返信――前回の「速水健朗著「都市と消費とディズニーの夢を批判する」の記事への著者からのコメントを読んで

 
(前回の「速水健朗著「都市と消費とディズニーの夢――ショッピングモーライゼーションの時代」を批判する」の記事のコメント欄について。)

ああ。まさか著者の速水健朗氏(gotanda6)から直球で応答が来る(著者本人からコメントが飛んで来る)とは思いもしませんでした。僕の拙いブログ(乱文失礼)を読んで下さって、大変ありがとうございます。僕は長年、「はてな」を愛用している割には、いまいち「はてな」の使い方が分かっていなくて(ははっ…)、気付きませんでした。先ほど、著者様の著書名で、(他の読者の反応に興味があったのでw)、Yahoo!検索をかけてみて、今やっと気付いたという次第です。申し訳ありません。

とりあえずの、大至急の返答になりますけど、僕が書きたい事(批判したい事)はほぼ全て、前回の僕のブログの「速水健朗著「都市と消費とディズニーの夢――ショッピングモーライゼーションの時代」を批判する」の記事で書き尽くしましたので、これに書き加える事も訂正するような事もとくにありませんし、でも、ちょっと今、この本(「都市と消費とディズニーの夢――ショッピングモーライゼーションの時代」)が手元になくて、読み返してみる事ができない環境に居るのだけど(汗)、僕が批判した箇所は、この本の全体の1/3くらいで、残りの2/3くらいに関しては何ら異論はないどころか、むしろ、多くの事柄(「現実」に起きている都市現象)を学ばさせて頂きました。

その点(残りの2/3)について、僕が前回の批判記事で一言も触れなかった点については、いささかバランスを欠いていたかも知れません。申し訳ありませんでした。

でも、僕が前回の批判記事で問題視したかったのは、その全体の1/3の間違った記述に関してであり、やはり、これは看過できません。著者様のように多方面でご活躍されている方(世論形成に影響力のある方)が、間違った事実と史実を広めてしまう事は、私たちの社会に無用な混乱を招くだけです。とくに、建築や都市問題に関心や意欲のある若い世代がこの本を読んで、間違った(都市論の)フォーマットをインストールしてしまう事になるとしたら、それは多大な人的資本の損失以外の何物でもないでしょう。また更に、僕個人的には、都市史における歴史的名著の双頭であるエベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)とジェイン・ジェイコブズ著「アメリカ大都市の死と生」(1961年)は21世紀初頭の今こそ読みなおされるべきだと思っていますので、この二冊の本が著しく歪めて要約されている著者の今回の新書には、甚だ怒りを感じております。実際、後者のジェイン・ジェイコブズの本に関しては、過去に、(新版の山形浩生訳ではなく)、黒川紀章訳によって、間違った思想(理念)で日本に輸入されてしまったために、(ジェイン・ジェイコブズの本が、いわゆる、何に対しても反対する「左翼」のドグマに利用されてしまったために、公共の利益に適った都市政策でさえも実現が拒まれるようになった。また同様に、ケヴィン・リンチの名著「都市のイメージ」もそのように利用されてしまった)、議論が混乱しておかしな方向に偏ってしまった、という惜しむべき経緯があるのです。著者様は執筆業のプロでありながら、書物が社会形成に与える影響力を軽視されているのではないでしょうか。また更に、値段の安い「新書」だから許される、という話でもないでしょう。いずれにせよ、すでに出版された本に対して、とくに何かがなされるべきだ(第2版では修正せよ、等々)という話では全くなくて、ネットを通じて、間違った箇所の訂正を求めるとともに、これからの都市や社会のあり方を考える上での有意義な議論が展開される事を心より願います。著者様の新造語である「ショッピングモーライゼーション」(ショッピングモール化)は適時を得ていると思います。前に僕のこの本ブログの「堺屋太一の「大阪10大名物」についてのメモ書き」の記事で、建築家・都市計画家のレム・コールハースの著書「コールハースは語る」(2008年)から、「(前略)公共のものからプライベートなものへの移行という同じ変化のなかで、空港であれ、教会、美術館、教育機関、ホテル、そして個人邸であれ、人間の活動として知られているあらゆるものにショッピングが浸透しています。そうした活動は、もはやショッピングからの収入なしに想定することも維持することもできなくなっており、一方ショッピングもこうした他の活動とのハイブリッド化なしには成り立たなくなっています。」(P.66-67)の一文を引用しているのだけど、この見方ともシンクロナイズしています。「ショッピングモーライゼーション」は、まさに世界的(グローバル)な現象であるのでしょう。それは、かつての20世紀の「モータリゼーション」と比せられる21世紀の新しい現象(巨大な波)である、と僕も思っています。よって、著者様のように新造語(「ショッピングモーライゼーション」)を掲げて、この世界の現実的な把握に務めて、そして、建築・都市の現実的な解決(新しい可能性)の追求への道を開こうとする姿勢そのもの(それは“フロンティア精神”でもある)には、僕は大いに賛同しています。でも、繰り返しになるけど、著者様はエベネザー・ハワード著「明日の田園都市」もジェイン・ジェイコブズ著「アメリカ大都市の死と生」も明らかに読んでいない、または、読んでいたとしても内容を全く理解していないと僕には思えてならないのです。事実誤認がひどすぎます。ま、繰り返しの記述になっているので、この辺にしておきますけど、僕からの批判は前回の批判記事と上記で書いた通りです。

前回の「速水健朗著「都市と消費とディズニーの夢――ショッピングモーライゼーションの時代」を批判する」の記事で僕が書いた批判をまとめると、以下の通りです。(詳しくは、前回のその記事に書いてあります。)

  1. クアラルンプールのショッピングモールで「高層の吹き抜け式」であるのは全体の2〜3割程度。決して「主流」ではない。
  1. 著者(速水健朗)は、新興国での「都市化」と先進国での「再都市化」(都心回帰)を混同している。新興国での「郊外化」はこれから進行する。
  1. ウォルト・ディズニーアドルフ・ヒトラーは関係ない。
  1. 著者がウォルト・ディズニー愛国主義者である、保守主義者であるとレッテルを貼った意味が、読者には(少なくとも僕には)理解できない。何の必然性があったのか。
  1. ウォルト・ディズニーEPCOTは「他の都市とは、道路や鉄道などによって接続されていない」と書かれているけど、これは事実ではない。EPCOTは高速道路網と接続されている。
  1. ジェイン・ジェイコブズは「リベラル」ではない。ウォルト・ディズニーは「保守主義」ではない。
  1. ビクター・グルーエンのフォートワース市の都市計画に対して、ジェイン・ジェイコブズは賛同を示してない。ジェイコブズはその計画の「歩車分離」を批判している。
  1. ハワードの田園都市構想と「自給自足」は関係ない。(著者は訂正済み)
  1. ハワードの田園都市は「高速道路」で接続されていない。「高速鉄道」で接続されている。
  1. ハワードの田園都市は、大都市の衛星都市ではない。
  1. ハワードは「歩車分離」については言及していない。クラレンス・ペリーの「近隣住区論」の間違いではないか。
  1. ヘンリー・フォードのそのエピソードは、労働者の「給料が上がった」事のエピソードである。
  1. コレット・モールの再開発は「第三期」であって「最初期」ではない。(著者は訂正済み)
  1. 著者(速水健朗)の「現状の描写」はほとんどが著者の身勝手な妄想である。

以上です。

gotanda6 2012/08/15 02:48
著者です。デタラメとな。ニコレットモールが「最初期」でないというのと、「自給自足」に関する辺りは、まあそうですね。こちらが間違ってましたねと思いますが、、それ以外はどうでしょう? まず、ディズニーへの悪意とかまったくおっしゃってる意味がわかりません。まったく悪意ないし、妄想では?

上記の通りです。「ディズニーへの悪意」はあるでしょう。そうでないならば、ウォルト・ディズニーの「EPCOT」をアドルフ・ヒトラーの「世界首都・ゲルマニア」と並置した理由は何ですか?

gotanda6 2012/08/15 03:03
ディズニーへの悪意の部分を始め、間違った箇所の事実指摘は少なく、そちらの悪意から生まれた妄想での否定が大いにように思います。そもそも、間違っているとは言えない部分(東南アジアの都市部のモール、時間型消費など)への指摘が大半ですし。

上記の通りです。「間違った箇所」は多いです。でも、上記で書いたように、僕が批判した箇所は、この本の全体の1/3くらいで、残りの2/3くらいに関しては何ら異論はありません。前回の批判記事では、いささかバランスを欠いていたかも知れません。

名無し 2012/08/15 19:43
間に入ってすみませんが、「聞いたことがありません」「と思います」「信じられません」という主張は「そうなんですか、でも私はこう思います」が延々繰り返されるだけになりますし、その一方で「参考文献を知りたい」というのはおかしな話です。途中なさっているように、まずはご自身のそれらの主張にも参考文献をつけられては。
それをしない限り、なぜかあなたご自身が「自称文化人」に含まれないかのような物言いをなさるかのように、誰かに「自称"非自称文化人"」と言われることを避けられません。同じように、自分が「そうは思わないこと」を「妄想」と謗ってしまうならば、「『悪意がある』という妄想」と謗られても仕方なくなります。
どうか、「自分のほうがよくわかっていて、相手のほうが知らない」という喧嘩腰の言い合いではなく、お互いの持っている知識を共有し新たな知見を生み出す建設的な議論になることを望みます。

僕が知っている範囲では参考文献をあげて引用もしています。僕が知っている範囲ではない事に対して一体どうやったら(僕から)参考文献をあげられるのですか? いずれにせよ、1)ウォルト・ディズニーが「都心部の荒廃という問題意識」を持っていた事、2)グルーエンのフォートワースの都市計画に対してジェイン・ジェイコブズは賛同を示した事、3)一九六〇年代の都市計画でショッピングモールの手法が採用された事、はいずれも僕には初耳で、そのうちの「2」と「3」に関しては(僕が知っている範囲での)参考文献をあげて反論しています。「1」に関しては、あり得なくはないと思っています。あと、僕は「自称文化人」ではないし、ただのブログ書きで、ブログにおける文体も僕なりに考えて書いています。人間なら誰でも持っている「好き嫌い」の感情と、「客観的な事実(史実)」として記述されている事柄とのバランスをどう取るか、という問題でしょうね。

gotanda6 2012/08/16 00:33
僕の方としても、建設的(建築的)議論は望むところです。反発はしましたが、貴兄のブログの過去エントリーをよませていただき、その知識や情熱にとても感銘を受けています。できるのであれば、貴兄の知識を活かして一緒に本を作れないものだろうかと考えている次第。当方、編集の仕事もしておりますので。

僕の拙いブログの過去エントリーまで読んで下さって、大変ありがとうございます。「本」は全く興味ありませんね。時代は「ネット」です。僕からの希望は、【拡散希望】(!)です。僕のブログを世に広めて下さい(←本音)w。以上です。ではまた。