東京(首都圏)は滅亡する―第1回

 
うーん。

前に本ブログの「救急搬送の都道府県別所要時間の謎」の記事で、「救急搬送の所要時間が長い都道府県は(中略)なぜか「西高東低」(西日本では所要時間が短く、東日本では長い)でした。意味が分かりません。」と書いたのだけど、一昨日(ネットで)少し調べてみたのだけど、やはり意味が分かりません(ワラ)。この現象はとても“不自然”です。ただ、日本の医療が「西高東低」である事は、この分野の専門家たち(医療関係者)の間ではよく知られていて、もう何十年も問題視され続けているみたいです(ははっ…)。それだけ解決する事の難しい問題なのである、という事です。うーん。ちなみに、僕の好きな言葉は「餅は餅屋」です。

ところで、この問題のルーツをたどると、日本の近代化の過程とパラレルにある(並走している)、という事が分かります。例えば、「病院数[2010年第一位 高知県]」(都道府県別統計とランキングで見る県民性、2012年5月23日、下図)によると、「全国にある病院は7,587軒で、人口10万人あたり5.93軒。全国で最も病院が多いのは高知県で16.23軒。(中略)なかでも明治維新の立役者となった薩長土肥の各県が上位を占めているのが興味深い。(高知1位、鹿児島2位、佐賀4位、山口13位)。一方、最も病院が少ないのは神奈川県で人口10万人あたり3.27軒。関東を筆頭に東日本で病院が少なく、西高東低の傾向となっている。」との事です。また、このサイト(「都道府県別統計とランキングで見る県民性」)の管理人(横道もん@南信州)のツイート(2012年5月22日)によると、「「西日本で医療が充実しているのは明治維新官軍だったから」という俗説を裏付けるかのように、薩長土肥で病院が多い。」との事です。この「俗説」は事実だと思います(たぶんw)。ま、僕は、前に本ブログの「廃県置藩――Abolition of the ken system」の記事で書いたように、「僕は「日本史」はあまり知らない」のだけど、ウィキペディアの「薩長土肥」の項によると、薩長土肥とは「明治維新を推進して明治政府の主要官職に人材を供給した薩摩藩*1長州藩土佐藩肥前藩4藩の総称。」で、「明治政府の上位官職を薩長土肥で一時期ほぼ独占する状態となり、藩閥政治と揶揄された。」、「明治の国政は、良くも悪くも、この薩長土肥主導による政治であったと言える。」との事です。ま、要するに、「人口あたりの医師数が九州四国で多い理由」(ただのメモ帳、2012年6月25日)のブログから引用すると、「(前略)今の西洋医学が整備されるのは、明治維新以降で、戊辰戦争の勝者側がいた、九州、四国、中国地方あたりには古くから多くの医学部が設置されたので、これの影響が大きいらしい。まさか明治維新が今の病院とか医者の分布と関係してるとは想像したこともなかった。」という事です。

と言うわけで、前に本ブログの「建築知識の表紙がとうとう初音ミク」の記事の追記で、「一つの「仮説」として、今僕が考えているのは、古い都市(歴史がある都市)ほど救急搬送の所要時間が短いのではないだろうか、という説です。なぜなら、一般的に「西日本」のほうが「東日本」よりも古いからです。つまり、古い都市の都市構造(都市形態)が、救急搬送の所要時間の短さと関係しているのではないか」と書いたのだけど、これは大間違いでした(汗)。ま、無理に「都市論」(都市構造の問題)と絡める必要はなかった(ははっ…)、という事ですね。また、「西高東低」について、(ネットで)いろいろと調べてみると、その他にも、いろいろと間違っていた事が判明しました。前に本ブログの「【都会の歩行者へ】救急車が来たら道をあけましょう」の記事で、「都市部には「病院がたくさんある」がゆえに、病院側が救急搬送の患者を「たらい回し」にしてしまうのです。」と書いたのだけど、これも大間違いでした。まず第一に、上図からも分かるように、都市部(東京)には病院がたくさんあっても、一人当たりの病院数が少ないのです。前述の「病院数[2010年第一位 高知県]」(都道府県別統計とランキングで見る県民性)によると、首都圏の1都3県の一人当たりの病院数は、東京都は第40位、埼玉県は第43位、千葉県は第44位、そして神奈川県は第47位(最下位)です。また、「一般病床数[2010年第一位 大分県]」(都道府県別統計とランキングで見る県民性、2012年5月25日、下図)によると、首都圏の1都3県の一人当たりの一般病床数は、東京都は第42位、千葉県は第45位、神奈川県は第46位、そして埼玉県は第47位(最下位)です。意味が分かりません(ワラ)。

ま、とりあえず、前述の本ブログの「救急搬送の都道府県別所要時間の謎」の記事で書いた、「救急搬送の所要時間」(千葉県は第42位、埼玉県は第43位、東京都は第47位(最下位)です)と、前述の「病院数」と「一般病床数」は、相関関係にある(相関が高い)と言えるでしょう。また、ウィキペディアの「たらい回し」の項の「医療における「たらい回し」 」の節によると、「医療における「たらい回し」は、テレビなどの報道媒体から派生した用語である。報道で見られる用法の多くは、病院の「受け入れ不能」「受け入れ困難」の言い換え」で、「近年では慢性的な医師・ベッドの不足などに端を発する医療崩壊により、患者がなかなか病院に受け入れてもらえず、最悪手遅れとなり死に至るケースもある。だが、実際にはかなり多くの例が、不可避な理由での「受け入れ不能な事例であり、それらを考慮せず「たらい回し」という用語を用い、病院・医師側が加害者であるかの様な報道されているケースもある。この用法に関して医療側からは「不適切な用法で読者・視聴者の印象を歪めるものだ」と強い反発が出ている。」との事です。ま、要するに、問題の核心は病院の「受け入れ不能」にある、という事です。即ち、病院の「病院数」と「一般病床数」が不足しているので、病院が「受け入れ」られないという事が問題なのである、という事です。つまり、「たらい回し」はそれに付随した現象にすぎない、問題の核心ではない、という事です。でも、謎です。不思議です。

例えば、前に本ブログの「電車内のベビーカー利用の賛否」の記事の追記で、「ま、たまに、東京には「病院がたくさんあるから安心である」と言う方を見かける」と書いたのだけど、どう見ても、この僕の“実感”と前述の一連のデータが示している事柄が全く合致していません。「医療」の分野は謎だらけです。わけが分かりません。もう完全に僕の理解能力を超えています、キャパシティーオーバーです。と言うわけで、冒頭に書いたように、僕の好きな言葉は「餅は餅屋」です(こらこらw)。ではまた。

東京(首都圏)は滅亡する―第2回」に続く。

【補足】

一応、上記で、「ま、無理に「都市論」(都市構造の問題)と絡める必要はなかった(ははっ…)」と書いたのだけど、これは後で絡めます。と言うか、絡めてみせましょう。やってやれない事はない(どんなだ?w)。あと、「明治維新」の話もまた書きます。と言うか、本当は今日書く予定だったのだけど、タイムリミット(時間切れ)っす。

*1:本ブログの「廃県置藩――Abolition of the ken system」、「永久公債、国有不動産」の記事参照(「薩摩藩」)