鉄道の未来学――2011年の鉄道とその未来

(前回の「鉄道の未来学――超電導リニアの未来」の続き。引き続き、梅原淳著「鉄道の未来学」(2011年)からの引用です。最終回です。)

■第五章 「2011年の鉄道とその未来」

 今回の東日本大震災はこれまでの日本の鉄道史では見られなかった被害をもたらした。(中略)従来、大地震で甚大な被害を受けた日本の鉄道は、大多数のケースにおいて復旧工事がただちに行われてきたが、今回はすぐに復旧できないという事情が生じてしまった。(中略)いままでの日本では見られなかった現象である。
 津波の被害を受けた区間が遅れている理由として第一に挙げられるのは、被害の規模が大きいという点だ。JR東日本によると、2011年5月1日現在、八戸、山田、大船渡、気仙沼石巻、仙石、常磐の7路線、約325キロメートルで被害個所は合わせて約1730カ所に達したという。なかでも、津波による駅舎流失が23駅、同じく線路流失・埋没が65カ所・延長約60キロメートル、同じく橋梁や橋桁の流失・埋没が約101カ所と、復旧に際して新たに線路を敷き直し、施設を建て直す必要に迫られる被害が多数、なおかつ広範囲に生じたことが原因だ。
(中略)これだけの手間をかけて復旧工事を実施することから、運休期間はどうしても長引く。大震災発生から1年以上を要する路線や区間が大多数で、それだけ津波の被害が大きかったことがうかがえる。(P.201-203)

上記の「東日本大震災」に関しては、何度も何度も(ブログに)書いているのだけど、とりあえず、大震災の翌日(2011年3月12日)に書いた「地震」の記事参照。2011年3月11日のNHKのこの動画(→動画)も参照。下記の写真は、「東日本大震災 鉄道被害 写真特集」(時事通信)の「東日本大震災で津波を受けた福島県新地町のJR新地駅(JR東日本提供)」(2011年3月15日)より。


 津波から復旧に際して時間を要する理由としてもう一つ挙げられるのは、線路をどこに敷くかを調整しなくてはならないという点だ。今回の津波によって壊滅的な被害を受けた市町村は、二度とこのような被害に遭わないよう、新たに復興する市街地を災害に強い構造とする構想を立てている。海岸沿いに設けられていた主要な施設、そして住宅地を津波の被害に遭いにくい高台に移転するという具合だ。
 市街地が高台に引っ越ししてしまった場合、問題となるのは鉄道の駅である。従来の鉄道の駅の多くは海岸沿いに発展した市街地の中心部に設けられているので、市街地が移動してしまっては鉄道を利用しづらくなってしまう。そうでなくとも、東北地方の沿岸部の鉄道はJR東日本仙石線常磐線を除き、元来輸送人員が少ない。せっかく復旧したのに利用者数の減少を理由に廃止されるのでは何とも残念だ。鉄道会社、特にJR東日本は、どのような復興計画が立てられるのかを注視し、あえて復旧工事に取りかかっていない区間を残している。(P.203-204)

上記に関しては、(僕の)別ブログの「物憂げな6月の雨に打たれて」の記事参照(「沿岸部鉄道、描けぬ再建図 1680カ所損壊 23駅が流失 線路ルート変更不可欠 地権者交渉長期化も」(産経ニュース、2011年5月17日))。「東日本大震災:通勤手段の鉄道再開せず 現役世代、町去る」(毎日新聞、2011年9月13日)、「被災路線で内陸移設合意=鉄道工事だけで3年―JR在来線」(時事通信、2011年9月30日)も参照。「取り残された電車に秋の訪れ」(時事通信、2011年9月26日)も参照。


 当初、津波による被害があまりに大きく、しかも利用者数が少ないことから、このまま営業を廃止する路線や区間が多数発生するのではとささやかれていた。ところが、ただいまのところ廃止が決まった路線や区間は存在しない。時間を要するものの、いずれは復旧するものとみられる。(P.204)

 東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れに伴う被害はある意味で津波よりも大きいといえる。(中略)この区間の復旧の見込みは全く立っていない。それどころか、JR東日本も大地震の被害状況を確かめるための点検作業すらできていないと発表している。もちろん、常磐線JR東日本の幹線の一つなので、営業を廃止することなど考えられない。事態の推移を見守りながら、営業を休止したままとするか、あるいは原発の影響を受けないルートに新たに線路を敷設するかだろう。(P.205-206)

上記に関しては、「常磐線、福島の一部再開」(時事通信、2011年10月10日)、「常磐線久ノ浜―広野が運転再開 11日で震災7カ月」(asahi.com、2011年10月10日)、「JR常磐線で一部運転再開 電車出迎え「うれしくなっちゃう」」(産経ニュース、2011年10月10日)も参照。

あと、この章で、著者は「中国の浙江省温州市で起きた高速鉄道の車両同士の追突事故」(2011年7月23日)についても言及しています。少し引用すると、「中国の高速鉄道の事故は日本の新幹線とは別世界での出来事だと筆者は考える。(中略)事故の原因は至って単純なものであった。何らかの事情で先行する列車が駅と駅との間で停車したにもかかわらず、信号保安装置の不備により、後続の列車を停止させる信号を表示しなかったことが原因である。」(P.210)。そして、「日本の鉄道の事故率は現在でも極めて低い。それでも、理想を言うならば未来の鉄道は極めて低い確率ではなく、ゼロであるべきだし、実現は可能だろう。日本の鉄道の将来は不透明だが、安全性の向上は明るい希望の星だ。元気を出して前に進むことにしよう。」(P.214)と述べて、この章をまとめている。元気を出して前に進みましょう。

第五章「2011年の鉄道とその未来」はここまで。

■あとがき

 19世紀のイギリスの作家、詩人であるオスカー・ワイルド*1は『嘘の衰退―ひとつの観察』という論文のなかで有名な言葉を綴った。

「現実が人生を模倣するよりもはるかに多く人生は芸術を模倣する」と。

 ワイルドの真意はよくわからない。筆者はこの言葉は芸術至上主義から発せられたものではなく、むしろ人生のさまざまな場面で直面する厳しい現実をつぶさに観察した結果、得られた見識ではないかと考える。
 鉄道は「芸術」ではなく「人生」に相当するものだ。ここで「芸術」という言葉を「あるべき鉄道の姿」、「人生」を「現実の社会」と置き換えてみよう。現実の社会によってあるべき鉄道の姿が規定されるのではなく、むしろあるべき鉄道の姿を示すことで現実の社会を変えていくことができると言えるのではないだろうか。(P.215)

オスカー・ワイルドの真意は僕にも分からないけど、とりあえず、上記と関連していそうな事を二つ挙げておきます。

まず一つは、前に(僕の)別ブログの「Integral Project-3」、「明日の田園都市」追記、「エソラ」等の記事で書いた、社会改良家のエベネザー・ハワードの「鉄道的リアリズム」。「鉄道的リアリズム」とは、(僕の)別ブログの「Integral Project-3」の記事で書いたのだけど、エベネザー・ハワードが著書「明日の田園都市」(1902年)で、「(前略)それまでに建設されていた最初の鉄道網が真の原則に合致することはほとんどありえなかった。しかしいまや、高速輸送手段において達成された巨大な進歩を見たのであるから、これらの手段を十二分に利用し、(中略)その計画に即して、われわれの都市を建設すべきときが来たのである。」と述べている事を指しています。ま、「鉄道的リアリズム」は僕が勝手につくった造語なのだけどw、上記の「あとがき」に書かれている事と、よく似ていると思います。
もう一つは、前に(僕の)別ブログの「やりかけの未来がある」の記事で少し書きかけたのだけど、「脱構築」。えーと。ウィキペディアの「脱構築」の項から少し引用すると、「パロールエクリチュールに先立って優越するといわれるが、その劣位のエクリチュールが逆にパロールを侵食している事態をデリダは暴き出す。」という事です。上記の「あとがき」に書かれている事と対応させると、それぞれ、「パロール」が「人生」で、「エクリチュール」が「芸術」です。これも、よく似ていると思います。

あと、他には、評論家の宇野常寛が、著書「リトル・ピープルの時代」(2011年)*2の第3章「拡張現実の時代」の最後で、「現代におけるコミュニケーションそれ自体が、(自己の)キャラクター化を通じた現実の多重化=<拡張現実*3>を孕んだものに他ならない。(中略)キャラクターへの愛=虚構への欲望と、キャラクターへの愛を共有することで成立する現実のコミュニケーションへの欲望は密接に結びつき、ほとんど不可分になっている。(中略)この変化は、言い換えれば私たちが求める<反現実>が<ここではない、どこか>への逃避=仮想現実ではなく<いま、ここ>の拡張=拡張現実として現れていることを示している。」(P.424-425)と述べている事も、関連しているのかも知れない。いずれにせよ、人間が持つ人間性を最大限に活用せよ、という事です。なぜなら、人間はまだ人間の事をよく知っていないからです*4。「芸術」、「理論(仮説)」、「ユートピア(物語)」、「エクリチュール」、「アイコン」、「キャラクター」等は、いずれも「虚構」に属すると思われがちだけど、少なくとも、それらが「現実」の社会に及ぼしている影響はじつは甚大なのである、という事はよく知っておかなければならないし、更に、高度情報化社会では、それらの「虚構」こそが僕らの「現実」なのである、と一段と知らしめられるようになるだろう。この視座は、一方では、前々回の「鉄道の未来学――幹線の鉄道の未来」の記事で書いたような「東京偏向報道」等の問題を暴き出し、もう一方では、より「現実」的な「虚構」(「芸術」、「理論(仮説)」等)を創造的に発見し、かつてエベネザー・ハワードがしたように、「現実の社会を変えていく」事へとつなげていく鍵(機会)を僕らにもたらすだろう。要するに、諸刃の剣である。以上です。

さて、先月の「鉄道の未来学――日本の鉄道の現状と新幹線の未来」の記事(2011年9月16日に書いた)以降、梅原淳著「鉄道の未来学」(2011年)をずっと(ブログに)書いてきたのだけど、今回の記事で終わりです。大変、勉強になりました。ま、その間も、他の本を何冊か読んだ(電車の中でw)のだけど、えーと、ノーマ・エヴァンソン著「ル・コルビュジエの構想―都市デザインと機械の表象」(2011年、新装版)も良かった。建築家のル・コルビュジエの都市理論(都市計画論)に興味がある方は、この一冊を読むだけで、十分すぎるくらいに知ったか振りができるでしょう(こらこらw)。それくらいに、コンパクトによくまとまっている良い本でした。おすすめです。そのうちブログに書きます(たぶん)。あと、池田信夫著「イノベーションとは何か」(2011年)を読んだのだけど、ジェイン・ジェイコブズ著「都市の原理」(2011年、新装版)で書かれていた事とほとんど同じで、改めてジェイコブズの先見性を確認した。この本も、そのうちブログに書きます(たぶん)。今は、猪瀬直樹著「地下鉄は誰のものか」(2011年)を読んでいます。ま、半分まで(第4章まで)は読んだのだけど、とりあえず、最初の「はじめに」から少し引用すると、「(前略)東京の地下鉄の乗客数は世界第一位なのだ。(中略)したがって地下鉄の混雑率もすごい。朝の通勤時間帯では東西線は二〇〇%近い。混雑率一〇〇%とは、全員が座席に座っているだけでなく吊り革かドア付近の柱に一人ずつ立ってつかまっている状態と定義されている。一五〇%では「広げて楽に新聞を読める」、二〇〇%では「折りたたむなど無理をすれば新聞を読める」と国土交通省のウェブサイトは説明しているが、実感とは違う。しかも混雑率にはトリックがあって、二〇〇%とはあくまでも最混雑時間帯一時間の平均値であって、瞬間的には二五〇%を超えているはずなのだ。二五〇%とはどういう状態か。(中略)ぎゅうぎゅう詰めの状態である。新聞どころか週刊誌も読めない。(中略)人間ではなく荷物として積まれたと思うほかない。」(P.7)と述べてから、「利用者本位の交通政策を考えなければならない。(中略)解決策を見つけていきたい。解決策とはすなわち改革である。」(P.9)、「いまメトロはもうけすぎている。(中略)その収益が利用者に還元されず、全然違う用途に使われている。地下鉄事業と関係のない不動産を一等地に持っていて、子会社がオフィスビル賃貸やゴルフ練習場運営をやっている。(中略)そもそもメトロは、JRや大手私鉄とは本質的に違う。(中略)非常に公的な性格が強い。路線の大半が山手線の内側という金城湯池(きんじょうとうち)を走っているという点で、特権的な地位を独占している。株式会社になってもメトロは本質的に「国立」で、(中略)公的な利益を代弁しながら、体質は「私立」であるような会社にしなくちゃいけない。」(P.10-11)と述べています。「混雑率」と「メトロ」に関しては、本ブログの「鉄道の未来学――大都市の鉄道の未来」の記事も参照。この「金城湯池」と「公共性」の関係は、僕が最も関心のあるテーマの一つです。前回の「永久公債、国有不動産」の記事も参照。この本も、そのうちブログに書きます(ほんとか?w)。以上です。では。

【追記】

梅原淳著「鉄道の未来学」(2011年)の記事一覧

■まえがき →「鉄道の未来学――日本の鉄道の現状と新幹線の未来」の記事
■プロローグ 「日本の鉄道の現状」 →〃 
■第一章 「新幹線の未来」 →〃、「鉄道の未来学――新幹線の未来(の続き)」の記事
■第二章 「大都市の鉄道の未来」 →「鉄道の未来学――大都市の鉄道の未来」の記事
■第三章 「幹線の鉄道の未来」 →「鉄道の未来学――幹線の鉄道の未来」の記事
■第四章 「超電導リニアの未来」 →「鉄道の未来学――超電導リニアの未来」の記事
■第五章 「2011年の鉄道とその未来」 →「鉄道の未来学――2011年の鉄道とその未来」の記事(本記事)
■あとがき →〃 

*1:(僕の)別ブログの「Integral Project-3」の記事参照(「ユートピアを描いていない世界地図は、一見する価値がない」、オスカー・ワイルド)。(僕の)別ブログの「理想都市」、「悪徳と美の館」の記事参照(「ユートピア」)。

*2:(僕の)別ブログの「Valentine House (バレンタインの家)」注釈1の記事参照(同書)

*3:拡張現実」(Augmented Reality)に関しては、「ギズモード・ジャパン」の「懐かしすぎる...。中学英語教科書『NEW HORIZON』が大人向け向けAR書籍として新発売」(2011年9月9日)、「【東京おもちゃショー2011】ARカードで飛び出すチョッパー!!」(2011年6月16日)、「ARはちゅねミクが自分を追いかけてネギでぺちぺちしてくれる動画」(2010年8月21日)、「AR彫刻アートを見つめる(動画)」(2010年6月6日、→動画)、「ARがすごすぎる! 未来のマクドナルド」(2010年5月17日)、「AR技術でラブラブ! 飛び出るラブプラス」(2009年12月25日)等も参照。あと、(僕の)別ブログの「Star House」の記事で書いた、「ギズモード・ジャパン」の「スーパーマリオが路上を走る!現実世界でマリオを眺める動画」(2010年11月10日、→動画)、「すごっ!巨大建造物がトランスフォーム!照明で作られた立体的アートショー(動画)」(2010年11月1日、→動画)、「はぐれメタルがあらわれた!吉祥寺をはぐれメタルが走り回る動画」(2010年11月21日、→動画)等も参照(w)。「Microsoft Office Labs 2019 Vision Montage」の動画も参照(→動画)。「Video: Mediating Mediums - The Digital 3d」(Archdaily、2011年9月16日)も参照。

*4:本ブログの「アイコンの消失」注釈6の記事参照(「(前略)頭の中で空間を思い描き、様式化し、変容させることができる能力を持つ人間は、他の動物にはできない方法で自らを解き放ったのだ。」、コリン・エラード)