて、西洋医学が整備された事で一体何が起きたのかと言うと、えーと、これ(下図)を見れば、すぐ分かります。「平成17年版 少子化社会白書」(内閣府、2005年)の第3節「今後どのように人口は推移するのか」の「(コラム)中世以降の日本の人口の変化」より。

見ての通りです。人口が急激に増えたのです。

明治維新」によって、日本の人口に大きな波(うねり)が生まれたのです。「医療」が整備された事で、人が死ななくなったのです。言うまでもなく、私たちも今、この大きな波(うねり)の最中を連綿と生きているわけです。そして、この波が静まるのは、今から「60年後」です。そして、問題はこれから60年の間に、私たちに一体何が起きるのだろうか、という事なのだけど、その答えは、前に(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事で書いたように、「日本は未知の領域に突入する。」という事なのです。「英エコノミスト「未知の領域に踏み込む日本」」(読売新聞、2010年11月21日)も参照。私たちはこれから60年の間は、日本史上、世界史上、人類史上、誰も一度も経験した事のない前人未踏の領域に突入する事になるのです。ま、要するに、「人口減少社会」の到来です。

前述のその(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事で少し書いた、政策研究大学院大名誉教授の松谷明彦*3の著書「人口減少時代の大都市経済――価値転換への選択」(2010年)から少し引用すると、「(前略)しかし確かなことは、もうそれほど遠くない将来に、(中略)大転換を迫られる。その転換の大きさからすれば、「いずれは必要になるかも知れないが、まだいいのではないか」と準備を怠っている時間的なゆとりは、もはやないと言うべきだろう。来るべきは、明治維新終戦にも匹敵する、あるいはそれ以上に巨大な環境変化なのである。」(P.122)との事です。そして、同じくその(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事で書いたように、政策研究大学院大名誉教授の松谷明彦は、「人口減少社会の到来で、最も苦しむのは東京である」と語っています。これが記事タイトルの「東京(首都圏)は滅亡する」の「大まかなあらすじ」です。以上です。でも、細かい事は書きません(こらこらw)。中国の反日デモ*4が気になります(ワラ)。一応、予定では、「医療」から東京(首都圏)の未来を考えてみます。次回は少し「都市論」的な事を書きます(たぶんw)。ではまた。

「東京(首都圏)は滅亡する―第3回」に続く。

(追記(2012/9/20)。「松谷明彦著「人口減少時代の大都市経済」からの引用集(メモ)」の記事参照。)

【補足】

一応、上記で、「医療が整備された事で、人が死ななくなったのです。」と書いたのだけど、もちろん、これは日本に限った事ではありません。世界中の多くの国や地域で起きた(起きている)事です。「いつの間に人類は70億人に増えた?コップで解説(動画)」(ギズモード・ジャパン、2011年11月6日、→下の動画)を参照。少し引用すると、「(前略)やっと10億人の大台に乗ったのは1804年になってからだ。そうこうするうち医療・農業が改善し、下から落ちる水が減った。人は相変わらず死んでいったが、より多くの子どもが成人して子どもを産むまで生きるようになり、赤ちゃんが増えた。こうして世界人口は10億人からわずか200年で70億人になった。」との事です。関連して、公衆衛生学者のハンス・ロスリングの「ハンス・ロスリング:地球規模の人口増加について」(TED、2010年6月)を参照。(僕の)別ブログの「スラムの惑星」の記事も参照。

もちろん、近代化(医療の整備)に伴う人口の急増は、ヨーロッパでも(イギリスでもフランスでも)起きた事です。だからこそ、前に(僕の)別ブログの「クルーグマン」の記事で書いたように、「エベネザー・ハワード過密都市・ロンドンを批判して「田園都市」(1902年)を掲げ、ル・コルビュジエ過密都市・パリを批判して「300万人のための現代都市」(1922年)や「ヴォアザン計画」(1925年)を掲げ」る事になったとも言えます。そもそも、これら「近代都市計画」の概念のルーツは公衆衛生にあるのです。つまり、「近代都市計画」と「医療」は根っこでは繋がっている、という事です。

例えば、建築家のル・コルビュジエは都市計画では「日照」(太陽)をとても重視したのだけど、「日照」には疫病感染症)を予防する効果もあるわけです。ま、と言っても、僕は「医療」に関しては全く詳しくないのだけど、「免疫がなくても有効!?インフルエンザ予防にビタミンD」(All About、2009年10月26日、西園寺克)によると、「(前略)紫外線によって皮膚で合成されるビタミンD量は、日照時間に左右されます。日照時間が減る冬場はビタミンD血中濃度が減少することが判明しているので、そもそも冬場にインフルエンザを始めとする呼吸器感染症が増えるのは、日照時間のためではないかとも考えられています。」との事です。ま、ル・コルビュジエがこの事を知っていたかどうかまでは僕は知らないのだけどw、「日照」が健康に良いという事は既に(ル・コルビュジエの時代でも)知られていたようです。

とりあえず、ル・コルビュジエの都市計画と「医療」の関係についての詳しい事は、ル・コルビュジエ著「パリの運命」(2012年、初版1941年、立ち読み→PDFファイル)を参照*5。あと、ウィキペディアの「アテネ憲章」の項から少し引用すると、アテネ憲章とは、「建築家ル・コルビュジエが提唱した「輝く都市」の理念に沿った内容で、都市の機能は住居・労働・余暇・交通にあり、都市は「太陽・緑・空間」をもつべきである、としている」との事です。ちなみに、これと似たような事が上記(上図)の田中角栄著「日本列島改造論」(1972年)の本の表紙の帯にも書かれています。あと、前述のル・コルビュジエ著「パリの運命」からも少し引用すると、「C.I.A.M.第4回アテネ大会の)開会宣言は「ユルバニスム(都市計画)の素材は、太陽、空間、木々、鉄、鉄筋コンクリートである――順番と序列はこの通り」だ。」(P.17)とル・コルビュジエは述べています。つまり、近代都市計画では「日照」(太陽)が最優先事項(序列のトップ)だったという事です。いずれにせよ、都市計画と医療が密に繋がっているのであるならば、なおさら、今日の日本の「医療崩壊」への危機を看過する事はできません(キリッ)。更に、「時間的なゆとりは、もはやない」のです。補足は以上です。

うーん。

ま、上記で、「次回は少し「都市論」的な事を書きます(たぶんw)。」と書いたのだけど、そのほとんどを今(この補足で)書いてしまったような気がしなくもない(ははっw)。次回はまた別の「都市論」的な事を書きますw。ではまた(ドタバタ)。

*1:第5回 日本の医師不足〜第一回 医師養成の歴史」(JMM、2008年5月21日、上昌広)によると、「我が国で医師になるためには大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格しなければなりません。(中略)医師の供給数に直接的に影響するのは医学部の定員数です。」との事なので、「医学部数」と「医師数」の因果関係はあると言えます。

*2:(僕の)別ブログの「クルーグマン」の記事参照(「(前略)要するに、babyismのIntegral Project-3で「国土の均整のとれた発展(持続可能性)」と僕が書いたようなことを、日本は戦後の50年間ずっと続けていた、とも言えなくない。例えば、田中角栄の「日本列島改造論」(1972年)でも、「地方に新幹線や高速道路や空港(中略)を完備し、首都には『工場追い出し税』などの政策を行うことにより、東京都区部から地方へ産業を追い出し、東京都区部の人口を逆流しようという政策」が掲げられている。/(^o^)\ ナンテコッタイ。」)

*3:関連して、「日本を救う「人口流動」、地域社会は蘇る 金融機能は大阪へ移転――松谷明彦・政策研究大学院大教授(上)」(JBpress、2010年4月26日)、「【新連載】2035年、若者が東京から逃げ出す!? 東京が「高齢者ホームレス」であふれる日」(ダイヤモンド・オンライン、2012年9月14日)を参照(松谷明彦

*4:中国住み氏怒涛の「反日デモ」ツイート」(トゥギャッター、2012年9月15日)、「ツイッターで読む反日デモ情報とその余波」(トゥギャッター、2012年9月17日)等を参照

*5:本ブログの「雑記(2012/7/17)」、「米Twitter本社はどこに移転したのか」注釈6の記事参照(ル・コルビュジエ著「パリの運命」)