電車内のベビーカー利用の賛否

うーん。

前回の「絶対に今は言わないわ Fake it」の記事で、「ま、本当は、今回は今、ネットで賛否が渦巻いている「「電車内のベビーカー利用に賛否両論」への異論 」(トゥギャッター、2012年9月4日)*1について書こうと思ったのだけど、僕の意見ははっきりしているのだけど、また今度にします(ワラ)w。」と書いたのだけど、なかなかが進みません。なぜなら、誰も悪くないからです。電車内のベビーカーの利用に「賛成の人」も「反対の人」も、どちらも間違っていないのです。ま、強いて言えば、「賛成の人」が「反対の人」の不寛容さを批判する事(または、その逆)が根本的に間違っているんだと思います。ま、いわゆる、世間知らずで、いつまで経っても無責任な“自称”文化人ほど「寛容の精神」の美徳をここぞとばかりに啓蒙しようとしているようにも見えます。でも、現場(通勤ラッシュ)で起きているのは、それとは全く別次元の問題です。現場を知らない世間知らずの文化人たちが「寛容の精神」の美徳の下に啓蒙しようとしているのは、もはや、戦国時代の「心頭を滅却すれば火もまた涼し」や太平洋戦争時の「欲しがりません勝つまでは」みたいな、日本の悪しき精神論でしかないのです。日本の文化人たちには、その違いが分からないようです。「寛容の精神」を全く理解していないのです。つくづく失望させられます。僕の筆が進まない理由の遠因は、たぶん、このガッカリ感からきているんだと思います。

ま、とは言え、この論争に関して、ぱぱっと(ネットで)調べてみると、大体、僕が考えつくような事は、既にどこかのブロガーさんが書いてくれていてw、えーと、「ベビーカーを邪魔にする感性」(アゴラ、2012年9月3日、石田雅彦)の記事によると、「通勤ラッシュ自体が問題」、「都会のラッシュが非人道的にヒドいのは事実です。」との事です。僕の考えはこれと同じです。電車内のベビーカーの利用の賛否はあるだろうけど、根本的に言えば、東京は「子育てが難しい場所である」と認知する事が必要なのではないかと僕は思います。物事には「限度」というものがあるのです*2。より根本的に言えば、「東京一極集中」を解消しなければならないのです。皆さん、全国に散りましょう(おいおいw)。

とりあえず、以上です。

関連して、本ブログの「鉄道の未来学――大都市の鉄道の未来」(梅原淳著「鉄道の未来学」)、「鉄道の未来学――2011年の鉄道とその未来」(猪瀬直樹著「地下鉄は誰のものか」)、「2020年の東京」(東京都の「2020年の東京」計画)、「東京は最大都市規模を超過しているのか」(「東京の通勤ラッシュになぜ乗客は耐えているのか」)等々の記事参照。「電車内のベビーカー利用に賛否両論 啓発ポスター引き金」(朝日新聞、2012年8月26日)、「ベビーカー論争 電車利用をめぐって」(NHKオンライン、2012年8月28日)も参照。

ではまた(ドタバタ)。

【追記】

「全国待機児童マップ」(都道府県別、2011年4月1日現在、厚生労働省、下図→PDFファイル)より。



H23年10月の待機児童46,620人…昨年同期より減少」(ReseMom、2012年4月2日)によると、「(前略)都道府県別にみると、待機児童数がもっとも多いのは東京都で10,489人、次いで沖縄県が3,043人、大阪府が1,977人、埼玉県が1,838人などとなっている。」との事です。つまり、東京だけ突出しているのです。東京は「子育てが難しい場所である」と認知する事が必要なのではないかと思います。

(補足。一応、人口比でみると、待機児童数がもっとも多いのは沖縄県です(東京都は第2位です)。「待機児童数 [ 2011年第一位 沖縄県 ]」(都道府県別統計とランキングで見る県民性、2011年10月7日、下図)によると、第1位は沖縄県(人口10万人当たりの待機児童数は166人)で、第2位は東京都(61人)、第3位は宮城県(36人)、第4位は神奈川県(34人)、第5位は滋賀県(29人)、第6位は千葉県(23人)、第7位は福岡県(21人)、第8位は大阪府(19人)、第9位は兵庫県(19人)、第10位は愛知県(19人)と続きます。沖縄県が突出している理由は、その記事によると、「歴史的には、沖縄が長期に米軍占領の下におかれ、公立、認可保育所の整備をはじめ児童の保育に対する国の対策や支援がなかったという特殊な事情がある。」との事です。この沖縄県を除いた場合は、待機児童数は人口比でも東京都が突出しているという事になります。)

また、「救急搬送に最大24分の地域差 09年、都道府県統計」(共同通信、2010年12月3日)によると、「通報を受けてから救急車で患者を搬送、医療機関に収容するまでにかかった時間は、2009年の都道府県別平均で、東京が51・8分と最も長く、最短の福岡より24・2分も遅いことが(中略)総務省消防庁の救急統計で分かった。(中略)東京については「人口1万人当たりの出動件数が多いのに加え、交通事情の悪さや搬送先病院の選定に時間がかかっていることなどが要因となった可能性がある」とみている。(後略)」との事です。ま、たまに、東京には「病院がたくさんあるから安心である」と言う方を見かけるのだけど、ま、確かにそれは一理はある(例えば、病院がたくさんあると、患者(客)は病院を「選択」できるようになるので、病院の技術やサービスが向上する、等々)のだけど、「救急搬送」では東京が全国で最も「危ない」のです。これは命に直結する問題です。いずれにせよ、原則的には、これらの情報をきちんと認知した上で、自分(や家族)はどこに住むかを自らの判断で「選択」すべきです。

(補足。念のため、上記で「原則的には」と入れたのは、人の移動(移住か定住か)の問題は決して一筋縄では行かないからです(トレードオフがある)。ま、例えば、引っ越しするかしないで悩まれた経験のある方には、この「一筋縄では行かない」理由はよく分かるのではないかと思いますw。この問題に関しては、都市経済学者のリチャード・フロリダが著書「クリエイティブ都市論――創造性は居心地のよい場所を求める」(2008年)の第5章「移動組と定着組」で詳しく論じているので、そのうちブログに書きます(たぶんな)。一言で言えば、移住にも定住にもそれぞれに合理的な理由がある、という論です。)

追記は以上です。(本文よりも追記のほうが長いのは内緒。。)

最後に、「2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する」(アゴラ、2012年9月5日、城繁幸)によると、「(前略)2050年、日本は平均年齢52.3歳という前代未聞の老人国家となっている。(中略)通勤ラッシュという言葉は死語になっているかもしれない。だって、オフィスで働く人とほとんど同じ数のリタイヤ世代が存在しているのだから。もっとも、彼らの社会保障費を賄うために、サラリーマンは今以上の重負担に喘いでいるのは間違いない。これが「子作りや子供の教育を二の次にして*3、老人にばかり仕送りをし続けた一族」の末裔の姿だ。」との事です。うーん。これが「毒舌」であればいいのだけどw、必ずしもそうとは言い切れないところが末恐ろしい(ははっ…)。

ではまた。

*1:上記の「「電車内のベビーカー利用に賛否両論」への異論」(トゥギャッター、2012年9月4日)の他にも、「電車内のベビーカー利用に賛否両論 啓発ポスター引き金」(結婚・恋愛ニュースぷらす、2012年8月27日)、「議論:電車内でのベビーカー利用をめぐって論争…あなたの考えは?」(BLOGOS、2012年9月1日)等々も読みました。と言うか、検索して見つけた記事ツイートはほとんど全部読みました。僕に隙はない(どんなだ?w)。もちろん、「はてな」ブログもたくさん読みました。「ベビーカー論争、再び。」(〜Parkside通信〜、2012年8月27日)、「通勤ストレスでベビーカーまでもがいじめの対象の恐怖社会」(つぶやきかさこ、2012年9月2日)、「ベビーカーがなんで通勤時間に電車に乗ってこなきゃいけないの?」(常夏島日記、2012年9月2日)、「通勤ストレスでデブまでもがいじめの対象の恐怖社会」(はてな匿名ダイアリー、2012年9月3日)、「ベビーカーと電車」(ぱわわぷ日記、2012年9月3日)、「「ベビーカー問題」について、ひとことだけ。」(いつか電池がきれるまで、2012年9月3日)、「通勤地獄とベビーカー」(novtan別館、2012年9月4日)、「ベビーカー議論でいつも置き去りにされるぼくたちの意見も聞きやがれください」(unpocketable、2012年9月4日)、他多数。あと、関連して、「東京の朝ラッシュ時の混雑率167% 一方大阪は127% 東京怖すぎワロタw」(ニュー速クオリティ、2011年4月20日)、 「この夏の通勤怖い! 「混雑率200%」の東京脱出すべきか」(J-CASTニュース、2011年4月20日)、「【満員電車】乗車率190% 東京怖すぎwwwwwww」( 暇人\(^o^)/速報、2012年7月7日)も参照。また、「通勤ラッシュの混雑率は、錦糸町⇒両国間203%」(ゆかしメディア、2012年3月8日)によると、「国土交通省は8日、公共交通の「快適性・安心性評価指標」について発表し、首都圏の鉄道の2010年度の混雑率では、JR中央・総武線錦糸町⇒両国間が203%と、朝の通勤ラッシュ時には最も混雑率が高かった。錦糸町⇒両国に次いで高かったのが、JR山手線の上野⇒御徒町間で201%、JR埼京線の板橋⇒池袋間で200%となった。全体に混雑率は緩和しており、錦糸町⇒両国間や、上野⇒御徒町間でも改善は進んでいる。」との事です。「改善は進んでいる」ようです。

*2:(僕の)別ブログの「森の木琴」の記事参照(「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」、ラインホルド・ニーバー、「ニーバーの祈り」、1943年)

*3:本ブログの「未来の巨大都市に住む人々の暮らしはどうなっているのか」の記事(「21世紀の都市計画では、「教育」の環境の充実が最重要課題となる」)と、「クリエイティブ・ヴィレッジ」の記事参照。「スケールアウト型イノベーションが日本の地域を救う」(ダイヤモンド・オンライン、2012年5月25日、市川文子)の「アイスランドにみる再生の10ヵ条」も参照。少し引用すると、「(前略)起業家精神の育成と並んで、アイスランドが重視しているのはイノベーション教育だ。中でも重要視されているのは、一問一答の教科科目ではなく、生徒が自分たちで取り組む課題を発見し、解決に向けて試作する環境だ。最初から斬新なアイデアを出せ、というのではない。プロトタイピング(試作)にこそ、アイスランドの小学校は力を入れている。幼いころから試作と失敗を繰り返し、その中から新しいものを生み出すことを学ぶ意義は大きい。」との事です。